日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

シューベルト

2014年01月16日 | Weblog


シューベルト

フォスターとシューベルトの2人は私の作曲の原点である。
2人の作曲家に夢中になったのは、小学5、6年生ごろから、高校卒業するまでだった。
音楽と言えば、ベートーベン、モーツアルト、ショパン、ドヴォルザーク、ブラームス、バッハなど居並ぶ大作曲家を超えて歌に関してはこの2人に吸い寄せられた。

2人にはそれぞれの特色があって芸術性が高いと思ったのはシューベルトである。フォスターは芸術性よりも大衆性をうまく表現していたように思えた。

冬の旅はいうに及ばず未完成交響曲や菩提樹や魔王など僕にとっては宝物であった。とりわけ菩提樹は夢の世界へ誘う曲であった。メジャーで始まった曲の間にマイナーそしてまた元のメジャーへ移っていく曲には胸が締めつけられる。そうして 華美なユメノセカイ誘われた。
特にこの曲を聴く時は自分独りきりになった。周囲がざわざわすると夢の世界に(忘我)に入るのに妨げとなったからだ。
1人で自分の世界に入り、色々な夢を見た。なかには淡いロマンもあったし、限りない憧れもあった。その夢の中で聞いたメロディーや作風が今でも僕の心中に住んでいる。忘れられないのである。
ついでに言うと(冬の旅)はフィッシャーディースカウの声で聞いている。
珠玉の名曲である。おそらく生涯、僕の心の中で、いつも優しく鳴り響いてることだろう。

国家存亡の危機

2014年01月16日 | Weblog
国家存亡の危機

原発にエネルギー源を求めるか否かを考える場合、原発に頼るという事は国家存亡の危機を招く可能性があるということに留意することが不可欠だ。卑近な話、もし仮に高浜原発や大飯原発が福島のような事故を起こすと、滋賀県の嘉田知事が心配するように琵琶湖は汚染されるだろう。琵琶湖が汚染されたら流域の1500万人が影響受けるし、日本の中枢の大動脈が断ち切られることになって、立ち行かなくなる経済活動の損害等、予測不可能な甚大被害を与えることになる。まさに国家存亡の危機だ。

これこそ国家存亡の危機に立たあされる。東通原発や伊方原発の事故とは、同じ原発とは言いながら、桁違いの損害が出る。福井県に立地する原発や、御前崎にある原発による事故は、日本の中枢部を損傷させるので、日本国存亡の危機に追い込むことになる。

さらに核のゴミ処理という難題が待ち構えている。加えて原子力は一旦火を吹いたら、現代科学ではコントロールできない始末の悪いものである。本来なら国政で考えねばならぬ問題だが、自民党は原子力に頼り他のエネルギーへの転換は考えていないに等しいから、国家存亡の危機意識なんて持ち合わせてはいない。又もや新しい神話を作ろうとしている。
小泉元首相や細川本総理がこの危機感を持っていたことを私は非常に嬉しく思う。


小泉さんと安倍さん

2014年01月14日 | Weblog
小泉さんと安倍さん

お二人とも総理経験者である。小泉さんは知覧にある特攻隊の博物館を見学した際に涙を流した。阿部さんは赤ちゃんポスト設置に反対をした。
2人はともに靖国神社に参拝している。国民の生命に対するリーダーの強い信念は小泉さんの方が男らしい。一国の総理がおつきの人の前で涙を流し、男泣きするというのはそれだけ信念が強い証拠だ。
だからといって安部さんの言動は賞賛することがあっても非難する事は無い。
戦争のために国に命を捧げて国を守った英霊に対して尊敬やら敬意を払う事は日本国民にとっては当然のことである。

戦争で散る命も、何らかの事情で生存が守られない命に対しても、リーダーは格段の敬意を払ってこそ、その資格がある。
赤ちゃんポストによって何人かの命が現実に救われたか。安部さんは赤ちゃんポスト設置によって不用意に子供を作ったり、生まれてくる命に対して育児放棄をしたりする風潮が増長される恐れがあるからと、ポスト設置には反対した。
しかし現実には幾人かの命が助けられた。また設置によって育児放棄の風潮が増えたとも思えない。この現実を予想できなかった安部さんは画竜点睛を欠いたと言うものだ

不要な多機能

2014年01月14日 | Weblog

不要な多機能

多機能、高付加価値の製品を使いこなせば値打ちは出るのだろうが、使いこなせない世代にとっては無用の長物である。
然るにメーカーは使用者の面倒考えるより、まず技術開発によって機能を高め、あれもできる、これもできる、という触れ込みで宣伝する。もちろんその分 価格は高騰する。
しかしその多機能は中高年には理解されず、従って使う機能は限られている。

