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■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】106 新ブランドのサンプル送る「トランクショー」で成果 1303

2021-07-31 12:01:00 | 【経営】 成功企業・元気な会社・頑張る社長

■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】106 新ブランドのサンプル送る「トランクショー」で成果 1303

 経営コンサルタントを40年余やってきた経験から、すこしでも皆様のご参考になればとお届けしています。

 成功企業・元気な会社・頑張っている社長】は、皆様から寄せられたり、私が支援したり、見聞したりした企業の事例を紹介していますが、お陰様で、毎回拍手をいただいています。

 また、あなたのクライアント・顧問先やお知り合いの会社で、ここで紹介したい企業・団体等がありましたら、是非ご連絡ください。

■ 新ブランドのサンプル送る「トランクショー」で成果 1303 

 宮城興業(山形県南陽市)は1941年、宮城県仙台市創業の靴メーカーだ。戦前は軍靴を手掛け、疎開先の山形で戦後に民需へ転換。1969年に革靴の本場・英国のバーカー社と技術提携を結び、高級靴の代名詞とされる「グッドイヤーウェルト製法」による革靴などを全国500店以上の取引先に提供している。

 「多品種・小ロット生産」が可能なため、他社ブランドの受託製造(OEM)のほか、近年は自社ブランドのEC展開にも力を入れていたが、新型コロナウイルス感染症の影響で多くの取扱店が休業し売上が大幅に減少。OEMも販売店の見込みが立たないことから受注減となった。ダブルパンチで今年5月以降の工場稼働率は前年同期比で半減。取扱店舗の営業再開後も前年に比べ7割程度で推移している。

 そこで工場稼働減で空いた時間を活用し、社長や職人を講師に、従業員向けのスキルアップセミナーを開講。技術の習得や維持、次の商品開発のための新たな技術開発に取り組み、新規で自社ブランドを5つ創出した。カタログやSNSを活用したプロモーション方法も見直し、マーケティングを再考した。

 手応えを得たのは「宮城興業版・トランクショー」だ。トランクショーとは本来、特定ブランドのスタッフがトランクに入る程度の自社製品を持ってホテルなどの会場を訪れ、顧客を招待して行う展示・受注会のことだが、コロナ禍で県を跨いだ営業ができないため、新たに立ち上げた新ブランドのサンプルをトランクに詰め、ショー開催を希望する店舗に送り、ミニ展示会的なイベントを行ってもらった。

 コロナ禍で余裕がない店舗は、お金をかけずに売上を上げる方法を模索していた。トランクショーなら在庫リスクを抱えず、既存顧客への新提案のほか、新規顧客獲得のための幅広いブランドを提案できる。当社はSNSを使った周知活動での支援を行い、サンプルの行き帰りの送料を負担する。店舗側にはほとんどリスクが無い。9月に開始したところ、全国約500店の取引先から引き合いが相次ぎ、いまでは毎週どこかの店で何らかのブランドのトランクショーが開催されている。

 その結果、取引先1店舗あたりの売上が増加し、新規の取扱店を開拓できたし、当社の新ブランドを知ってもらうことで既存取扱店舗の取扱いアイテムが増加した。取扱店舗とのコミュニケーションが密になり、ニーズをつかむこともできた。なによりの収穫は営業マンが現場に行かなくても売上を上げられることが分かったことだ。

 トランクショーの成果を機にインターネットやIT技術を活用したデジタルマーケティングに力を入れ、非対面型のコミュニケーションを強化し、激化するビジネス環境に対応できる会社を目指すつもりだ。

 

  出典: e-中小企業ネットマガジン掲載承認規定に基づき作成

 

 
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■【きょうの人】 0731 ■ ウィリアム・スミス・クラーク博士  少年よ大志を抱け

2021-07-31 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0731 ■ ウィリアム・スミス・クラーク博士  少年よ大志を抱け

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ クラーク,ウィリアム・スミス 少年よ大志を抱け

 

