■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市3-2 上杉謙信公祠堂跡
「旅は道連れ、世は情け」といいますが、私のライフワークは【カシャリ! ひとり旅】です。
とりわけ、寺社や庭園は、私の旅心、カシャリ心をくすぐります。
皆様にお見せしたいような写真を撮るのが趣味というわけではありません。
私の生きた足跡を、写真という媒体を通じて記録しておきたいという気持ちからのカシャリです。
素人写真ですが、読者の皆さんの中に、写真やたびの思いをご覧になって、「行って見たい」という気持ちになられたら幸いです。
米沢市 3-2 |
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公式サイト パンフレット 関連記事(秘) | |||
■ 米沢市(よねざわし) 山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。 鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。 米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。 また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。 |
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米沢市資料より |
上杉謙信公祠堂跡 | |
上杉家初代・上杉謙信の墓が納められていました。 現在は、墓所は、上杉家廟所に移されています。 舞鶴橋を渡ってすぐ左側 石段を登ると謙信公祠堂跡 |
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上杉謙信公祠堂跡 明治9年(1876年)上杉謙信の霊柩を御廟所中央に奉遷するまで ここに安置されていました。 明治24年(1896年)祠堂跡に遺跡碑が建立されました。 ここからは伝国の杜を見下ろすことができます。 |
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公祠堂跡に立つ碑 |
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祠堂碑の北隣に植えられたサクラ |
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桜の横にある登ってきた石段を下ります。 中央には、松岬神社角の大銀杏が見えます。 その手前は、舞鶴橋です。 |
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上杉謙信公祠堂跡から見た上杉博物館 |