日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

3枚舌外交5-48

2019年05月22日 | Weblog

3枚舌外交

今日の中東情勢の原型を形作るのに解りやすい説明だから、インターネットから、引用します。


1,第一次世界大戦中、イギリスは、中東を支配していたオスマン・トルコと戦います。イギリスは、当時トルコの支配下にあったアラブ人を味方につけるため、パレスチナを含む地域が、戦後アラブ国家として独立することを認めると約束しました。このとき、イギリスから送りこまれた情報部員が、「アラビアのロレンス」です。映画で有名になりましたね。 アラブ国家建設承認。


2,その一方でイギリスは、この地域にイギリス寄りの国家ができれば、イギリスの国益が守れると考え、ユダヤ人グループに、ユダヤ人の「ナショナル・ホーム」を設立することを認めました。 イスラエルの建国承認。


さらにその裏でイギリスは、この地域を戦後支配するという秘密協定をフランスと結んでいました。このイギリスの三枚舌外交が、パレスチナ問題を複雑にしたのです 英仏の中東支配。


時の情勢に会わせて行う外交とはこんなものかもしれないが、素人の目には不誠実そのものに映る。国益を守り、さらなる権益を拡大すると言うのが外交の基本であろうが、これだけで突っ走ると戦争が絶えない。と言うことは罪のない多くの人が命を失う結果になることは、火を見るより明らかである。


これが紳士の国と言われるイギリスのすることか。紳士とは表面をうまく繕い、腹の中では死の商人まがいの汚いことを考える最も醜い人間のことか?
これを見ると、外交とは、はったりと、ダマしあいと、裏切りを含んでいて決してにこにこして握手をするものではない。お互いの不信感を隠すために握手いているのだろう。あるいは駆け引きの勝敗を見つめながら腹の探り合いをしているのではないか。
尖閣諸島問題で日本を弱腰と見たロシアは、直ちに北方領土を自国領にするべく動いた。大統領の訪問、とその宣伝、中国人、韓国人による北方4島の開発。
こういう状況を見ていると、日ロ友好どころか、ロシアに関しては、ますます嫌悪感を強める。ロシア外交は仕切り直しの転換期になっているのかも知れない。少なくとも現状を見る限り、そういう時期ではないかと思う。ロシアは日本に嫌悪感だけを残しつつ、平和条約を結ぶつもりなのか。だからロスケになるんだよ。


ご同輩5-50

2019年05月21日 | Weblog

     ご同輩


鏡を見ては、まるで敵討ちでもするかのような憎しみを込めて、一本、また一本と抜いていた白髪も、こう多くなると手の施しようもなく、後は白髪染めを使うことしか方法がないようだ。
暦年齢からすると、人生の折り返し地点を少し過ぎたくらいだが、白髪の数に反して僕は自分の人生にたいして、まだ充実感を味わっていない。
 天下取りのような、だいそれた野望など持ち合わせていないのだが、名もなき庶民の身にも、それなりの夢というものがある。毎日それを追いかけながら、齢を重ね て行くのが、大半の人間の実相というものであろう。
僕もささやかな夢を追い求めつつ、今日まで生きてきた。心の渇きは満たされないままに夜を迎え、朝に希望をつないで、日を送っている。
四十代というと、社会的にも、家庭的にも責任が重くのしかかる世代である。会社ではいやが応でも、責任ある立場に立たされ、家に帰るとローンの支払いやら、子供の教育やら、早いところでは、娘の結婚問題にも神経を使わなければならない。重い責任が二重にも三重にも、のしかかってきて、考えようによっては、大変な世代である。
これら物心両面の重責に耐え兼ねて、時々この世代の人達が蒸発する事件を新聞紙上で見かけるが、身につまされる思いがする。
しかし我々40代の誰もが背負っているこの宿命みたいなものを、投げ出す訳にはいかないから、つらいけれども、歯を食いしばり、明日に向かって頑張っているのである。