 William Smith Clark
 1826年7月31日- 1886年3月9日

 アメリカ人の教育者であり、化学、植物学、動物学の教師でもあります。農学教育のリーダーで、1876年(明治9年)札幌農学校(現北海道大学)を開校し、初代教頭を務めています。

 同大学では、専門の植物学だけでなく、自然科学一般を英語で教えたといいます。

 この他、学生達に聖書を配り、キリスト教についても講じ、のちに学生たちは「イエスを信じる者の誓約」に次々と署名し、キリスト教の信仰に入る決心をしました。

 日本ではクラーク博士として知られ、日本人から見るといわゆる「お雇い外国人」のひとりといえます。

 札幌農学校1期生との別れの際に、北海道札幌郡月寒村島松駅逓所(現在の北広島市島松)でクラークが発したとされるクラークの言葉が、よく知られています。

  「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」として知られていますが、クラークの離日後しばらくは記録したものがなく、後世の創作によるものだと考えられた時代がありました。

 1期生の大島正健(後の甲府中学校(現甲府第一高等学校)の学校長)による離別を描いた漢詩に、「青年奮起立功名」とあることから、これを逆翻訳したものとも言われました。

 しかし、大島が札幌農学校創立15周年記念式典で行った講演内容を、安東幾三郎が記録しています。安東が、当時札幌にいた他の1期生に確認の上、この英文をクラークの言葉として、1894年ごろに同窓会誌『恵林』13号に発表していたことが判明しました。

 安東によれば、全文は「Boys, be ambitious like this old man」であり、これは「この老人(=私)のように、あなたたち若い人も野心的であれ」という意味になります。

 

 北海道大学で 【カシャリ! ひとり旅】

 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/hokkaido/hokkaido-sapporo/hokkaido-sapporo04.htm

 

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 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

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■【きょうの人】 0730 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

2021-07-30 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0730 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

 まつだいら のりやす
 寛延元年(1748年)-文政9年6月26日(1826年7月30日)

 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中で、美濃国岩村藩主で従四位下・侍従の官位を賜っています。

 丹波国福知山藩5代藩主・朽木玄綱の八男として誕生しましたが、先代藩主・松平乗薀の長男の乗国、次男の乗遠がいずれも早世し、玄綱が初代藩主・乗紀の息子であったことから養子に迎えられ、養父の隠居により家督を相続しました。奏者番、若年寄、大坂城代、西丸老中などを歴任しました。

 1826年(文政9年) 6月26日に、老中在職のまま死去しました。享年78歳でした。

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■【きょうの人】 0729 堀田 正英  江戸時代前期の大名、常陸北条藩主、綱吉の子の守役

2021-07-29 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0729 堀田 正英  江戸時代前期の大名、常陸北条藩主、綱吉の子の守役

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 堀田 正英  江戸時代前期の大名、常陸北条藩主、綱吉の子の守役

 

 ほった まさひで
 寛永15年(1638年)-貞享5年7月3日(1688年7月29日)

 江戸時代前期の大名、常陸北条藩主で、江戸幕府の若年寄も務めました。

 寛永15年(1638年)、信濃松本藩主・堀田正盛の四男として生まれ、寛永18年(1641年)、第3代将軍・徳川家光の小姓となりました。

 万治2年(1659年)に、中奥の御小姓に任じられ、寛文9年(1669年)に小姓組番頭に任じられ、頭角を現してきます。

 その後も、書院番頭、大番頭と要職を歴任するようになり、延宝8年(1680年)には第5代将軍・徳川綱吉の世子・徳松の守役に任じられました。

 その後、若年寄に任じられ、1万3000石大名となり、常陸北条藩主となりました。

 貞享5年(1688年)7月3日に死去、享年51才でした。

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■【きょうの人】 0728 江戸川 乱歩 日本に推理小説を知らしめた作家・評論家

2021-07-28 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0728 江戸川 乱歩 日本に推理小説を知らしめた作家・評論家

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

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 江戸川 乱歩 日本に推理小説を知らしめた作家・評論家

 えどがわ らんぽ
 1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日)

