コンサルタントバンク コンサルタント(プロ・希望者)+ 士業の異業種交流会

コンサルタントバンクは、コンサルタントや士業の先生方の異業種交流会で、無料で登録できる組織です。関連情報をお届けします。

【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー06 格物致知 原点に戻りコンセプトを明確に ~ 道理をきわめて知識豊かな人 ~

2025-02-01 00:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー06 格物致知    原点に戻りコンセプトを明確に ~ 道理をきわめて知識豊かな人 ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー06 格物致知    原点に戻りコンセプトを明確に
      ~ 道理をきわめて知識豊かな人 ~

 中国古典の一つに「大学」があります。その中の有名な一文として、下記がしばしば例示されます。
少(わか)くして学べば
則(すなわ)ち壮(そう)にして為すことあり
壮にして学べば
則ち老いて衰えず
老にして学べば
則ち死して朽ちず
 若いうちに学んだことは、成長してからそれがいかされ、壮年になってから学ぶことは、それ以前に学んだことが活かされて、一人前の人物として認められるようになるということを言っています。年を重ねてから学ぶことは、それまでの経験が年輪として蓄積されていますので、死後もそれが残り、後進の育成に繋がるという教えです。
 この「大学」の中に「格物致知(かくぶつちち)」という四字熟語があります。「知を致すは、物に格(いた)る」と音読みします。「知」は「道理の源泉」を示しますので、「ものごとの道理を極めて、学問をなし、知識を習得することにより、大成する」ということです。このことから、道理を極めて知識豊かな人を指します。
 このことから、ものごとを思考しましたり、行動するときには、「原点に戻る」ということに繋がることをこのことから感じ取れたりします。何かを行おうとするときに、そのことはなぜ行わなければならないのか、そのことの背景には何があるのだろうか、等々を意識することにより、その本質から外れないPDCAが行われるべきです。換言しますと、コンセプトを明確にしますと、判断に迷ったり、困ったり、あるいは自分または一緒に仕事をしている人や部下の言動が間違えていないかどうかを判定したりする時に、「原点に戻る=コンセプトに照らし合わせる」という行動がとれるようになります。それにより判断するようになりますので、物事の途中で誤りに気づいて、失敗という結果に至ることが少なくなります。
 中国唐の時代の文学者・自然詩人としてまた政治家としても知られています柳宗元の著「陸文通先生墓表」に「汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)」とい四字熟語があります。「汗牛」とは、車に蔵書を積んで、牛に引かせますと、あまりにも重くて牛が汗をかくほどであるという状況です。「充棟」というのは、家の中で蔵書を積み上げますと、棟にまで届くほどであるということで、前後で同じことを別な表現を使って強調し、書物がたくさんあるということを表現しています。このことから「蔵書が多い、読書家」という意味でつかわれます。本だけ多くても「つんどく」では、知識として血となり肉となりはしませんが、私を含め、そのような人は結構いらっしゃるのではないでしょうか。
 道理を究めるには、「眼光紙背(がんこうしはい)」という四字熟語の含蓄を味わうことも必要です。この四字熟語は、「鋭い目の光が紙の裏まで貫く」ということで、しばしば「眼光紙背に徹す」という形で用いられます。「読解力が鋭いこと」の例えで、「行間を読む」などという言葉にも通じます。「熟読玩味(じゅくどくがんみ)」も同じような意味で、書かれている文章や言葉、字句の奥に潜んでいる深い意味まで読み取ることができることにより、道理を知ることに繋がります。あるいは、他者の言いたいことを正しく理解することができるようになります。
