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■【きょうの人】 0228 ■ 吉田茂 ■ 崇伝(以心崇伝) ■ 鎮西上人 ■ 寛空 本日ゆかりの人

2020-02-28 05:45:00 | 【話材】 きょうの人

■【きょうの人】 0228 ■ 吉田茂 ■ 崇伝(以心崇伝) ■ 鎮西上人 ■ 寛空

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 吉田茂 

【Wikipedia】 吉田 茂(よしだ しげる)

 1878年(明治11年)9月22日 - 1967年(昭和42年)10月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。

 外務大臣(第73・74・75・78・79代)、貴族院議員(勅選)、内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)、 第一復員大臣(第2代)、 第二復員大臣(第2代)、農林水産大臣(第5代)、衆議院議員(当選7回)、皇學館大学総長(初代)、学校法人二松学舎舎長(第5代)などを歴任した。 

 吉田茂というと、葉巻を加えた写真を連想する人が多いと思います。葉巻というとチャーチル、吉田のことを「和製チャーチル」と呼ぶ人もいるほどです。

 戦後の復興期の基礎を築いた代表的な政治家で、かれの政治感覚とリーダーシップは後世に語り継がれています。

 今日の日本には、リーダーシップを持った政治家が不在と言えるほど、リーダーシップがありません。リーダーシップは強すぎると独断専行と言われますが、韓国の成長を見ていると、国のトップが、時代を先読みして、先手先手で手を打っていく必要性を痛感します。
■ 崇伝(以心崇伝)

 いしんすうでん
 永禄12年(1569年)-- 寛永10年1月20日(1633年2月28日)

 安土桃山時代から江戸時代の臨済宗の僧で、字は以心、法名が崇伝で、南禅寺金地院に住したため、金地院崇伝(こんちいん すうでん)とも呼ばれます。俗姓は一色氏。

 寛永3年(1626)に後水尾天皇の師となり本光国師の称が授けられました。

 徳川家康のもとで江戸幕府の法律の立案・外交・宗教統制を一手に引き受け、その権勢から黒衣の宰相の異名を取りました。

 崇伝が起草した「武家諸法度」は、老中以下諸大名の前で崇伝により布告されました。徳川家光、徳川忠長の諱は崇伝により名付けられました。

 僧侶としてだけではなく非常に優秀なブレーンとして家康をささえ、その能力に対する信頼は厚いものでした。


 自分の上司から信頼されると、実力以上の物を発揮できるビジネスパーソンが多いです。部下を使う人の能力や努力によって、部下の能力をどこまで引き出せるかが決まるようです。

 一方で、上司に評価されると周囲からのやっかみも出てくることも多いです。

 他方で、自分の能力を過信しすぎて、鼻持ちならない人間になってしまうこともあります。その様な時というのは、自分では、それに気づかないことが多いですね。


■ 鎮西上人

 ちんぜいしょうにん
 別名 弁長聖光(べんちょうせいこう)
 応保2年5月6日(1162年6月20日) - 嘉禎4年2月29日(1238年3月16日)

 平安時代後期から鎌倉時代にかけての浄土宗の僧。鎮西義の祖。父は古川則茂。字は弁阿(べんな)。房号は聖光房(【Wikipedia】)

 14歳で出家し、比叡山に登り、短大集を学び、秘奥を究めたと言われています。

 後に、故郷の筑前に帰り、油山の学頭職に補せられますが、弟の死に遭遇し、無常を感じて建久8年に上洛しました。

 そこで法然に謁(まみ)え、浄土念仏の要道を聴き、専心法然に支持して浄土門に期すことになりました。

 元久元年、浄土宗の正統を伝道し、鎮西に帰り、善導寺を建立しました。


 人の「死」というのは、人間の生き方を変える契機となるほどのことなのですね。

 私事ですが、中学二年の時に祖母を亡くしました。祖母からは、「偉くなっても稲穂を忘れてはいけないよ」という言葉を始め、いろいろと教えられました。

 祖母の死に遭遇したときに、いろいろな教えをもとに生きていくということを墓前で誓ったことを鮮明に記憶しています。


■ 寛空 寂

 かんくう
 元慶8年(884年)-天禄3年2月6日(972年2月28日)
 別称: 蓮台寺僧正、香隆寺僧正
 平安時代中期の真言宗の僧で、俗姓は文室氏、出身地は京都(河内国説もある)と言われていますが、定かではないようです。