 大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家です。

 戦後は推理小説専門の評論家としても知られています。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所に勤務していたという経歴を持っています。

 本名は平井 太郎(ひらい たろう)で、日本推理作家協会初代理事長を務め、位階は正五位、勲等は勲三等です。

 ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来するということは、推理小説にご興味のある方であれば、想像がつくでしょう。

 三重県名賀郡名張町(現・名張市)で、名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれました。平井家は武士の家柄で、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤め上げました。

 1917年(大正6年)11月、鳥羽造船所電機部に就職し、庶務課に配属されました。技師長に気に入られ、社内誌「日和(にちわ)」の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に従事しました。

 1923年(大正12年)、『新青年』とう雑誌で、『二銭銅貨』でデビューしました。欧米の探偵小説に強い影響を受け、本格探偵小説を志し、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残したのです。

 江戸川乱歩の小説は色々な形で出版され、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」(全30巻)、創元推理文庫(全20巻)をはじめいろいろな形で出版されました。

 助手の小林少年が登場する名探偵・明智小五郎シリーズは、コナン君にも通ずるものがあり、少年達の心をわしづかみにしました。

 

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■【きょうの人】 0727 ■ デュマ 椿姫を代表作とするフランスの劇作家 ■ 良忠 鎌倉時代中期の浄土宗の僧

2021-07-27 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0727 ■ デュマ 椿姫を代表作とするフランスの劇作家 ■ 良忠 鎌倉時代中期の浄土宗の僧

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 良忠 鎌倉時代中期の浄土宗の僧

 りょうちゅう
 正治元年7月27日 - 弘安10年7月6日 (1199年8月20日 - 1287年8月16日)

 鎌倉時代中期の僧で、浄土宗第3祖、諱は然阿(ねんな)、記主禅師の諡号が滅後7年の永仁元年(1293年)に伏見天皇より贈られています。

 善導寺にて『末代念仏授手印』などを授かり、『領解末代念仏授手印鈔』を著して弁長の印可を受け、学問的な後継者となりました。

 信濃国に向かい善光寺に参拝したりしています。建長元年(1249年)には利根川に沿って関東に下り下総国の教化をはじめ、翌年には『浄土大意鈔』を著します。

 そして、浄土宗学の基本となる『決答授手印疑問鈔』や『観経疏伝通記』などを著し、各地で講義を行いつつ弟子の育成に努めていました。しかし、正元元年(1259年)外護者の椎名八郎と衝突し、数人の弟子を連れ匝瑳南条荘を去って鎌倉に入りました。

 鎌倉では、大仏勧進聖浄光の坊に仮寓し一時をすごしましたが、大仏朝直の帰依を得て佐助ヶ谷に悟真寺を創建しました。朝直の子時遠から悟真寺坊地や寺領の寄進を受け経済的にも安定し、専修念仏の指導的な立場に立つとともに、他宗の僧侶からも高い評価を受けました。

 建治2年(1276年)には、弟子の要請によって上洛し、間もなくして紫野門徒源智の弟子であり、百万遍知恩寺3世の信慧と東山の赤築地(あかつじ)において談義を行っています。

 弘安9年(1286年)、当時混乱していた浄土宗の統一に尽力し、鎌倉に戻った良忠は、長男の良暁に浄土の奥義を伝授し、弘安10年7月6日(1287年8月16日)、89歳で入寂しました。

 


■ デュマ 椿姫を代表作とするフランスの劇作家

 アレクサンドル・デュマ・フィス(Alexandre Dumas fils)
  1824年7月27日 - 1895年11月27日

 フランスの劇作家、小説家で、父(大デュマ)と区別するために「小デュマ」、またはフィス(息子)を付けて呼ばれます。

 ロマン主義演劇の大家であった父の影響を受けながらも、小さな世界を写実的にしっとりと描く作風が特徴です。

 パリに生まれ、充分な教育を受けました。

 若い頃は、父親の金で遊び呆けていましが、1844年暮れ、20歳の時に7人もの大金持ちのパトロンを持つ高級娼婦(クルチザンヌ)マリー・デュプレシと出会い、恋に落ちました。