「韋編三絶(いへんさんぜつ)」という四字熟語があります。「韋編」は、中国の古書のひとつで、「三絶」は、書籍の綴りが何度も切れるという意味です。孔子が「易経」を綴じている紐が何度も切れてしまうほど、繰り返し読んだという史記に記述されています故事から来ています。このことから、先人の教えを理解するためには、何度も繰り返し書物を読み、行間を理解できるように、熱心に学ぶという意味で用いられます。
「意味深長(いみしんちょう)」という四字熟語は、表面上の意味だけではなく、深い身が含まれているという意味で、やはり行間を読む大切さを説いています。もともとは詩文などで、内容が深く趣があったり、含蓄が豊かであったりするという処から来ています。
 自分の言葉を相手に正しく受け止めていただくために「月下推敲(げっかすいこう)」という言葉を思い出すようにしています。もともとは「詩を作るときに、字句を工夫し、表現を練り上げる」という意味です。「門を押す(推す)」「月の光の下で思案する」という意味です。自分自身が用いる文章や言葉を、それがもともと持つ意味から考えて、用いるようにします。
 例えば「きく」という言葉も、「どこからともなくきこえてくる」というときには「聞く」、「耳を傾けて相手の言うことをきく」というときには「聴く」という字を充てるようにしています。また、誰かにものを尋ねると言うときには「訊く」という字を充てます。
 近年、プロと言われる人が、ホンモノのプロでないことが多々あります。そのような状況に遭遇したときに「眼高手低(がんこうしゅてい)」という四字熟語を想定して下さい。これは、文章や絵画など、真贋力はあるのですが、一方で、それを他の人に伝える表現力が伴っていないという時に用いられます。このことから、「理想は高いが、実行が伴わない」、すなわち、口だけは達者ですが、自分のことはそっちのけで、人の批判をするだけな人のことをさします。
 史記の中には「曲学阿世(きょくがくあせい)」という四字熟語があり、真理を曲げて世の人に迎合して、人気を得ようとすることやそのようなことをする人を指します。「曲学」は真理を自分の都合の良いように曲げた学問であり、「阿」は「おもねる」という意味です。
 また「狂言綺語(きょうげんきご)」という類似四字熟語があり、「きょうげんきぎょ」とも読みます。道理に合わない言葉や、うわべだけを飾った言葉という意味から、転じて、小説や戯曲などのことを揶揄的に指すこともあります。
 例えば営業管理職が、営業パーソンの報告を狂言綺語として、作文を読まされることが時々あります。それを見抜く眼光紙背に徹する力が管理職には不可欠です。部下の報告を聞いて、何もコメントをしませんでしたり、適切なアドバイスができなかったりでは、管理職として失格です。自分の経験に格物致知で得た道理に基づいてリーダーシップを発揮しなければなりません。その時に、コンセプトを意識すると管理職として、適切な指示や命令、アドバイスができます。
 管理職は、経験的に部下の報告から「何かおかしい」と感ずることがあると思います。その時に「何か」が何を表しているのか、その正体がわからないことがあるでしょう。その時には、私の体験では「この業務の原点・コンセプトは何だったか?」と考えることを習慣にしますと、何らかのヒントが浮かび上がってくるように思えます。問題の核心が何か、企業として、組織としての価値基準をどうとらえれば問題がつかみやすくなるか、それらを前提にしながら本質を追求して行きますと良いようです。
 では、コンセプトはどの様に構築したら良いのでしょうか?
「コンセプト」とは、ものごとの背景にある情報をもとに、論理的に事象の構造を整理し、構造の再組立をしてから、思考を展開しますと、創造的で、新規性ある考え方として「コンセプト」を作り上げることができます。
 ビジネスの世界では、例えば差異化(差別化)戦略を立案したり、企業文化を見直し、変革する時に目標や基本方針などを中長期的に立案したりする時に、コンセプトが重要になります。自社独自のコアコンピタンス(核となるビジネス)が明確になってきたりします。そこには他社と同じような、物まねでは自社らしさが失われ、生き残りは愚か、勝ち残りも困難となります。
*
 *
■ おすすめブログ  コンサルタント・士業に特化したブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー05 一目瞭然 見せ方で結果が大きく変わる ~ 一見するだけで、誰でもがはっきり解る ~

