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■【きょうの人】 0630 黒田 清輝 日本を代表する洋画家

2021-06-30 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0630 黒田 清輝 日本を代表する洋画家

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 黒田 清輝 日本を代表する洋画家

 くろだ せいき
 1866年8月9日(慶応2年6月29日)- 1924年(大正13年)7月15日

 日本を代表する洋画家で、晩年は貴族院議員として活躍した政治家でもあります。従三位、勲二等を授与されている子爵です。

 通称は、新太郎(しんたろう)で、名の清輝は、本名は「きよてる」ですが、画名は「せいき」と読みます。

 東京美術学校教授や帝国美術院院長も務めています。

 日本に、洋画を普及させた功績は大きく、『湖畔』(1897年)は、黒田の代表作中の代表作品です。『裸体婦人像』(1901年)では、「腰巻事件」を起こす契機となった作品です。その延長線上の作品として『智・感・情(1899年)』という連作があります。これは東京国立博物館黒田記念館の所蔵で、重要文化財として認定されています。

 日本画主流の世界に、洋画を紹介するということは、流れとは異なる状況に、さおを差すことになります。その反動は大きかったのではないでしょうか。

 先駆者として、ビジネスの世界で何かことを始めることはむつかしいことです。それができる人が、いてこそ、生活が便利になったり、大きな会社に成長したりという変化も得られるのですね。

 

 

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 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

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■【きょうの人】 0629 ■ 瀧 廉太郎忌 荒城の月 ■ 国木田 独歩 武蔵野

2021-06-29 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0629  瀧 廉太郎忌 荒城の月 ■ 国木田 独歩 武蔵野

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

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 瀧 廉太郎忌

 たき れんたろう

 1879年(明治12年)8月24日 - 1903年(明治36年)6月29日

 日本の音楽家、作曲家で、明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人です。一般的には「瀧」は「滝」と表記されることも多く、「荒城の月」という名曲と共に、日本人には親しまれています。

 父・吉弘は大蔵省から内務省に転じ、大久保利通や伊藤博文らのもとで内務官僚として勤めた後、地方官として神奈川県や大分県竹田市などを移り住んだため、廉太郎も生後間もなくから各地を回ることになりました。竹田は、荒城の月を生んだ地と言われています。

 作曲とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ばし、「お正月」、「鳩ぽっぽ」、「雪やこんこん」など、私達に馴染み深い童謡作品を多数作っています。


■ 国木田 独歩

 くにきだ どっぽ
 1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)

 日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者で、千葉県銚子に生まれ、広島県や山口県で幼少期を過ごしました。

 幼名を亀吉、後に哲夫と改名し、筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがあります。

 田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表しました。詩や小説を書いている中で、次第に小説に専心するようになります。

「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」といった浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる作家です。

 現在も発刊されています雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されています。

 夏目漱石は、その短編「巡査」を絶賛した他、芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していました。

 私は、東京の郊外で育ちましたが、独歩の代表作「武蔵野」には、そのころの風景が、この小説の中で描かれているのを実感します。

 

 

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■【きょうの人】 0628 林 芙美子 小説家・随筆家で、代表作に『放浪記』

2021-06-28 08:24:46 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0628 林 芙美子 小説家・随筆家で、代表作に『放浪記』

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 林 芙美子 小説家・随筆家で、代表作に『放浪記』

 (はやし ふみこ)

 1903年12月31日 - 1951年6月28日(47歳没)

 山口県下関市、福岡県門司市に生まれた小説家・随筆家で、代表作に『放浪記』(1930年)や『清貧の書』(1933年)があり、1948年には「女流文学者賞」を受賞しています。

 物心ついた小学生時代に、貧しかい生い立ちを経験しています。そこから感じ取った、底辺の庶民を慈しむように描いた作品は、読者の心を捉えるところが多々あります。

 文壇に登場したころは「貧乏を売り物にする素人小説家」と揶揄されました。日中戦争から太平洋戦争にかけては「軍国主義を太鼓と笛で囃し立てた政府お抱え小説家」など、批判の的となりました。

 しかし、戦後、「戦さに打ちのめされた、わたしたち普通の日本人の悲しみを、ただひたすらに書きつづけた六年間でした」といわれる、それまでとは異なる見方をされるようになりました。

 NHKの朝の連続TV小説「うず潮」で、多くの人に一層親しまれるようになりました。

 

 

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■【きょうの人】 0627 伊達 政宗 独眼竜になった由来は?

2021-06-27 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0627 伊達 政宗 独眼竜になった由来は?

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 伊達 政宗 独眼竜になった由来は?