例えば炊飯器。飯がたければそれで良い。それで十分である。そういう風に機能を単純化してコストを下げる工夫が必要である。
アイリス大山がこーゆー現実に目をつけて、機能を単純化して製品の値段を下げ世に送り出したのは時代の要請であると思う。

10-43「殿ご乱心」と言うアホな大臣

2014年01月13日 | Weblog
「殿ご乱心」と言うアホな大臣

原発事故が発生した、ほとんど直後、被災者たちは悲嘆にくれでいる最中に、原発再稼働を口にした男がいた。これだけ多くの人々が悲しみに包まれて、物心両面で絶望し悲嘆にくれた最中においてだ。
人の悲しみのわからない鬼のような人間だとこの時僕は思った。当時の状況では再稼働と言う事は被災者の心情や実情を考えると禁句であったはずである。
それを早々と口にしたわけだから、根っからの原発愛好者だったのだろう。国民感情が読めていないというよりは、づうづうしいことおびただしい。

原子力は一旦ことが起こると、現代の人間の力ではコントロールできないと言うのが原子力関係者の見方だ。換言すればどこまで被害が広がるか、予測不能ということだ。また収束までにはどのくらいの時間を要するか。これを正確に出すのも難しい。

小泉元首相が反原発、再稼働に反対。と主張した。その小泉氏の影響を受けたのであろうか、細川元首相が東京都の知事選で反原発を訴えようという噂が広まると、現職の大臣が「殿乱心」と批判した。加えて彼は原発を利用しない場合毎年1兆円の国富が失われると言う。

そこで僕は思う。
彼は本当に原発コストがわかっているのか。原発コストに関しては終末処理費用が不明なのに、1兆円の損失はどこから引っ張り出してきた数字なんだ。どうせ電力会社のだした数字を口移しに唱えてるだけじゃないか。
原発コストすなわち現行の価格といわれているものに、最終処理費用が加わって初めて正確な原発のコストが計算できる。

そこで 君に問う。
最終の終末計算がいくらくらいかかるのか計算したことがあるのか。
処理場も、処理技術も不明の段階で計算ができると思うのか。
最終の終末計算の困難さは、未だ世界の何処の国でも解決されていないことを知らないで一兆円という数字を持ち出す。これが国家100年の計に携わる国会議員が信じているなら、「殿ご乱心」どころの話ではなく、頭の中身がおかしいのじゃないの。
その場その場の情勢に調子を合わせているだけで、真に国民の安寧や幸せの実現と言う国会議員なら誰しもが持たねばならな政治哲学と、信念。その最低条件さえも持ち合わせていない輩が「殿ご乱心」とは何事か。

ここで改めて指摘しておく。

核のゴミ処理について
1、処理場はどこで承認を得られるのか。つまり確保できるのか。そしてその費用ははいくらなのか
2、処理の技術開発費用とその確立。その確立の見通しはどうなっているのか
3、処理場に埋めても10万年(現状では放射能の減衰期はそういわれている)のメンテ費用はいくらかかるのか
4、処理施設の運転コストはいくらなのか

本来のコストは事業に関わる全ての経費の総体によって初めて正確に出せる。
単に現在までかかった経費(終末処理費用を含まない)のみで、コスト計算するのは大きな誤りである。
核のゴミの最終処理費用を除外したコストなんて中途半端で、問題にならない。この指摘に反論があるならば具体的、現実的に反論すれば良い。
できるものならやってみるがよい。現段階の科学技術ではできるはずがないから。

昭和時代のミュージックスタイル

2014年01月12日 | Weblog

昭和時代のミュージックスタイル

ブギウギ ロカビリー、 begin 、ロックンロール、タンゴ、ジャズ、グループサウンズ、ビートルズなどなどのミュージックスタイルがあった。
そのどれもが一時代を画していた。
平成になってどういうミュージックスタイルが現れたのか。あまり記憶がないと言う事は、そーゆー特色のあるミュージックスタイルが出現していないということだと思う。
なんだかんだと言いながら、平成25年になった。それにもかかわらず記憶に残るミュージックスタイルがないと言う事は一体何を意味するのであろうか。
時の流れとともに音楽が変な方向に進んでいるような気がしてならない。
レコードからテープになり、それがCDになって素人が素人程度の曲を新曲と称して横行させた事による質の低下は目も当てられない。

竹本義太夫の墓

2014年01月11日 | Weblog
竹本義太夫の墓

国道25号線を寺田町から四天王寺南門の方向に行くと(西向いて走ると)左側に寺がある。
名前は超願寺。
竹本義太夫の墓を見つけたけど、墓石の上部四隅ががかけている。近くの墓を見てもそんな墓は一つもないので、不思議に思った。後で聞いたらばくち打ちが墓石を削って持って行くらしい。そうすれば勝負事に勝つらしい。それはいいのだけれど、そんなことをしたら、墓石がやせ細るだけだ。