2025-01-25 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー05 一目瞭然    見せ方で結果が大きく変わる ~ 一見するだけで、誰でもがはっきり解る ~     


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー05 一目瞭然    見せ方で結果が大きく変わる
      ~ 一見するだけで、誰でもがはっきり解る ~


「疑心暗鬼」は、人間関係を悪化しかねません。その対策の一つが「一目瞭然(いちもくりょうぜん)」です。「瞭」は、「明瞭」という熟語からも解りますように「はっきりしている様」を指します。「然」は、「自然」という熟語からも「ぜん」と読むのが一般的で、前に来る言葉をあわせて「状態を表す語」です。「紳士然としている」というような用例に見られる使い方です。因みに「然」を「ねん」と読むのは呉音読みです。「一目」は、そのまま「一目見て」という意味ですので、「一目瞭然」というのは「一目見ただけで、誰でもがはっきり解る」ことを指します。
 近年は、セミナーなどに行きますと必ずと言っても良いほど、プレゼンテーション・ソフトを利用している場に臨みますし、プレゼンテーションをする機会も多くなっていると思います。「一目瞭然」としたパワーポイント制作もあれば、わかりづらいものもあります。
 用いる言葉も、親しみやすい言葉を使い、難しい専門用語や横文字はできる限り控えます。幼稚園の子供でも解る言葉ということをしばしば私は使いますが、そのくらいやさしいことばでという意味で、内容やレベルを軽視しろというのではありません。
 あまり受けが良くなかったセミナー等の経験では、受講者と講師側が言いたいことにずれがあるときです。事前に打ち合わせをしていても、お恥ずかしながら、このようなことが起こってしまうことがあります。受講者の多くが事例紹介を求めています。自分の体験から紹介するようにします。受講者に合わせてるためには、パワーポイントはシンプルに作っておくと良いでしょう。単純で要旨を理解されやすいというメリットもありますが、受講者にあわせてレベルを変更したり、内容を雰囲気に合うように変えながら話をしたりしやすいからです。
 反応が良くない場合に、こちらに注意を強く引くためには、意外性ある事例を紹介したり、体験談を挿入したりして関心を引きつけるようにしてみてはどうでしょうか。反応が今ひとつ好ましくないときには、途中であっても、この後のストーリー展開を話してしまう方法があります。それにより、次のどの様な話の展開になるのかに関心を持ってもらえますと、目先の話がこれからどうなるのか、耳を傾けてくれます。
 セミナーなどでは、主催者が最後にアンケートを採りますが、印象的なクロージングを用意しておきます。大きな声では言えませんが、それにより最後は拍手喝采となり、アンケートのポイントも上がるかもしれません。その結果、次の講演依頼に繋がる確率が高くなります。
 昨今、セミナーでパワーポイントが使われないことはないと言えるほど、定着しています。私も職業柄、パワーポイントなしでは仕事になりません。一方、パワーポイントなしでも上手に人前で話のできる人に出会いますと、それだけで敬意を払いたいほどの感動を覚えることがあります。他方、セミナー等では、いろいろなレベルの人が受講されますので、できる限り多数の人に、多くを理解してもらうことを最重要課題の一つと考えています。
 相手の心に届くプレゼンテーションといいますと、二〇二〇年オリンピック招致の開催を勝ち取った東京の招致チームが活躍したことはまだ記憶に新しいです。スピーチライターに、ニック・バーレーを、プレゼンテーションにマーティン・ニューマンが起用され、聴衆に訴えかける伝え方が功を奏しました。