 マリーは間もなく病死するのですが、1848年に彼女との思い出を小説『椿姫』として書き上げて出版し、これがデュマの代表作となりました。翌年、その戯曲版を執筆して大成功に収めます。

 パリの演劇界で絶大な影響力を持ち、経済、文学両面でも大成功を収め、フランスの国立学術団体でありますアカデミー・フランセーズ入り(座席番号2)も果たしました。

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■【きょうの人】 0726 隆光 知足院を護持院と改称してその開山

2021-07-26 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0726 隆光 知足院を護持院と改称してその開山

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 隆光 知足院を護持院と改称してその開山

 りゅうこう
 慶安2年2月8日(1649年3月20日)-享保9年6月7日(1724年7月26日)

 江戸時代中期の新義真言宗の僧で、大和国の旧家河辺氏からの出身。初名は、河辺隆長、字(あざな)は栄春です。

 1658年(万治元年)仏門に入り、長谷寺・唐招提寺で修学した後、奈良・醍醐で密教を修め、儒学・老荘をも学びました。

 1686年(貞享3年)5代将軍徳川綱吉の命により、将軍家の祈祷寺である筑波山知足院の住職となり、その後、急速に綱吉の帰依を得ることになりました。10月3日に、江戸城黒書院で安鎮法を修しています。

 1688年(元禄元年)には、知足院を神田橋外に移して護持院と改称してその開山となりました。

 1695年(元禄8年)には新義真言宗の僧では初めて大僧正となり、宝永4年2月25日に隠居し、駿河台成満院へ転住しました。

 しかし、綱吉の死去と共に失脚し、宝永6年(1709年)には江戸城への登城を禁じられるまでに至りました。

 筑波山知足院への復帰願いも認められず、失意の内に大和に帰郷し没したといわれています。墓所は大阪府羽曳野市と奈良市の佐紀幼稚園裏の2カ所にあります。

 

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■【きょうの人】 0725 聖宝(理源大師) 醍醐寺の開祖 修験道の中興

2021-07-25 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0725 聖宝(理源大師) 醍醐寺の開祖 修験道の中興

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 聖宝(理源大師) 醍醐寺の開祖 修験道の中興

 しょうぼう
 天長9年2月15日(832年3月21日)- 延喜9年7月6日(909年7月25日)

 平安時代前期の真言宗の僧、醍醐寺の開祖で、真言宗小野流の祖でもあります。また、後に当山派修験道の祖ともされています。

 俗名は、恒蔭王(つねかげおう)で、天智天皇の6世孫にあたり、父は、葛声王(かどなおう)といい、諡号は、理源大師です。

 三論、法相、華厳などを学び、後に、密教を真雅、真然より授かっています。醍醐寺を開き、また東南院を建てて、三論宗の本拠地としています。

 役行者(役小角)の遺風を慕って、その再興に務めたので、後世、修験道の中興と言われるようになりました。

『古今和歌集』に歌一首があります。

 聖宝に唱える言葉は「南無聖宝尊師(なむ しょうぼうそんじ」であり、三祖宝号の時は「南無遍照金剛、南無聖宝尊師、南無神変大菩薩」で、お山の中では順番は逆になるのだそうです。

 善導寺にて『末代念仏授手印』などを授かり、『領解末代念仏授手印鈔』を著して弁長の印可を受け、学問的な後継者となりました。

 信濃国に向かい善光寺に参拝したりしています。建長元年(1249年)には利根川に沿って関東に下り下総国の教化をはじめ、翌年には『浄土大意鈔』を著します。

 そして、浄土宗学の基本となる『決答授手印疑問鈔』や『観経疏伝通記』などを著し、各地で講義を行いつつ弟子の育成に努めていました。しかし、正元元年(1259年)外護者の椎名八郎と衝突し、数人の弟子を連れ匝瑳南条荘を去って鎌倉に入りました。