 だて まさむね
 永禄10年8月3日(1567年9月5日、グレゴリオ暦1567年9月15日)-寛永13年5月24日(1636年6月27日)

 出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主です。近世大名としては仙台藩の初代藩主です。

 幼名が梵天丸であることはよく知られています。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、「独眼竜」の異名があります。没後は、法名から貞山公と尊称されています。

 天正17年11月、後北条氏が真田領へ侵攻したことにより、豊臣氏により征伐が行われることになりました。政宗は父・輝宗の時代から後北条氏と同盟関係にありましたので、再三の、秀吉からの督促にもかかわらず、秀吉と戦うべきか小田原に参陣すべきか、直前まで迷っていたといいます。

 最終的には、秀吉に恭順の意を示すのですが、その際に、白装束(死人の装束)で臨んだことは有名です。

 秀吉・文禄の役では、派手な装いで軍を引き連れ、そのことから派手好みに着こなす人を指して「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになりました。今日の「伊達男」に通じます。

 

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■【きょうの人】 0626 ■ 最澄(伝教大師) ■ 木戸 孝允 ■ 山川健次郎 ■ 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

2021-06-26 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0626 ■ 最澄(伝教大師) ■ 木戸 孝允 ■ 山川健次郎 ■ 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

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 山川健次郎 没

 やまかわ けんじろう
 1854年9月9日(嘉永7年閏7月17日)- 1931年(昭和6年)6月26日

 明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者であり、教育者でもあります。男爵の爵位を持っていました。

 会津藩出身で、白虎隊の兵士として明治政府と戦った勇者でもあります。国費で米国留学をして、東京帝国大学(東京大学の前身)に登用されました。東京帝国大学総長や九州帝国大学(九州大学の前身)の初代総長など、多数の大学等で共育に携わってきました。

 会津藩出身で、白虎隊の兵士として明治政府と戦った勇者でもあります。国費で米国留学をして、東京帝国大学(東京大学の前身)に登用されました。東京帝国大学総長や九州帝国大学(九州大学の前身)の初代総長など、多数の大学等で共育に携わってきました。

 少年期に、白虎隊に入隊していたの時の経験を元に著した、戊辰戦争を会津藩側の立場から見た『会津戊辰戦史』はM死後の昭和7年(1932年)に出版されました。この本は旧幕府軍側を「東軍」新政府軍側を「西軍」と書いた初めての本です。

 会津藩に対する忠誠心は、壮年期以降は「愛国心」に転じ、日露戦争の時にはすでに東大総長であったにも関わらず陸軍に「一兵卒として従軍させろ」と押し掛けたという逸話もあります。

「はじめてカレーライスを食べた日本人」と諸本で紹介されていますが、定かではありません。しかし、明治4年(1871年)に、国費留学生としてアメリカに向かう船中で、カレーライスを食べたという記述が回想録に書き残されています。しかし、カレーライスを選んだのは、それが唯一米を使った料理でしたからで、カレーはすべて残したといわれています。

 

■ 木戸 孝允 生誕

 きど たかよし/きどこういん
 天保4年6月26日(1833年8月11日)- 明治10年(1877年)5月26日)

 長州藩の武士、明治政府の政治家等で、桂小五郎(かつら こごろう)ともいいます。明治維新の指導者として活動し、維新の三傑の一人です。

 長州藩内の尊王攘夷派(長州正義派)の指導者で、留学希望・開国・破約攘夷の勤皇志士、長州藩の外交担当者、藩庁政務座の最高責任者として活動しました。

 特に志士時代には、幕府側から常時命を狙われていたにもかかわらず果敢に京都で活動し続けました。鞍馬天狗の話の中にも、桂小五郎として登場します。

 維新後、総裁局顧問専任として迎えられ、当初から「政体書」による「官吏公選」などの諸施策を建言し続けました。

 文明開化を推進する一方で、版籍奉還・廃藩置県など封建的諸制度の解体に努め、薩長土肥四巨頭による参議内閣制を整えました。

 海外視察も行い、帰朝後は、かねて建言していた憲法や三権分立国家の早急な実施の必要性について政府内の理解を要求し、他方では新たに国民教育や天皇教育の充実に努め、一層の士族授産を推進しました。

 長州藩主・毛利敬親や明治天皇から厚い信頼をうけました。

 一方で、急進派から守旧派までが絶え間なく権力闘争を繰り広げる明治政府の中にあって、心身を害するほど精神的苦悩が絶えませんでした。

 西南戦争の半ば、出張中の京都で病気を発症して重篤となり、夢の中でも西郷隆盛を叱責するほどに政府と西郷双方の行く末を案じながら息を引き取ったといわれています。


■ 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

 まつだいら のりやす
 寛延元年(1748年)-文政9年6月26日(1826年7月30日)