最近の新聞で見たが、この墓は立派に修復(取り替えたのかも知れない)されていた。有名人であるだけに、これ以上縁起を担いで削ったりしないようにしてほしい。

コンビニ強盗

2014年01月10日 | Weblog
コンビニ強盗

侵入しやすいのだろうか、コンビニの売上金を狙って強盗が押し入る。コンビニ強盗事件が頻発する。
大抵のケースでは、防犯のコールサインでは間に合わず、犯人が逃げ切った後で、 警備会社の社員や警察官が来る場合がほとんとで、それは後の祭りである。

よく似たケースでは貴金属店への強盗侵入である。わずか5分ぐらいですっかり商品をかっさらえていく。
コンビニも貴金属店でも 5分間 が後の祭りにならないような工夫は一体どうなっているのであろうか。
現代の電子機器を使えば、即座に対応と言うことができるはずである。例えば瞬間に目がくらんで見えなく閃光とか、大音響を鳴らすとか。
警察としても強盗が入って5分間以内に駆けつける事はかなり難しかろう。何か一工夫があっても良いのではないか。現状のままではイライラする。

バカにも程がある

2014年01月09日 | Weblog
バカにも程がある

70歳代の老婆が合計で1,700万円もの大金を詐欺にあってだまし取られた。
この種の事件は毎日のように報道されているが、大金については銀行も警察も、テレビや新聞でも大体的に注意を促している。
にもかかわらず、また被害者が出た。同情を通り越して「アホかお前は」とののしりたくなる。気の毒なんて同情の気持ちはこれっぽっちも湧いてこない。
認知症にかかっているならば、身内の人が気をつけるべきだろう。
詐欺で騙されて後に、初めて気がついて泣き言を言っても、詐欺犯を喜ばせるだけだ。正直言って全く情けない。ここ10年ほどの間に、何百人と言う人が被害に遭って、その都度報道されているから、テレビや新聞を見ているだけで充分気が付くはずだ。

犯罪防止のために何か妙案はないものだろうか。

殺生な

2014年01月08日 | Weblog
殺生な

東電は一体どうするつもりだろうか。事故が起こった危険なときに決死の覚悟で作業してくれた従業員に、賠償金の一部を返還しろって。渡した物を返せというのは殺生な話だ。おそらく従業員はそれで自分を慰めたり,心の傷を癒やしたりしていただろうから。今更何をっていう感じじゃないだろうか。
こういう考えが人の心を読んでいない証拠だ。これでは従業員が離れていくのは、やむを得ないと思うが。こういうマインドで被災住民に対応していたら、いつか化けの皮があげるのではないか。誠心誠意と言ったところで、空々しくて言葉だけが空しく響くだけだ。

耳に響の悪い事は

2014年01月07日 | Weblog
耳に響の悪い事は

耳に響の悪い事はたとえそれが真実であっても握り潰される。握り潰そうという力が働く。事実に対する感情的な反発だ。
遠くは池田総理の、「貧乏人には麦飯をくえ」、といったセリフが思い出される。彼が言うように金ない人は米の飯より安い麦飯にせざるをいないのではないか。それは仕方のないことだ。金がないのだから。彼の言うように金のない人は麦飯を言わざるを得ないのである。しかしこの発言は轟々たる非難を巻き起こした。

近くは橋下大阪市長の従軍慰安婦に関する発言である。明日の命の保証がない兵士が求めていくところは従軍慰安婦だ。 慰安婦は戦争にはつきものだが特に韓国が声高に騒ぎ立てている。これはひとり日本だけの問題だろうか 。ヴェトナム戦争で出征した韓国人は似たようなことをやったに違いない。
たとえそれが現実でも、真実でも耳に聞こえの悪い物は非難の対象になる。どうしてなのか。そこは感情がついて行っていないのである。

黒田官兵衛

2014年01月06日 | Weblog

黒田官兵衛

今年のNHKの大河ドラマだ。彼は僕の憧れの人だ。生きざまの鮮やかさは憧れの的。
信長、家康、秀吉の3傑も一目も二目も置いていた。秀吉は自分の次の世を治める実力者は黒田官兵衛をおいて他にないといい、家康は官兵衛を人間的に中身の濃い人柄だと評している。
自分にそれだけの実力があるのに、天下人に天下を取らせて、あくまで脇役に徹するのが素晴らしい。秀吉が内心彼を恐れているのを察知するや、さっさと福岡に引退してしまう。

そんな彼らが晩年は不幸だなと思ったのは1人息子とそりがあわなくて疎遠だった。と何かので読んだ記憶がある。
そして50歳代だと思うがこの世を去った。もっともっと陽が当たっても良い人だ。
僕はバンコクへ向かう途中のJALの機内で官兵衛のビデオを見ていっそう彼のファンになった。