 プレゼンテーションとは異なりますが、裁判で、誰が見ても有罪判決が出るだろうと思っているにもかかわらず、予想外の判決が出ることがあります。弁護士の入念な準備と雄弁さが、このような結果を導く例と考えます。とりわけ印象的だったのが、片足を失った女性アスリートの感動的なスピーチでした。「癌で脚を失った」という言葉の後に四秒の沈黙があり、「絶望しました」と続きました。沈黙は金という言葉がありますが、スピーチとしては、ベストな仕上がりであったと思いました。
 因みに、雄弁な人を形容する言葉として「懸河之弁(かんがのべん)」という言葉があります。「懸河」は、「つるし懸けたように水が奔流する川。急な早瀬の川(広辞苑第六版)」という意味ですので、「とうとうと流れる大河のように、よどみなくスラスラと話す」という意味です。「一瀉千里(いっしゃせんり)」という類語もあります。「文章や弁舌にすぐれ、よどみなくスラスラと行く」という意味です。
「瀉(しゃ)」という字は「水の流れ」あるいは「水が流れる」とか「水が注ぐ」という意味です。土砂災害などで、「あっという間に泥水が流れてきた」などと被災者が良く言いますが、このように一気に流れ出す様子を「一瀉千里」と言います。これが転じて「ものごとが非常に早く進み、はかどる」という意味でも使われます。こちらは「一気呵成(いっきかせい)」という類語があり、やはり「素早くものごとを成し遂げる」という場合に用います。
 経営者の集まりなどで、自己紹介をする機会があると思います。与えられた時間内に、自社の概要、特徴、強味など自社商品・サービスを要領よく、懸河之弁のごとく説明する人が多いのに驚きます。そのような人というのは、与えられた時間が、一分の時にはこのように話す、三分や五分の時にはそれぞれ何処まで話すかということが身についているのです。
 いずれにせよ、事前準備が不可欠です。私は、「1:2:3:4」の割合で準備をします。コンセプトづくりに10%の時間をじっくりかけます。ストーリー作りに20%、パワーポイント制作に30%をかけ、残りの40%をリハーサルに投じます。制作したパワーポイントをストーリー展開に合わせてアニメーションで構成し、リハーサルをしながら、動作確認をするのです。この過程がストーリーが記憶に焼き付けることに繋がりますので、赤面症の私でも人前で堂々と話すことができるのではないかと思います。
 事前準備の一つとして、配付資料があります。資料と話す順序が一致しますと、プレゼンターも受講者も安心していられます。事前準備ができていますので話し始める前に「準備万端」と自分に言い聞かせ、「失敗しないか」という気持ちを起こさせないようにします。リラックスした姿勢で、脚を肩幅に拡げて立ち、身体を安定させて話し出しますと気持ちが落ち着きます。その後は、息をゆっくり吐きながら話すと喉の準備状態が万全となり酸素が自然と取り込めるようです。
 早口にならず、ソフトな声を出すようにしますと、自然とジェスチャーが出てきましたり、直立していた姿勢が、動きと共になめらかになってきたりします。自分が重要だと思うところは、パワーポイントもズームアップする動きにしておけば、自然と声も大きくなります。時には、やや音量を下げて、ささやくようにしますと、受講者が身を乗り出してきます。このようにして、パワーポイントとシンクロして、発声をして行きますと、話下手な私でも「大変よく理解できました」「わかりやすかったです」というような賛辞をいただけます。
 上手に話そうとか、見栄えのするパワーポイントを制作するなど、技に走らず、自分の思いを熱く語り、思いを届けるという気持ちを忘れて欲しくないのです。
*
 *
■ おすすめブログ  コンサルタント・士業に特化したブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー04 拈華微笑 以心伝心から見える化の時代へ ~ 言葉を使わず心から心へ伝える ~

