誕生の瞬間や死の瞬間、人はある部分ひとりであることや、生活の中でも人と人の心がなかなか共有しづらいことなどからも、心のどこかで、人はそれを《孤独》であると捉えます。
きっと究極的かつ、ごく自然なモノの見方をするならば、孤独であるとか無いとかではなく、その《どちらでも無い》という部分にも辿り着くのかも知れませんが、初めから人は強いわけでもなく、また達観しているわけでもないので、やはり孤独感を持ち、迷いながら、探しながら生きている人は、数多くいるのだと思います。
そして、生命と生命が支え合うという自然界の流れにもあるように、人は孤独感を持ちながらも、心のどこかでは《解り合いたい》という感覚的なものを、誰もが併せ持つのでしょう。
かつて、私がロ―カルな出版社で営業所の所長をしていた時代、いくつかの仕事の中で、人を採用するための面接の仕事を担当することがよくありました。
会社の規定では《高卒以上、35歳まで》という、一般的な会社ではどこでもある《線引き》がありましたが、それでも私は、ただでさえギクシャクする営業世界の中で、なるべく営業経験が無く、なるべく素直な人を選ぼうと考えたりもしました。
平均の面接時間は約一時間。なるべく多くの話を聴き、なるべく心の内側に近付こうとしたのです。
もちろん、たかが一時間でその人物が解るわけでもありませんが、過去の経験や考え方などからも、少しは見えてくるものがあったのも事実。
会社規定をこえての採用もあり、営業は中卒の子、42歳のシングルファザ―、本社から来た解雇寸前の女性と頼りない私の4人。それに物流責任者と配送のパ―トさんの約30名というメンツに。
これだけでも物語が出来そうなメンバーですが(笑)、じつはこの営業所はその後、大成功を収めることになったのです。それは武道とも関係性があるので、また機会があれば書いてみたいと思ってます。
それより、まず私は、彼らの中にある《素直さ》に注目をしました。彼らは営業世界にある競争意識のようなものを、さらけ出すようなことはしませんでしたし、いつも協力的でした。方向性を出す私の指示にも素直に従ってくれ、また私には無いチカラを持つことで、営業所全体を活かして行く、大きなキッカケにもなってくれたのです。
私がそのころ実感したことは、年齢や学歴など、簡単な線引きだけで人を判断することはせず、その人の内側を見ることと、その能力の導き方を考えることで、その個性は大きく伸び、あらゆる可能性を持つのだということ。
様々な事情もありますし、もちろん世の中の在り方を否定するわけではありませんが、せめて私の身近な部分での物事の見極め方は、なるべく自然なカタチでありたいと‥そのように思ったのです。
今年から武道空手少年クラブでは、昇段に対する規定が変わりました。基本的には優勝することでしか昇段出来ないという部分、そこを変更したのです。長年の取り組み、過去の実績、マワリへの影響力などを含め、今まで以上に細かく審査して行くというカタチに。
空手道の稽古に取り組む子は、長い子で6年~9年。そして、いくつかの入賞経験などがあるにもかかわらず、《優勝者しか昇段出来ない》という過去の規定と線の引き方は、それぞれの個性を成長させるという武道教育としての側面から考えたとしても、それは少し不自然なのではと私は思っていました。ですから微力ながら私は、東海地区のミィ―ティングにて、ル―ル改正の提案をさせて頂いたのです。
もちろん物事ですから、反対派の意見もあるでしょう。たとえば総本部の会議では、《挫折から学べばよい》そのような意見があったことも事実です。しかし長年取り組んでもいれば、挫折などは得ることよりも数多くしているはずですし、いくつかの受賞経験があるほど頑張っているのに、《優勝をしていない!》その一言だけで、すべてを片付けてしまうのは、どうなのでしょうか?
人生ですから、小さなものを含めれば、それこそ挫折する経験は多いわけで、逆に線引きや切り捨てばかりの世の中で、頑張ったことがシッカリと認められ、何かを得て行くという感覚を持たせることは、本人の能力を伸ばすだけでなく、マワリにさえも良き影響を与えて行くという意味では、先程の会社の話とも似ているのです。
そして今回、準優勝にて昇段したリョウガの実績をあげるなら‥
☆武道啓明賞
☆全国茶帯T大会 2年連続 準優勝
☆全国茶帯T大会 特別賞
☆空手道の稽古歴 7年以上‥など、素晴らしい実績が。
実際に黒帯を巻く子供達以上に稽古量は多く、私の道場だけでも週4回の稽古をこなし、出稽古などを合わせれば、時に週5回以上になることも。
もともと高い運動能力を持っているわけでもなく、仲間達との稽古では、いつも泣かされ続けてきたリョウガ。しかし、その一方では仲間達の支えがあることも理解し、諦めることなく、歯をくいしばり頑張ってきたのです。そう、いつか彼らに追いつけと願いながら‥。
男女だとか年齢差だとかに関係なく、誰に対しても純粋な優しさを与えられる子でもあり、稽古への取り組みと動作、その一つひとつの丁寧さは、私自身を含め、皆が見習うべきものさえ持っています。
もちろん、ここに紹介したもの以外にも色々とあるのですが、各先生方からも共通して、リョウガの取り組みを評価する声があがっているほど。
それを《優勝することでしか黒帯を取得出来ない》という規定は、そうとうな努力を積み重ねてきた人間に対し、あまりに単純な線の引き方であり、精神性を重んじるはずの武道的観点からしても、とても不自然さを感じるのです。
先程の会社の話も、今回の昇段の件もそうですが、もっともっと本人の内にあるものを見つめ、その能力を伸ばして行くということは、《解り合いたい‥支え合いたい‥》と無意識のうちに願う人間と、自然界の流れの中にある法則とも、どこか繋がっていて、物事全体を好転させて行く、とても大きなチカラになるような気がするのです。
‥小さな体で、泣き続けながらも歩みを止めなかった少年。頑張ったことが評価され、何かを得たことで、より実感としての感謝の気持ちは、深く深く‥芽生えて行くことでしょう。
心を澄ませば、静かに見えてくるモノがある。
何が自然で、何が不自然なのか?それらを考え、行動することは、世の中全体を活かすことにも繋がっていて、また、誰もが持つ孤独感から離れて行くための、一つの大切な生き方になるのかも知れません。
【道場長のヒトコト】
☆『昇段おめでとう!いつまでもリョウガのままで!』 (^-^)v