本当の勝利とは…何だろう?
我が道場にも、茶帯を巻き、何年も何年も空手修行を続きてきた、素晴らしい生徒が何人もいる。
ボクは見てきたんだ…
何度もチャレンジをしてきた、彼らの尊い姿を。
ボクは見てきたんだ…
涙と悔しさに暮れた、彼らの切ない姿も。
星の夜、寒さに震えながらも夢を描き、電車に乗り、そして歩いては出稽古先に通った子の姿も。
自分よりも小さな子に、
『オマエは何年たっても茶帯〜♪』
と、からかわれ、
小声で、
『うるせぇ…』
と呟き、涙ぐむ子の、そんな一瞬の出来事さえも、
ボクはずっと…見てきたんだ。
彼らの中に、夢や目標には届かなかったという、そんな現実が…あるのかも知れない。
しかし、本当の強さとは?本当の勝利とは…いったい何なのだろうか?
空手修行のスタートも違う、体格も違う、性格も違う、生まれてきた環境…積み重ねてきた情報量だって違う中での、人と人を比べることの不自然さよ。
少年空手…それぞれの子に、中学3年生までという区切りがある。
継続はチカラなり…物事をやり切る…そんな言葉や流れの中で、その区切りある中での『伸びしろ』という部分があるのなら、
自分の中の能力を、最大限だし切ることの中にこそ、本当の意味、本当の強さ、本当の勝利というものがあるのではないだろうか?
たとえ競技としての結果が出せなくとも、物事を継続し、やり切り、更に自分の能力を最大限だし切れるチカラは、競技での勝敗という部分を超え、高い確率で、将来の自分やマワリをも支える、大きな大きなものになり行くはずなのだ。
春…
卒業…
そして別れがある。
こんなにも…こんなにも頑張れる、そんな彼らに出逢えて良かった。
お互いに、この経験が、
心と体の一部になるわけだから、ボクらは倖せだったのだ。
そして、ある意味、これからも、ずっと…
ソレは共にある。
あと数日…
重ねてきた日々の重さよ、時の重さよ、想いの重さよ、
尊さと儚さの中で、
永遠になれ…