 宇多法皇の侍童をつとめた後に出家して法皇及び神日(じんにち)から法を受けました。945年(天慶8年)に権律師となり、その後、東寺長者・金剛峯寺座主・仁和寺別当・同寺法務を歴任し、964年(康保元年)僧正に至りました。

 一生涯に、孔雀経法を8回修し、その修法による霊験で知られています。 (【Wikipedia】を基に作成)

 

 

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■【きょうの人】 0227 真盛上人 戦国時代の天台宗の僧

2020-02-27 08:29:47 | 【話材】 きょうの人

■【きょうの人】 0227 真盛上人 戦国時代の天台宗の僧

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

 真盛上人

 しんせい
 嘉吉3年1月28日(1443年2月27日) - 明応4年2月30日(1495年3月26日)
 諡号は円戒国師・慈摂大師

 戦国時代の天台宗の僧で、伊勢に生まれました。天台宗真盛派(現在の天台真盛宗)の宗祖です。

 一四歳で剃髪し、幼名から「眞盛」と名を改めました。

 比叡山西塔の慶秀に師事し、天台宗の教学を20余年にわたって学びました。その後、黒谷青龍寺に隠遁し、「往生要集」に拠り称名念仏を唱えました。戒律と称名念仏の一致、無欲と慈悲などを説きました。

 かつて良源や源信などが住み、円観が円頓戒の本寺としたこともある近江国坂本の西教寺を再興して、天台宗真盛派の本寺としました。

 近江・伊勢・越前を巡錫(じゅんしゃく)し、後土御門帝に円頓戒を授け「円戒国師」の号を下賜されました。また、明治天皇より「慈摂大師」の号も賜っています。

 

 

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■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】 004 アイディア経営 - 封筒屋どっとこむ

2020-02-26 07:43:10 | 【経営】 成功企業・元気な会社・頑張る社長

■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】 004 アイディア経営 - 封筒屋どっとこむ

 経営コンサルタントを40年余やってきた経験から、すこしでも皆様のご参考になればとお届けしています。

 成功企業・元気な会社・頑張っている社長】は、皆様から寄せられたり、私が支援したり、見聞したりした企業の事例を紹介していますが、お陰様で、毎回拍手をいただいています。

 また、あなたのクライアント・顧問先やお知り合いの会社で、ここで紹介したい企業・団体等がありましたら、是非ご連絡ください。

■ アイディア経営 -  封筒屋どっとこむ

 本社を訪れると緑一色のビルが目に飛び込んでくる。創業時、辺り一面田畑で建物がなかった所に社屋を建てた。緑屋紙工(株)という社名はそんな状況を映した創業社長のこだわりであり、ビルの色も同様だ。今、同社は昭和37年(1962年)の創業から50年近く経て2代目社長が新たな挑戦を行っている。

 社員約30人を率いる薮野浩明社長は33歳で社長に就任。現在、在任期間は約15年になる。同社は設立以来、大手封筒メーカーの下請けとして成長した。同社長の日課も就任当初は「朝起きて注文のファクスを見ること」だった。ところがこうした自分の姿を客観的に見ると「格好悪いし、寂しい自分が見えた」。それから何とか営業力をつけねばと自分に誓う。

 同社は元々別注といわれる規格外のオリジナル封筒の製造・加工を得意とする。特に大手メーカーが手掛けにくい「窓」付きの、小ロットで手間暇かけた封筒づくりでノウハウを築く。今ではタガネ(型)を700種以上も保有し、貴重な財産になっている。ただ、これも景気低迷で帳票類の需要が減少、新たな発想が求められた。

 そこで同社長は当時、業界には発想がほとんどなかったインターネット販売を思いつく。平成11年にまずドメインを取得、ネット開設の準備を重ねて平成19年に「封筒屋どっとこむ」を立ち上げた。このサイトの特徴は希望サイズ、窓の有無、紙の種類など手順に沿って入力するだけで、見た目を確認しながら封筒見積もりができること。反響は予想以上だった。

 現在では従来の業務であるリアルの販売2に対しネット販売1の売り上げ比率に。ネット販売がまさに救世主になった格好だ。これに伴いネット販売部門を平成20年に分社化。社員に商品開発、営業意欲が以前より格段に高まった。新商品では斬新なデザインを施した「窓」を備えた封筒などが続々誕生。「今の姿の方が先行き明るいし、やっていて面白いし楽しい」と同社長。経営者としての真の力量発揮はむしろこれからだ。

  出典: e-中小企業ネットマガジン掲載承認規定に基づき作成

 

 
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