俳優の柳生博氏は僕と同い年であ・ R鬘近ごろ彼が新聞紙上で、ある眼鏡会社の宣伝をしているのを見つけた。腰の辺りまで水につかり、魚を釣っている彼の写真が大きく載っていた。よく見ると彼も白髪交じりである。我々みな同じなんだなーと僕は一人で苦笑した。
恐らく彼も仕事上の、あるいは家庭上の責任の重圧にあえぎながら毎日頑張っているのに違いないと思うと、遠い存在であった彼に、急に親しみを覚えるようになった。
新聞紙上の彼は我々同年配の世代に向かって“御同輩"と呼びかけているが、この御同輩と言う言葉の響きがいやに耳に付いて頭から離れなかった。御同輩か。眼鏡も、白髪もか。
フトンの上に寝っ転がって、この新聞の中の彼を見ていたら、ある詞が思い浮かんで来た。それは彼を反射鏡にして映した僕の心境でもあった。
        
ご同輩
          

(一)
長い時の流れの中にいて、いつの間にか白髪交じり
果てない夢を追い続け 幾春秋を 当てなくさまよう
・だけど、ご同輩 今こそ人生の 一番華やかな 潤いの時
地上に 花あり 天上に星あり
           (二)
いつの日か 大空を駆け巡る わずかな望みを 追い求め
昨日の憂いを 心に残し 今日も見果てぬ 夢を追う
だけどご同輩 今こそ人生の一番すばらしい、潤いの時
あせるな、あわてるな、道は まだはるか
     (三)
流れ去り行く 無言の時 静かに響く 鐘の音
短い年月、果てない悩み 昨日も 今日も また明日も
だけど ご同輩 今こそ人生の 一番楽しい 潤いの時
外には 友あり 内には 女房あり。

もともと僕の心情を詞にしたものだから、これに曲をつけることはたやすいことである。
 我々世代に向けての応援歌を作るつもりで作曲してみた。
詞の内容からすると、当然我々男性、40代の世代に共感を得ると思いきや、この作品はもっと若い世代にも共感を呼ぶら ネしい。特に三十代後半のミセスに受けたのには驚いた。きっとそろそろ倦怠期を迎えつつある奥さんがたの、ハートをゆさぶるような甘い声の歌い手がこれを歌っているから、うけているのであって、作品の内容からすると詞も、曲も若奥さんに受ける要素は何もないように思う。
 作曲するに当たってはいくつか注意したことはあった。
四十男の人生の悲哀を前半で歌い上げ、ご同輩、という行(くだり)から短調を長調に転調して、曲想を明るくして希望の感じを出してみた。
ごく最近の事であるが、ある長寿者に
「あなたは自分の人生のなかで、何歳くらいの時が、最も充実して楽しかったか」 というアンケートの集計をしたら、四十代から五十代も最もすばらしい、という答えが圧倒的に多かったと新聞は報じている。


 人生の甘いも酸っぱいも、解りかけてくるのは、やはり四、五十年生きて ネみて、というところなんだろう。実態としては存在しても、表面に浮かんで来ない、人生の本質的な部分まで見えてくるのは、人の親になって少なくとも、20年はかかるというのであろうか。苦も多いが、今まで見えなかったものが見え出すということでは、確かに人生においては一番すばらしい時であり、かつ一番潤いのある時節なんだ。
  見果てない夢を追い求め、幾春秋を当てなくさまよい、いつの日が大空を駆け巡ろう。
悩みは果てなく尽きぬとも、ご同輩よ、地上には花が、そして天上には星があるではないか。 酒酌み交わし人生を語れる友もいるし、家では女房と子供があなたをの帰りを待っているではないか。
さあ、元気を出して、声高らかに、明日に向かって突っ走ろう。
きっとお主の人生が琥珀色に輝くときがくることを信じて。
 また明日も頑張ろうじゃないか。 御同輩。


 


三夕の詩

2019年05月19日 | Weblog

三夕の詩

見渡せば花ももみじもなかりけり
浦の苫屋の秋の夕ぐれ   ( 藤原定家〉

さびしさは其の色としもなかりけり
まきたつ山の秋の夕暮 ( 寂連法師)

 

心なき身にもあわれは知られけり

鴫たつ澤の秋の夕暮(西行法師)
武田朱仙作曲集より


季節外れだがこんな美しい歌があるので書き出した
ケロ正は物悲しいモルで書いた


5月の風

2019年05月18日 | Weblog

5月の風

ちょっと暑いかなと思うが,冷房はまだ入っていない。.