2025-01-18 00:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー04 拈華微笑    以心伝心から見える化の時代へ ~ 言葉を使わず心から心へ伝える ~     


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー04 拈華微笑    以心伝心から見える化の時代へ
      ~ 言葉を使わず心から心へ伝える ~


「以心伝心(いしんでんしん)」という四字熟語もしばしば耳にしてきましたが、近年は、以前ほどではないような気がします。それどころか、以前は日本人の特質的に良い意味で使われていましたが、昨今では「以心伝心」ができなくなってきたことへの憂いの言葉のように使われます。古い人間にとっては、日本人の良さが消え去るようで寂しい思いをします。
「以心伝心」を訓読みしますと「心を以(もっ)て、心に伝う」となります。「以て」は「手段・方法・材料などを示し、”…によって””…で”(広辞苑第六版)」という意味ですので「以心」は「心を使って」という意味になります。「伝心」は「心を伝える」という意味ですから、「以心伝心」というのは、「心を使って、心を伝える」という意味です。すなわち、「文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合う(新明解四字熟語辞典)」こととなります。
 出典は「禅源諸詮集都序」に出てきますので、禅宗の語で、「言葉や文字で表されない仏法の神髄を、師から弟子の心に伝える」ことを意味します。
 類義語として「拈華微笑(ねんげみしょう)」があります。「拈」は訓読みで「ひねる」、すなわち、「捻(ひね)る」と同意です。「拈華」とは「華を拈る」で「微笑」は、通常私たちは「びしょう」と読み、「ほほえむ」という意味です。
 釈迦が説法をした折に、黙って花を拈って示したところ、迦葉(かしょう)という釈尊十大弟子の一人だけが、その意味を理解してにっこり笑ったという故事から「以心伝心」と同様な意味で「拈華微笑」が用いられます。(四字熟語辞典)因みに、この故事からも解りますが、迦葉は、釈尊の入滅後には教団の統率者となりました。
 同じような意味で、「教外別伝(きょうげべつでん)」や「 不立文字(ふりゅうもんじ)」という四字熟語があります。前者「教外別伝」は、同じような意味ですが、禅宗の教えから「悟りは言葉や文字で伝えられるものではなく、直接心から心へと伝えるもの(新明解四字熟語辞典)」という意味です。類語の「不立文字」もやはり仏典にあり、悟りというものは文字では表せないということから「悟りは修行を積んで、心から心へ伝えるもの」となります。
 日本人は、口に出さなくても自分の気持ちは相手に伝わると思い込んでいたため、アメリカ人を始め多くの外国人のように I love you. ということを言わない時代が続いて来ています。ところが近年、日本人も拈華微笑が通じる人が少なくなって来ています。そのうちに、アメリカ人と同様に、一日に一回以上I love you.と言わないと離婚理由として正式に認められるようになるかもしれません。
 有能な人は、相手が何を考えているのか、読心術とまで行かなくても、ある程度雰囲気を読んで、それを別の方法で確認して、すなわちウラを取ってから実務に応用すると言われています。拈華微笑は私たちにとって必要な能力なのかもしれません。
 では、その能力をどのようにして修得したらよいのでしょうか?
 一つには、その様な経験の場数を踏むことだと思います。しかし、その様な場に遭遇することはそれほど多くはないでしょう。とりわけ「ノウハウ」と言われるような目に見えないことを伝えたり、習得したりすると言うことは大変困難なことです。コンサルタントを対象としたある研修会では、経営コンサルタント歴の永く豊富な講師は「教えてもらうのではなく、感じ取る」という知識修得よりは拈華微笑を大切にしています。
 日本人は、「腹芸」などと言われるように、また「以心伝心」の類語が複数ありますように、「言わなくてもわかってくれるはず」「簡単な説明だけだったが、伝わっているはず」と考えがちです。
 昨今では、拈華微笑ができない人が多くなっているために、思わぬトラブルに巻き込まれたり、想定外のことが発生したりすることもあります。ある企業でのことです。先輩が、後輩に「どう、昼飯でも一緒に」と声をかけました。後輩は「結構です」と答えたそうです。
 昼休みになって、先輩は玄関のところで、後輩の来るのを待っていたのですが、いつまで経っても後輩は来ません。それもそのはずです。先輩は「結構です」という後輩の言葉を「結構なお誘いをありがとうございます」と”同意”と解釈しました。ところが、後輩は、先輩と昼飯を食べるなんて、固苦しいですので、「ノー」の意味で「結構です」と答えたのです。
 このようなことがありますと、先輩としては、後輩達の言葉の使い方が難しく感じ、何ごとにおいても「疑心暗鬼(ぎしんあんき)」になってしまいます。「疑心」すなわち疑う心があると「暗鬼」すなわち「くらがりの鬼」を呼んでしまうのです。すなわち、「疑心暗鬼」というのは「実際にはいないのにその姿が見えるような気のする鬼。不安・妄想から起こる恐れ(広辞苑第六版)」という意味から「心に疑いを抱いてますと、何でもないことでも恐ろしいものに見えたり、些細なことに不安を覚えたりする」ことに繋がるのです。「以心伝心」がなかなかできない時代になってしまいましたので、言うべきことをキチンと表現しないと「疑心暗鬼」に繋がってしまいかねませんね。
*
 *
■ おすすめブログ  コンサルタント・士業に特化したブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー01 一所懸命 陳腐な言葉にも謙虚に耳を傾ける ~ 命がけで物事に取り組む ~

2024-12-28 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー01 一所懸命    陳腐な言葉にも謙虚に耳を傾ける ~ 命がけで物事に取り組む ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー01 一所懸命    陳腐な言葉にも謙虚に耳を傾ける
      ~ 命がけで物事に取り組む ~



「一生懸命(いっしょうけんめい)」という四字熟語を知らない人はいないでしょう。「懸命」は、音読みをしますと「命を懸ける」となり、命を懸けてもやり抜くということから、「本腰を入れて物事に取り組む」という意味に通じます。「一生」は、もともとは「一所」でした。すなわち、本来は「一生懸命」ではなく「一所懸命(いっしょけんめい)」だったのです。
 NHKが、サイトで下記のように説明をしています。


「昔、武士が賜った『一か所』の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたこと」に由来したことばです。これが「物事を命がけでやる」という意味に転じて、文字のほうも「一生懸命」[イッショーケンメイ]とも書かれるようになりました。