 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中で、美濃国岩村藩主で従四位下・侍従の官位を賜っています。

 丹波国福知山藩5代藩主・朽木玄綱の八男として誕生しましたが、先代藩主・松平乗薀の長男の乗国、次男の乗遠がいずれも早世し、玄綱が初代藩主・乗紀の息子であったことから養子に迎えられ、養父の隠居により家督を相続しました。奏者番、若年寄、大坂城代、西丸老中などを歴任しました。

 1826年(文政9年) 6月26日に、老中在職のまま死去しました。享年78歳でした。


■ 最澄(伝教大師)

 さいちょう、でんぎょうだいし
 神護景雲元年(767年)8月18日-弘仁13年6月4日(822年6月26日)

 平安時代の僧で、天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られています。

 生地は、近江国滋賀郡古市郷(現:滋賀県大津市・坂本)で、生源寺で、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)です。

 生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在します。

 十二歳で比叡山に登り、研究修行を積みました。

 延暦23年に空海と共に、中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となりました。

 なお、最澄に唱える言葉は「南無宗祖根本伝教大師福聚金剛」です。

 

 

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■【きょうの人】 0625 鑑真和上 奈良時代の帰化僧で、日本における律宗の開祖

2021-06-25 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0625 鑑真和上 奈良時代の帰化僧で、日本における律宗の開祖

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■ 鑑真和上 奈良時代の帰化僧で、日本における律宗の開祖

  がんじん、旧字体: 鑑眞
  688年〈持統天皇2年〉- 763年6月25日〈天平宝字7年5月6日〉

 

 奈良時代の帰化僧で、日本における律宗の開祖。俗姓は淳于です。

 唐の揚州江陽県の生まれ、14歳で智満について得度し、大雲寺に住むことになりました。

 18歳で道岸から菩薩戒を受け、20歳で長安に入り、翌年、弘景について登壇受具し律宗・天台宗を学びました。

 鑑真が学んだ律宗とは、仏教徒、とりわけ僧尼が遵守すべき戒律を伝え研究する宗派です。

 鑑真は四分律に基づく南山律宗の継承者であり、4万人以上の人々に授戒を行ったとされています。

 揚州の大明寺の住職であった742年、日本から唐に渡った僧・栄叡、普照らから戒律を日本へ伝えるよう懇請されました。

 鑑真は、荒天などで六回の渡海を試み、ようやく日本にたどり着きました。

 最初の渡海は、743年夏のことで、このときは、渡海を嫌った弟子が、港の役人へ「日本僧は実は海賊だ」と偽の密告をしたため、日本僧は追放されました。その後は、荒天などに阻まれました。

 天平勝宝5年12月26日(754年1月23日)、ようやく大宰府に到着しました。

 鑑真は大宰府観世音寺に隣接する戒壇院で初の授戒を行い、天平勝宝6年2月4日に、平城京に到着して聖武上皇以下の歓待を受けました。

 孝謙天皇の勅により、戒壇の設立と授戒について全面的に一任され、東大寺に住することとなりました。

 聖武天皇より伝法大法師位を賜り、常設の東大寺戒壇院が、大仏殿のそばに建立されました。

 その後、天平宝字5年には日本の東西で登壇授戒が可能となるよう、大宰府観世音寺および下野国薬師寺に戒壇が設置され、戒律制度が急速に整備されていくことになりました。

 その後、伽藍を建立し、唐律招提案を賜い、日本の戒律宗の祖師となりました。76歳でこの世を去りました。

 

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■【きょうの人】 0624 清正公忌 朝鮮出兵で虎退治

2021-06-24 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0624 清正公忌 朝鮮出兵で虎退治

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 清正公忌 朝鮮出兵で虎退治

 加藤清正(かとう きよまさ)
 永禄5年6月24日(1562年7月25日) - 慶長16年6月24日(1611年8月2日)

 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で、肥後熊本藩初代藩主を務めた大名です。通称は虎之助(とらのすけ)で、熊本などでは今でも「清正公さん(せいしょうこうさん、せいしょこさん)」と呼ばれて親しまれています。清正公信仰といえる程です。 

 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、「賤ヶ岳の七本槍」の一人に数えられ、朝鮮出兵の折の「虎退治」の話は有名です。

 秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、秀吉没後は、秀吉の妻、おね(ねねともいう)の影響もあり、徳川家康に近づきました。関ヶ原の戦いでは、東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になったのです。

 明治43年(1910年)に従三位を追贈されています。

 築城の名手としても知られ、「清正積み」という独特の城の石垣建設の考案者でもあります。

 ちなみに、東京の明治神宮には、「清正の井」というのがあります。

  www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tokyo/tokyo-shibuya-meijijinguu.htm