 季節的には暑くなく寒くない上に、青葉若葉を通して青空が見える。

自然は最大のサービスを提供してくれているのに、体調が悪いばかりに、

この自然を満喫できない。悔しいことだ。


妻の取説

2019年05月16日 | Weblog

妻の取説  朝日新聞夕刊の3面記事に,妻との関係取説の文字が躍っている .面白い。即座に反応。 妻を操縦する取扱説明書と適当に解釈して、駄文を書く。

二人で大阪の繁華街心斎橋や道頓堀をぶらぶら歩きしていると、行き交う人の群れの中に金髪、色白、スタイル抜群の北欧系のヤンギャルが目についた。

滅多に実物は見られないので、物珍しいそのスタイル の美しさに思わず見とれてしまって足を止めた。

「何をしてるのよ。どっち向いてるの。!!!!!!!。」 言葉はとげとげしい。怒気を含んでいる。   相棒は確かに気を悪くしたのだろう、一瞬にして機嫌は悪い。 こちらは反論する。

「きれいな若い女に見とれて何が悪い?。 男が若い女の子に見とれるのは自然な事よ。俺だって男だ。」

「何言ってるのよ。歳を考えなさい。自分のことをいくつだと思っているの?」

 「恋は思案の外っていうじゃないか。別に恋したわけでもないのに。 通りすがりの美人を鑑賞しただけだ。それが何が悪い?」  

 「あんた。横に誰がいると思っているの。私はアンタの妻です。 家内がそばに居ることを知っていて、浮気するつもり?許さないからね」

「何言ってんだ。年甲斐もなく焼き餅を焼いて。ここは人通りも多い。人に見られたらわらわれるぞ。」  

「悪いのはどっちなの?。あんたじゃないの。自分がけんかの種をまいておいて、その言い方は何よ」

喧嘩口調の会話はとまりそうにない。  

 やはり妻との関係の取説を今一度読んでみる必要がある。

 そう思ったので口を詰むんだ。新聞に虚を突かれた感じ。


9-27無責任にならないと生きていけない?

2019年05月16日 | Weblog


無責任にならないと生きていけない?


新聞の報ずる所によると、今後は100万人生まれてくるが、死んでいく人が150万人から200万人になるという。


江戸時代飢饉が発生して人口減少して2000万人台になったことはあるが、それから徐々に人口は増えて、今日では1億2000万人にもなった。しかし
2010年辺りがピークで徐々に減り始め、8000万くらいまで減少するのではないかと言われている。


その辺りを見越してか、どうかは知らないが、少子高齢化が毎日、どこかの紙面に踊っている。少子化担当大臣も生まれ、不評な子供手当まで、実施されるようになった。子供を産んで、育てて欲しいというメッセージである。ところが実情はこんな苦しみの多い世の中で、結婚さえまともに出来ず、ましてや子供なんてと考えている人が増えている。


思うに日本の国、開闢以来の経済発展を遂げた、昭和時代の高度成長の果実はどこへ行ったのか。何に使われて無くなったのか。
ふたを開けてみると、1400兆円の借金があるという。戦後賠償だの、国際協力だの、発展途上国への経済援助だの、自由世界第2位の実績を誇っていたが、ふたを開けてみると、1400兆円の借金だけが残っている。 一体これはどういう事だ?