 ある会社の課長が、部下を叱ったときに、部下から「一生懸命にやっています」という言葉が返ってきたそうです。その時に「自社の常識は他社の非常識」という表現を知っているその課長は、それをもじって「自分の一所懸命は、同僚から見たら”あそび”である」と言ったのです。ところが、その部下は、その課長の言っている意味を理解できなかったのです。その課長は、「あきれてものが言えなかった」で終わらず、いろいろと事例を挙げながら、時間をかけて説明し、その部下がようやく「一生懸命やっている”つもり”では、まだ一生懸命さが十分ではない」ということを悟ったそうです。
 昨今では、本家本元の「一所懸命」よりも「一生懸命」という表現の方が多用される傾向にありますが、私は、「一所懸命」を使うようにしています。これをもじって「会社人間」の仕事ぶりを表して、「一社懸命」という表現もあるそうです。
 一所懸命と同じような意味で、「一意専心(いちいせんしん)」という四字熟語があります。以前、某関取が、横綱に推挙されたときにこの言葉が使われたように記憶しています。また、「一心不乱(いっしんふらん)」という、同様な意味の言葉もあります。「櫛風沐雨(しっぷうもくう)」、「櫛風浴雨(しっぷうよくう)」「風櫛雨沐(ふいしつうもく)」も同様に、髪を風でくしけずられ、雨に洗われるような環境でも努力するということから、同様に使われます。
「一所懸命」と同じ「一所」を使った四字熟語として「一所不住(いっしょふじゅう)」という四字熟語もあります。こちらは、一所懸命とはかけ離れた意味で、「主として行脚僧が諸所をまわって『一か所』に定住しないこと」「居所が一定しないこと」を意味します。(NHKサイト) もっとも行脚僧の心境は「一所懸命」であり、「一生」修行のみで過ごすことを心に念じているのかもしれません。


 別項でも書きましたが、近年、人の評価を以前ほどできる人が少なくなっているような気がします。人を評価するときに、学歴とか社歴、資格などでしか判断できなくなっているように思えます。何かを判断するときに、多くの場合、5段階評価のチェックシートを使うことが最近の主流のように思えます。真の意味の「デジタル」ではありませんが、これを私は「デジタル基準」と呼んでいます。
 私は、「人を”診る”目」については、自信があるわけではありません。仕事柄、経営コンサルタントの資格付与とか、中途社員や役員選定などの面接に立ち会わされることが多々ありますが、採用すべきかどうかを判断するのは自信がありません。そのような人が多いので、昨今ではデジタル基準が多用されるようになっているのでしょう。
 判定のためのチェックシートでは、「2なのか3なのか」判断に困ることが多々あります。設問そのものの解釈が何通りも考えられて、判断に窮することもあります。私の判断思考が、デジタル基準にそぐわないのかもしれません。
 私の場合には、「日本語が乱れていないか」、「人に対する思いやりはあるのか」、「規律遵守に対して厳しいか」「自分に甘く、他人に厳しくないか」等々、非常に感覚的な部分で”診る”ことが多いです。これを「アナログ基準」による思考と言っています。
 上述の「一所懸命」もその一つです。「一生懸命」という言葉を使う人はダメだという減点思考ではなく、「一所懸命」とう言葉を使う人がいたときには加点するようにしています。そのような日本語をしゃべる人は、自分に近いように感ずるのです。なぜなら、そのような人というのは、何か判断に窮したときに、「原点は何か」ということを判断規準として採用できる人ではないかと推察できるからです。すなわち、元来「一所懸命」であったものが、誤用されて「一生懸命」に変化したのであって、後者を使うことは、好ましくないと考える人達です。


 別項でも触れていますように、「鳥肌が立つ」という表現は、元来は、あまり良い意味で使われていないのが、近年、良い意味で使う人が多いように思えます。同様に、おいしい物を食べるときの表現として「舌鼓を打つ」という言葉があります。これを「したずつみ」と誤用されます。「情けは人のためならず」という諺も「人に情けをかけることは、その人のためにならない」という意味に誤用されることも気になります。
 「本日も○○鉄道をご利用いただきましてありがとうございます」というようなアナウンスを、毎日のように耳にしている人が多いと思います。その中で、何%の人が違和感を持っているか解りませんし、何処がおかしいのか解らない人が多いのではないでしょうか。
「いただく」は謙譲語ですので、この場合、主語(日本語文法の「主部」)がお客様ですから、お客様に対して謙譲語を使うことは失礼です。丁寧語や時には尊敬語を用いるべきです。この場合ですと、「ご利用下さいまして」に置き換える方が良いのです。あまりにもこの誤用が頻発しますので、NHKでは、この種の謙譲語は「許容する」という姿勢になってしまいました。


