サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

しつこいですが、再び引き分け狙いについて

2012年08月03日 | サッカー

佐々木監督が南アフリカ戦で引き分け狙いを指示した理由は、
監督自身も述べられているように、
移動が軽減されることによるコンディション面での優位性を得ることなのだろうが、
ひょっとしたら別の側面もあるのではないかなと…。

勝手な憶測ですが…。

昨年の女子ワールドカップで、キーになった試合はグループリーグ3戦目のイングランド戦の敗戦だった。
チームは良い意味で開き直り、一枚岩のまとまりを見せ、優勝へとつながった側面はあると思う。、
結果としてショック療法のような形になったわけだが、
今大会、南アフリカ戦で引き分け狙いにいくことで、ある意味ショック療法的な効果もメリットとして考えていたのではないか。
対外的な批判もある程度想像できただろうし。

ワールドカップは、“不思議”の勝ちという要素もあったと思うが、五輪では“必然”の勝ちを手繰り寄せなくてはならないし。

だとしたら、凄い策士ですけどね。

まあ、勝手な憶測ですが…。


再び、なでしこジャパンの引き分け狙いについて

2012年08月03日 | サッカー

なでしこジャパンの引き分け狙いについてサッカーファンは概ね肯定的だろうが、
日頃あまりサッカーを見ない人からは否定的な意見が出るだろうとは思っていたが、
大住良之さんが日経新聞に批判的な記事を書かれていたことに、正直驚いた。
大住さんは大ベテランのサッカージャーナリストだからである。

しかし記事をよく読んでみると、やっと注目が集まった女子サッカーへの関心が薄れていくことへの危惧が根底にあることがよくわかった。
なでしこリーグ観戦に行くと、以前はサッカーに関心がなかった人が多いことを実感する。
そういった方々や、実際サッカーをやっている少女達の心が離れていかないか、
ウェールズの地で心を痛められたのだと思う。
またなでしこジャパンにいい意味でのプレッシャーをかけようと思われたのかもしれない。
勝手な想像ですが。

その危惧は理解できるし、大住さんに反論しようということではないのだが、
南アフリカ戦を振り返ってみます。


事前に引き分け狙いをする可能性を伝えておくべきだったのか?

試合前に監督は、「場合によっては引き分け狙いを指示する事もありうる」ということを言ったようである。
そう、言うことで、試合に臨む選手達の気勢をそいだのではないかという意見もあると思う。
仮に引き分け狙いをやるとしても、その時点で言えばよいではないか意見も。
しかし急に伝えても、チーム全員が引き分けに向け意思統一できるものではない。
例えばロンドン五輪予選の北朝鮮戦、1-0とリードした後半40分過ぎの日本のCKの際、佐々木監督から「キープ」の指示が出た。
もちろん選手達はその指示に従ったが、「まだちょっと早いんじゃないの」という気持ちもあったようだ。
そういった気持ちがあったからかどうかはわからないが、日本はその後、同点に追いつかれてしまう。
なでしこジャパンはそういった苦い経験を経ている。
もし引き分け狙いをやる可能性があるのなら、意思統一を図るためにも事前に可能性を伝えておくべきだという判断だったのだろう。
正解だったと思う。

後半の引き分け狙いの指示は?
引き分けを狙いにいくのは、決して手を抜く事ではない。
チームで意思統一を図り、全力で引き分けを取りにいくということだと思う。
そういった意味では完璧だった。
 “負け”を狙いにいったら問題だろうが、サッカーにおいて引き分けを狙いにいくのが間違ったことだとは思わない。
引き分け狙いとは限らないが、そのままのスコアでいいという試合は女子に限らず過去にも多数あった。
だが、実際は追いつかれたりすることも多々あった。
それは単純に相手との実力差があまりなかったからなのだろう。
狙い通りに出来るほど、なでしこジャパンは強くなっていたわけで、
そのこと自体も素晴らしいことだと思う。
  

引き分け狙いを指示したことを試合後、マスメディアに向かって語るべきだったのか?
言わなくてすむのならそれもありだったでしょうが、選手へ矛先が向かうのを避けるためにも敢えて佐々木監督が言明したのだと思う。


誰かに対して失礼なのか?
「面白くない」「ふざけんな」と思った観客、TV視聴者は多かったかもしれない。
しかし一サッカーファンとしてTV観戦していた私はむしろ感動すらしました。
数の問題なのかもしれない。


フェアプレーの精神に反しているか?
 フェアプレーの定義がよくわからないが、南アフリカ戦の90分を1試合だけでとらえるのではなく、決勝までの一構成要素としてとらえれば、全体として真剣に勝利を追及していたことだけは確かだ。
大きな意味で勝利を追及するために、より良いコンディション作りをしていくのは当然だと思うし。
それは、陸上短距離や水泳の予選で“流す”ことと共通するのかもしれない。
(まったく違うかもしれませんが)

個人的な話であるが、中学の時のことだ。
私は野球部だっただが、短距離はそれなりの俊足だった。
中学内の陸上記録会の100m走の予選に参加した際、後半はスピードを落とし、流して走った。
決勝で1位になり、より良い記録を出すためだ。
中学生でも予選で全力を出すと、決勝の記録が落ちる可能性があることを体感的にわかっていたからである。
その後、無事決勝で1位になることが出来たが、翌日のHRで担任教師からクラス全員の前で叱られた。
「予選で全力で走らなかったことがいっしょに走った生徒に失礼だ」ということだった。
まったく納得できなかった。
自分としては予選と決勝をトータルに考え、真剣にレースに臨んだからだ。
手を抜いたのでは断じてない。
むしろ予選で全力を出すということは、トータルに考えると真剣に臨まなかったということになる。

なでしこジャパンも中学時代の私も勝つために必要だと思われる選択をしたわけで。
しかし当事者の真剣さとは関係なく、不快に思う人がいることは確かでしょう。

それも仕方のないことかもしれない。


まあいずれにせよ、ブラジルに勝ち、まずは準決勝に進んでほしい!