 鎌倉では、大仏勧進聖浄光の坊に仮寓し一時をすごしましたが、大仏朝直の帰依を得て佐助ヶ谷に悟真寺を創建しました。朝直の子時遠から悟真寺坊地や寺領の寄進を受け経済的にも安定し、専修念仏の指導的な立場に立つとともに、他宗の僧侶からも高い評価を受けました。

 建治2年(1276年)には、弟子の要請によって上洛し、間もなくして紫野門徒源智の弟子であり、百万遍知恩寺3世の信慧と東山の赤築地(あかつじ)において談義を行っています。

 弘安9年(1286年)、当時混乱していた浄土宗の統一に尽力し、鎌倉に戻った良忠は、長男の良暁に浄土の奥義を伝授し、弘安10年7月6日(1287年8月16日)、89歳で入寂しました。

 

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■【きょうの人】 0724 大覚禅師(蘭溪道隆) 南宋渡来の禅僧

2021-07-24 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0724 大覚禅師(蘭溪道隆) 南宋渡来の禅僧

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 大覚禅師(蘭溪道隆) 南宋渡来の禅僧

 

 だいざく/らんけい どうりゅう
 嘉定6年(1213年)- 弘安元年7月24日(1278年8月13日)

 鎌倉時代中期の南宋(現在の重慶市)から渡来した禅僧で、諡は大覚禅師、俗姓は冉、法諱は道隆、号は蘭渓です。

 大覚派の祖で、無明慧性の法嗣、建長寺の開山を行っています。

 13歳で出家し、無準師範・北?居簡に学んだ後、松源崇嶽の法嗣である無明慧性の法を嗣いでいますし、松源崇嶽の法嗣である無明慧性の法を嗣ぎました

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

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 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

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■【きょうの人】 0723 ■ 二宮 尊徳 江戸時代後期の経世家、農政家、思想家

2021-07-23 08:46:00 | 【話材】 きょうの人07月

■【きょうの人】 0723 ■ 二宮 尊徳 江戸時代後期の経世家、農政家、思想家

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■ 二宮 尊徳 江戸時代後期の経世家、農政家、思想家

 にのみや たかのり
 天明7年7月23日(1787年9月4日)-安政3年10月20日(1856年11月17日)

 江戸時代後期の経世家、農政家、思想家です。自筆文書では、金治郎(きんじろう)と署名している例が多いのですが、一般には「金次郎」と表記されることが多いです。

 諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と読みますが、「そんとく」という読みで定着しています。

 経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導しました。

  四字熟語 経世済民
  http://www.glomaconj.com/joho/keieijoho.htm#17

相模国足柄上郡栢山村(現在の小田原市)に、百姓二宮利右衛門の長男として生まれました。

 尊徳は、まず生まれた堀之内村の中島弥三右衛門の娘・きの(キノ)を妻としますが、離縁、20歳も若い、貞淑温良ななみ(波子)と結婚しました。

 文化5年(1808年)、母の実家川久保家が貧窮するとこれを資金援助し、翌年には二宮総本家伊右衛門跡の再興を宣言し、基金を立ち上げるなど、成果を出しています。

 小田原藩で1,200石取の家老をしている服部十郎兵衛が、金治郎に服部家の家政の建て直しを依頼し、千両もの負債を償却し、頭角を現しました。

 文政4年(1821年)には、小田原藩主大久保家の分家であります宇津家の旗本知行所が荒廃していて、再興救済を藩主より命じられました。農民の抵抗で苦労しましたが、再建しました。

 晩年近く、天保4年(1833年)には、天保の大飢饉が関東を襲いましたが、金次郎の力を充分に発揮しました。


 二宮金次郎といえば、戦前には、どの学校にも銅像が建っていると言えるほど、一般的でした。背中に芝を背負い、本を読む姿は、子供達へのお手本でした。今日では、歩きスマホが避難を浴びていますが、当時は、むしろ誉められる行為だったのですね。

 

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