国民の富は60才以上の高齢者が握っているという。これは事実かも知れないが、じゃ後30年経って、今の高齢者が全部あの世に行ったら、借金残高は減るのかというと、そういう答えは出そうもない。1945年太平洋戦争が終わったとき、丸裸に近い状態から60年ほどかけて世界第2位の経済大国になったと言われたが、
その実情は借金大国だったのか。


税収が40兆円で歳出が90兆円の予算が決定されそうだ。これだから財務省にはまかしておけないのである。やはり、国家予算は経営者例えば松下幸之助のような人(プロ経営者)にやって貰わないと、経営実態の判らない役人が、政治家と組んでどのように智慧を絞ろうが、経営感覚欠如は免れまい。そして後に残るのは、借金だけである。これは国民負担となってつけが回ってきて、庶民は重税にあえぐことになる。


政治家なんて、丸で信用できない。国家経営の知識も経験もなく、その技量もなく、有るのは口先と名誉欲ばかりである。民主党も野党も政治家と名のつく人で敬意を払うような人物は見あたらない。
風向きによって右往左往する未熟人間ばかりが目立ってしようがない。


あーあ。ため息が出る。今から1300年あまり昔に山上憶良によって読まれた 「貧窮問答歌」でも読んで、今夜は寝るとするか。


9-28大学に就職を断られて

2019年05月15日 | Weblog

 大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、多くの大学に就職を断られて追い詰められた女性が、43歳で自ら命を絶った。


インターネットから引用


こんな事件が起こるなんて、先進国であると自称する我が国で起こっていいものだろうか。


マスターにせよ、ドクターにせよ、あるいはオーバードクターはそれなりの勉強をしているはずだから、貴重な人材として活用できないもんであろうか。 週1駒しか持てないなんて、小学校の教員以下である。


時給換算でいくらになる?1駒90分働いて月4回 だったら2万円か3万円位しかもらえないだろう。それも10駒や20駒もてば生活も成り立つが、10駒以下では生きていけない。研究どころの話ではない。


是は国家的な見地から文科省あたりが、将来に向かってどう活用するか、根本的に考えて雇用活用を計画立案すべきことだ。


我が国にとっては貴重な人材だ。  自己責任に任せて放置しておくことは国家的ロスである。


                  


 


 日本維新の会の丸山穂高衆院議員(35)

2019年05月14日 | Weblog

 日本維新の会の丸山穂高衆院議員(35)=大阪19区=が北方領土返還について

「戦争をしないとどうしようもなくないか」などと発言した問題について。

東大卒経産省で役人をしていた経歴からみると、馬鹿ではないのだろう。が、

如何せん常識バランスが完全に崩れている。

東大卒には時としてこう言う非常識な人間が出現する。鼻つまみ者だ。

東大卒の頭には期待しても、全人格が勝負のコノ世の中では、

知能指数だけではどうにもならない。本人が一番わかっていなければならないことだ。

酒の勢いでなんて言うのは、甘えの最たるものだ。どうして自分の立場を考えて

立ち居振る舞いが出来ないのだ?

ついでに言えば維新はたるんでいる。橋本原点に立ち返り箍を締め直せ。

人選がまずいのか、くだらんことで馬脚を現して失脚する人間が目立つ

もっとしっかりした人物を選べ。さもないと維新全体の評価が地に落ちるぞ


,猛獣的バイタリティー5-51

2019年05月12日 | Weblog


,猛獣的バイタリティー


「馬鹿なことを考えるな !!!.そんなことで、人の心を打つ作品がかけると、君は思うのか、あまいことを考えるでない。」
先生は体を震わせて大声で、怒鳴られた。私はびっくりした。目から火が出ると言うのは、こういうこと言うのか。たったこれぐらいのことで、こんなに怒られるとは思ってもみなかった。意外にも意外。
 先生はぎょろ目でじっと私を見すえて、怒られる。らんらんと輝く目から発せられる怒りの炎が、私の胸に突き刺さる。私は何とかして先生の前から姿を消したかった。しかし逃げるわけにもいかず、私はただうなだれてうつむいている以外には、どうしようもなかった。
口もスムーズに、回らない不自由な身の先生の、どこにあんな激しいエネルギーが潜んでいるのだろうか。


[先生。まず生活だと思います。生活をキチットしておいて、そのあと時間ができたら、ぼつぼつ作曲でも始めようかと思います。]
と私が何気なく言った。この一般世間では常識的な発言が、どうして先生の逆鱗に触れたのだろうか。私は理解に苦しんだ。
察するに、先生は私を一人前の作曲家にしてやろうと力を入れておられたのであろう。私はそれに応えることなく、気のない返事をしたから、先生はカッとなられたのであろう。さもないと、わざわざ当時、私が住んでいた大学の寮まで、至急電報をよこされて、自宅に私を招かれることは無かったであろうから。