おろかな発言

2014年01月05日 | Weblog
 おろかな発言

安倍晋三首相の靖国神社参拝をめぐる、タレント・春香クリスティーンさん(21)の発言が物議を醸している。問題となったのは、参拝当日の2013年12月26日にテレビ番組で行った「もしもドイツの首相がヒトラーのお墓に墓参りをした場合、他の国はどう思うのか?」という発言だ。

 12月28日には韓国大手紙「朝鮮日報」の日本語版でも「靖国参拝:日本のタレントの発言で物議」と報じられ、いまなお火はくすぶっている。

抗議コメントはすべて削除
春香さんは12月26日の「情報ライブ ミヤネ屋」(よみうりテレビ系列)にコメンテーターとして出演した。この日のトップニュースは安倍首相の靖国参拝で、近隣諸国との関係悪化を懸念する論調で番組は進められた。

世の中には言って良いことと、不適切なことがある。現在の中国韓国との関係がうまくいってない情勢の中で、誤解を招くようなことは絶対に避けるべきだ。それはどういうことか、安倍総理の参拝は総理の真意如何に関わらず波風を起こしたじゃないか。その現実を目の前にして
よみうりテレビ系列)のテレビともあろうものが、誤解を招くような発言を許すとは。司会者や発言者の愚かしさは相当程度が悪い。

 

10-43神頼みしたことがありますか

2014年01月04日 | Weblog
神頼みしたことがありますか

今日の新聞には次のようなことが載っていたので、コメント書いておきます
いいえと言う人の理由は

1,もともと信心けがない

毎日自分の身に起こってくることを丁寧にその原因や結果を調べてみると必ず自分以外の大きな力の存在を知ることになると思いますよ

2,運命に逆らえない

僕は違うのです。人の運命は宿命と運命と言うものに分類し、運命は神の力によってつまり信心することによって変えられるが、宿命だけは神の力によっても変えることができないものである。と、考えているのです。

3,信心はあるがご利益は求めない

凄く立派なことだと思いますが、人間はすべて欲とふたりづれではないでしょうか。僕なんか欲と道連れでないと信仰はしませんよ。あくまで現世御利益主義者です

4人生の行く末は努力次第

確かにこういう一面はあります。けれども努力次第で全てが解決されるようなところにわれわれは住んでいるとは思えません。この世ではいくら努力してもどうにも成らないことが多いのではありませんか。

,5,願いがかなったためしがない
そういう思いもありますよね。しかしどれだけ必死になったかということが大いに問題になります。戦国武将、例えば上杉謙信などは毘沙門天を一心不乱に祈り、戦いを勝ち抜いたのです。元日は初詣するが、年末にその年の安寧にお礼参りしないようでは、願いは叶いますまい。

6,人生は今満ち足りてる

確かに今は満ち足りておられていても、それが永久不変に続くわけがないでしょう。人生の吉凶交互に全てきちっと現れるものだと僕は思います。

> 7,あてにできる神様がわからない

う~ん難しい。 おっしゃるとおりで、当てにできる神様と言うのは本当に探すことが難しい。ただし探し当てた人もいますよ。自分でこれだと決めて信仰することだと思います。

8,結果が不首尾だと落ち込む

どんなに信心していてもこーゆーことがよくあります。僕もよく実感するところです。しかしその時に悪い方の結果が後々では良い結果になると言うことも考えられますし、実体験することもあります。友人で僕と同じ学力で、僕は運良く合格したが、彼は落ちた。しかし彼は方向を変えて今では筑波大学の名誉教授です。人生はあざなえる縄じゃないですか。
不首尾が実は次の成功の土台になっていることだって経験することですよ。
9,その他
神を見いだすひと、途中で見失う人 はなから探そうとしない人、始めから拒否している人、どれも当人にとっては正解です。この種の問題では甲乙はないのです。つけがたいのです。
ただし信仰を持っている人の方が信用出来そうな気がします。

人間は1人ひとり違う

2014年01月03日 | Weblog
人間は1人ひとり違う

遺伝子、生育歴、環境、これらは千差万別であり、人は百人百様であり人間はみんなひとり一人違う。
万人に当てはまる共通項というのはあるのだろうか。一般化できても、それが万人に当てはまるかどーかはなかなか難しい。

そんなことを考えるより、ひとりで生まれてきて、 1人で生きて、ひとりで死んでいくことを考えた方が良い。

僕は今生きている。僕の人生を飛行機に例えるなら、完全に着陸態勢に入っている。車輪こそ地についていないが、悠々と飛行しているわけじゃない。だからこそいちにちが大切なのだ。
そう思いつつも、毎日怠けて暮らしている。夢はあるが、その実現のための行動が伴わない。また誰に助けを求めることもできない。ただ自分の道を1人黙々と歩いていくのみだ。