  

東京・明治神宮3  明治神宮御苑菖蒲田  約 7 分

 

 

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■【きょうの人】 0623 国木田 独歩 小説家、詩人、ジャーナリスト

2021-06-23 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0623 国木田 独歩 小説家、詩人、ジャーナリスト

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 国木田 独歩 小説家、詩人、ジャーナリスト

 くにきだ どっぽ
 1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)

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 幼名を亀吉、後に哲夫と改名し、筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがあります。

 田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表しました。詩や小説を書いている中で、次第に小説に専心するようになります。

「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」といった浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる作家です。

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 夏目漱石は、その短編「巡査」を絶賛した他、芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していました。

 私は、東京の郊外で育ちましたが、独歩の代表作「武蔵野」には、そのころの風景が、この小説の中で描かれているのを実感します。


 

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■【きょうの人】 0622 ■ 桂昌院 5代将軍・綱吉の生母 ■ 相馬哲平 旧宅写真

2021-06-22 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0622 ■ 桂昌院 5代将軍・綱吉の生母 ■ 相馬哲平 旧宅写真

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 相馬 哲平(そうま てっぺい)

 初代相馬哲平は、1833年6月22日(天保4年5月5日に生まれ、1921年(大正10年)6月6日)に歿しています。

 日本の実業家、政治家、貴族院多額納税者議員で、北海道の多額納税者のひとりです。

 函館貯蓄銀行頭取、相馬合名代表社員等、北海道屈指の豪商で、箱館の発展に寄与しました。

  相馬哲平旧宅 【カシャリ! ひとり旅】

  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/hokkaido/hokkaido-hakodate-motomachi2.htm


■ 桂昌院 5代将軍・綱吉の生母

  けいしょういん
 永4年(1627年) - 宝永2年6月22日(1705年8月11日)

 

 江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・綱吉の生母で、通称は玉といいます。

 父は、北小路(本庄)太郎兵衛宗正、母は鍋田氏で、兄に、北小路道芳(後に本庄姓を賜り本庄道芳)、弟に本庄宗資がいます。

 寛永16年(1639年)に、部屋子として家光の側室・お万の方に仕え、後に春日局の目にとまり、「秋野」という候名で、局の指導を受けるようになりました。

 長じて将軍付き御中臈となり、家光に見初められて側室となり、正保3年(1646年)1月に綱吉を産みました。

 慶安4年(1651年)に家光が死ぬと大奥を離れ、筑波山知足院に入ります。

 4代将軍・家綱の死後、綱吉が将軍職に就き、江戸城三の丸へ入りました。

 従三位を経て、元禄15年(1702年)2月には、女性最高位の従一位の官位と、藤原光子(または宗子)という名前を賜わりました。

 宝永2年(1705年)6月に79歳で没し、墓所は、東京都港区の増上寺にあります。

 遺髪塚が寺の復興に貢献した京都府京都市西京区の善峯寺に「桂昌院廟」として存在します。

 また、東京都文京区にあります護国寺は、桂昌院の発願によって天和元年(1681年)に創建されました。開山は亮賢です。

 本尊は如意輪観音で、江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所です。

 近代以降は宮家の墓所(豊島岡墓地)が造られ、1873年(明治6年)、明治天皇の皇子(稚瑞照彦尊)の薨去を機に、護国寺境内の東半分が皇族墓地とされ、また、桂昌院という建物も建てられました。

 

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■【きょうの人】 0621 ■ 貞慶 法相宗を興福寺に学ぶ

2021-06-21 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0621 ■ 貞慶 法相宗を興福寺に学ぶ

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■ 貞慶 法相宗を興福寺に学ぶ

 じょうけい
 久寿2年5月21日(1155年6月22日)- 建暦3年2月3日(1213年2月24日))
 号は解脱房 勅謚号は解脱上人 一般に笠置の解脱上人と呼ばれます。

 11歳で出家し、「貞慶」と名乗りました。
 鎌倉時代前期の法相宗の僧であり、祖父は藤原南家の藤原通憲(信西)、父は左少弁藤原貞憲です。

 法相宗を興福寺に学び、20年余そこで過ごしました。

 釈迦如来、弥勒菩薩、観音菩薩、春日明神を深く信仰し、戒律の復興に努め、法相教学の確立に大きな役割を果たしました。

 その一方で朝廷の信任も厚く、勧進僧と力を合わせ、由緒ある寺社の復興にも大きく貢献してきました。また、興福寺奏状の起草者として、興福寺の衆徒が法然らの提唱した専修念仏の禁止を求めて朝廷に奏上しました。(【Wikipedia】を基に作成)

 

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