 表面的には一見華やかな芸術家の活動も裏に回れば、命を削る思いをして一つの作品ができあがるのに、暖衣飽食とまでは言わないが、それに近い状態を作ることに全力を傾けて、しかる後に余力があれば趣味的な感覚で、人の魂を魅了する作品を書きたいとする私の虫の良い考えをこっぴどく叱責されたのであった。


 先生は常日頃、「猛獣的バイタリティー」という言葉をよく口にされた。そして先生は、この標語を己の生活信条とされていたのであろう。あらゆる困難を乗り越えて、日本の音楽界の草分け的存在となられた先生である。後に続くものはビートン・トラックすなわち踏みならされた道を、走りさえすれば、それなりの成果が出るように、猛獣的バイタリティーで、西洋音楽を受け入れられるように、楽団も聴衆をも耕されたのだろう。
いわば、日本の近代音楽は、山田先生の猛獣的バイタリティーが、ブルドーザーとなり、その整地された基盤の上に初めて成立したといっても過言ではない。


 クラシック音楽は言うに及ばず、演歌まで(みそらひばり用の演歌も作っておられる)およそ音楽のあらゆる分野に手を染めておられる先生には、ずいぶん困難があったはずである。事実、私は先生が高利貸から借金されていたことまで耳にしている。
私は今まで生きてきた自分の経験に基づいて「恒産なければ恒心なし」と固く信じていたから、先生の住んでおられる、芸術の世界のことはよく分からなかった。が、この地上に住んでいる限り、恒産がなければ、火宅の人にならざるを得ないのが人の常だ。考えてみると先生もやはり、ご自身の猛獣的バイタリティーのゆえに、火宅の住人だったのではなかろうか。
いやいや、先生は「良い芸術作品を世に出すと、それだけでちゃんと日常生活成り立つものである。だからまず良い作品作りに専念せよ」と教えたはずだったのに、私はまず日常生活をきちっと成立させたうえで、誰に遠慮な、く全く私の自由意志で、作品を作ると平然と答えてしまったのであろう。きっとこのことが先生のカンに触ったに違いない。


 結論から言えば同じであっても、主と客を転倒すると、作曲する場合の信条はまるで違うはずである。
古来、世界に名曲を残した有名な音楽家たちは一様に貧乏暮らしの中に、不朽の名作という花を咲かせた。
ベートーヴェンも、モーツァルトも、シューベルトもフォスターも私の目から見れば、みな火宅の長屋の住人である。しかし、彼らは芸術という意欲のために、あえて火宅の人となり、それ故に不朽の名作を作り得たのかもしれない。
とすれば、日本が生んだ偉大な天才・山田耕筰先生もまた、自己体験を通して貧乏神にとりつかれながら、名作を生み出すことが、真の作曲家であると固く信じておられたことだろう。


だから私のような小市民的、常識的発言にうんざりされたのだろう。私は自分を山田先生のような多才の人とは思えない。私が内に秘めているバイタリティは先生の猛獣的バイタリティーに比べれば、ものの数には入らない。同じく人として、この世に生まれながら、大きな違いである。


 母は私をこの世に送り出すときに、この大きな違いを認めたであろうか。それとも先陣を乗り越える力を私にあたえてくれたのだろうか。
もし母がその力を授けて私を産んでくれたのなら、私は山田先生の猛獣的バイタリティーに対して、これからも頑張らなければならないと思う。


 30年の歳月経て、私は今鮮やかに思い出した。だらんらんと輝く目を。
後にも先にも、あんなに異常なエネルギーを発する目を見たことはない。
私が縮みあがったのは、恐怖心からではなく、異常なエネルギーが発する目、そのものに恐れをなしたのである。


 


木の中に鎮まります仏達5-52

2019年05月11日 | Weblog

木の中に鎮まります仏達


神戸の六甲山の西側に再度山がある。その山中に大龍寺というお寺がある。
この寺でお不動様を新しく彫刻されて、安置され慶讃法要が営まれた。
もう30年ばかり昔の話だが、大龍寺のお嬢さんが声楽家でフランスかイタリアに留学した、ぱりぱりの声楽家だった。当日僕の音響がいまいちで声楽家の力が十分発揮できていなかった。悪いことをした。
法要も何とか無事に済んで、大広間で宴会になった時、運良く僕は仏師と隣り合わせになった。仏師は僕に説明した。


彼が言うにはこの尊像を彫像するのに、朝4時に起き、般若心経を100回以上唱えながら、井戸水を何百回かかぶり、その行がすんでから、彫刻に取りかかると言う。
そういう修行を幾日か続けているうちに、この不動尊像は、大きさが直径約2mの大木の中に鎮まっておられるお姿が、木の中に見えてくる。その見えている像を木から取り出したものだという。見えている姿に合わせて、余分な木を削り取れば、中からお不動さんがお出ましになる。それをここまで運んで、今日は台座に座っていただいた。まあざっとこんな話だった。


僕もこの不動讃歌を作るにあったっては、ご真言を何回か唱え、浮かんできたメロデイを五線紙に乗せて作曲した。心の耳を澄ませばなんかしら聞こえてくる。
身を清め潔斎をしてと言うことはしないが、この曲をお不動さんからいただいた。もちろんここのお不動さんについては、弘法大師が遣唐使になって船出されるときから、帰国されるまでの航海の安全を祈願されたという言い伝えはよく調べたと、作曲に関する説明はした。
木の中にお不動さまが鎮座され、その姿に合わせて、余分な木を取り除くと像になるという話。恐らく一般人にはわからないだろう説明で、恐らく実感としては受け入れがたい話であろう。


ところが昨日図書館で借りた西岡常一さんの「木の心仏の心」に出てくる松久仏師も木の中に仏様があり、それが見えるので、余分な木を削り取れば仏様(仏像)が現れると書いてあるのを読んで、究極の職人は心眼でものを見るのだと納得した。
仏師のみならず、特別な職人は魂でものを見ながら、仕事を完成させるものだと感心した。
昨今はすべてコンピュターに頼り、同じようなものを短時間で安価に作り上げるシステムが一般的だが、同じものを作っても、人間の手によるものと、機械が作るものとでは魂がこもっているか、いないかの違いが出てくる。


職人魂から生まれたものには生命が宿っている。西岡棟梁が言いたかったことはこういうことではなかったか。 近頃にない感動を覚えながら「木の心仏の心」を味読した。なお西岡師は代々続く法隆寺の宮大工の棟梁である。


摩訶不思議

2019年05月10日 | Weblog

摩訶不思議

東日本大震災の苦難から、命からがら逃げた人の仲には、将来の見通しが立たずみずか命を絶った人が現れ始めた。

今回の事故に直接責任を持たなくてはならいのは、東電と政府だけれど
加害者側に廻ったものの中で自殺したものはいない。
心の芯から責任を感じるならば、加害者側に廻ったうちの中から幾人かは
申し訳ないことをしたとわびて切腹しても良さそうに。
そうした責任を感じてという人士は見あたらない。

そして被災者は生活が立ちゆかず、将来の見通しも全く立たないところに追い詰められて、自殺に追い込まれている。
ところが人に死ぬような絶望や苦しみを与えておきながら、のうのうと生き延びている加害者側の人間が誰一人として自殺しない。自殺するのが必ずしも良いとは思わないが、責任感の自覚が希薄すぎる。

無責任というのか、恥知らずというのか、厚顔無恥というのか、人間的なレベルが低いというのか。僕が思うに摩訶不思議である。


歴史上の名言を味わう8-46

2019年05月09日 | Weblog

歴史上の名言を味わう


「ぜひに及ばず、   織田信長」
信長という人物をよく知るわけではないが、単純明快でいかにも信長らしい
おそらく並外れた非常識人でお付きの人は大変だったろう。


「筑摩江や 芦間に灯すかがり火と ともに消えゆくわが身なりけり、石田三成」


「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。 杉原千畝 」


いいえ本国の意志に反して、人道を貫くというのは、大変勇気のいることです。
貴方によって、ユダヤ人が五千人以上、命を救われたのです。国命か、人道か。あなたは素晴らしいことをされました。無残に消される命と、ドイツに加担した日本政府本国の命令と、その重さを考えるとき、私ならどちらを選んだだろうか。
躊躇無く貴方のような決断が出来たかどうか。迷うところではあります。


でも最終は貴方の下した結論に、達したかも知れません。だがこれは、机上で考えたことです。実際のところ、自分の事ながら、迷い廻ってどういう事になるやら、判りません。ただ僕は貴方の、この決断と行為を高く評価いたします。


「私は大人げないことに、最後まで上杉謙信に頼るということを言わなかったため、和議を結ばないままに終わった。お前は必ず上杉謙信に敬意を表して頼りとするがよい。上杉謙信がそのように評価してよい人物である。  武田信玄」


そうだと思う。もし勝頼が謙信を頼っていたら、日本の歴史、とりわけ戦国史は変わっていた事だろうよ。謙信は信玄が言うように、歴史的に見て頼りがいのある人物だ。と僕も思う。


「孤軍助け絶えて俘囚となる。顧みて、君恩を思えば、涙。さらに流れる。また、義を取り、生を捨てるは我が尊ぶところ。快く受けん 電光3尺の剣
ただ、まさに、1死君恩に、報いん 。近藤勇」


近藤さん。赤心はいい。誠こそ、そして報恩こそ男子の本懐かも知れないが、
方向が違うのじゃないの。歴史の流れを食い止めようとしたって、そりゃ無理だろう。冷静に歴史の流れを見なくちゃ。暴虎馮河になってしまうよ。


我人に媚びず、富貴を望まず、 黒田官兵衛
あの世のことはなるに任せて


聖徳太子も素晴らしい。だがより身近な人として、如水の生き方を生きようとおもう。特に地獄極楽を詮索せず、「あの世のことはなるに任せて」と言う言葉が良い。


経団連会長に物申す

2019年05月08日 | Weblog

経団連会長に物申す

終身雇用制度は限界に来ていると経団連会長はいう。

1、現代は事業転換が進み、自分の仕事がなくなるという、現実にいつも直面している。

2、転換すると内部要員となるか、外部即ち、希望退職者や出向して働いてもらうほかはい。

3、駄目になりそうな事業を残すことは被雇用者にとっては一番不幸だ。

 要旨は以上のような持論らしい。だから終身雇用は限界に来ているという。

しかし僕はこの主張に真っ向から反対する。

終身雇用制度だったから、労働者は身を預けて仕事をしたのだ

それが今日の繁栄のもとだったのではないか。

業転換に都合のよい雇用制度では、経営者にとっては都合が良いかもしれんが、退職を迫られる労働者や出向を迫られる従業員は、場合によっては生活の基盤を失い賃金低下を迫らる。

そんな状況の中で、果たして忠誠心 を誓えるか。どうして帰属意識を求めるのか。

安定しない職場だったら本業に力を入れるより、自ら条件の良い就職先を探すことに汲々として、仕事に実が入らない事態が起こりうる。

企業への忠誠心が低下して、業績が思わしくなくなるだろう。

いくら経営者が優秀であっても従業員の士気が上がらなければ経営がうまくいくはずがない 。

本来経営者が終身雇用を目指して頑張るから、転職などに目を向けないように 、労働者の生活保障は俺が責任をもって経営するから協力してくれ、というのが本筋ではないのか。経営責任とはこういうことを指すのではないか。

これらの発言は、心ある経営者からは顰蹙を買い、労働者からは企業の参加意識の低下を招きかねない発言だ。

まりレベルの低い経営感覚だ。経営というのはもっと重いはず。稲盛さんに弟子入りして一から勉強し直したらどうだ。

追加

彼は先日も理解に苦しむ発言をした。

議論したいといいながら、反対意見の人とは議論しても意味がないという。

議論の意味が分かっているのか。賛成反対があるから議論が成立することがくらいわからないのか?これで経団連の会長だからね。会長にふさわしいまともなことを言ったらどうだ。