 近年、しばしば耳にする言葉で気になるのが「すごい」という言葉です。「すごいおいしい料理」というように使われます。「すごい料理」という表現も、「おいしい料理」というのも文法的にも正しいので問題ありません。「すごい」も「おいしい」も形容詞ですから「料理」という言葉を引き立てるために使われています。
 ところが「すごい」と「おいしい」という二つが合体しますと、文法違反になります。なぜなら、「すごい」というのは「おいしい」という形容詞を強調することになりますので、「すごく」という副詞を使って表現を強めるべきなのです。すなわち「すごくおいしい料理」と表現すべきです。「すごい料理」や「おいしい料理」という表現がありますので、それを混同して「すごいおいしい料理」と言われるのだろうと思います。
 このような日本語の誤用があまりにも頻発しているような気がします。それに加えて誤用に迎合しているような風潮を感じます。デジタル基準では、そのような用法が奇異に感じられることを教えてくれないのでしょう。少々言い過ぎかもしれませんが、アナログ基準も大切にする私には、そのような人を敬遠したくなってしまうのです。人を採用するときに、他の採用担当者はデジタル基準で行う人であることが多いですので、私はあえてアナログ基準で判定するようにしています。
 私のような人間は、「世の中の流れに沿えない人」と、抵抗を感じる読者も多いでしょう。しかし、私は、そのような傾向を否定しているのではなく、心密やかに残念に思っているだけなのです。


 さて、本題の「一所懸命」ですが、昔は「転職することは、履歴書を汚すことである」というようなことが言われました。一旦入社したらそこに「終生お世話になる」、すなわち「就職」ではなく「就社」という感覚でした。若い人が、自分のやりたい仕事とは違いますので、入社まもないにも関わりませず会社を辞めようとすると、以前なら「石の上にも三年」という諺が持ち出されました。私が、会社勤めを辞めて、経営コンサルタントとして独立起業すると決めたときも、私のことを親身に思ってくれる人達は、こぞって反対しました。
 昨今では、アメリカ流の「転職はキャリアアップに繋がる」とう考え方が一般的ですので、人それぞれ、「十人十色」ですから、その考え方に反対はしません。しかし、私の元に転職したいという人が相談に来ましたら、転職した方が良いのか、そのまま留まって我慢をする方が良いのか、相手の状況を充分に聞いた上で判断をします。


「一所懸命」は、「一か所に命を懸ける」と読めますので、「雫(しずく)も石に穴を掘る」ことができるということにも繋がります。凄腕の営業パーソンの若かりし頃の話題として、「駆け出しの頃は、顧客開拓に苦労し、くつを何足も買い換えた」というような話が出てきます。その時に言われることが、一社を落とすために「夜討ち朝駆け」したという話がつきものです。
「艱難辛苦(かんなんしんく)」の末、獲得した顧客は、辛ければ辛い経験ほど、その顧客を大切に、時には愛おしくさえ思います。「艱難」は、「苦しみ悩む」ことですので、「艱難辛苦」は、「困難や辛いことに直面し、非常に苦労する」という意味です。「千辛万苦(せんしんばんく)」も「四苦八苦(しくはっく)」も、苦しさの多いことを、言葉を重ねて表現し、同じような意味で用いられます。


「閑話休題(かんわきゅうだい)」は、話の本筋から余談にそれてしまった場合に、基の本筋に話を戻すときに用いる表現です。「閑話」は「むだ話」「」休題」は、「話題を止める」という意味で「それはさておき」と言った意味合いの時にしゃれて使います。
 さて、「閑話休題」、上述の辛い話を何度も聞かされてきましたので、「夜討ち朝駆けとは、また陳腐な事例か」と若い頃はその度に思いました。「一所懸命」の精神を伝えたいという思惑を理解できれば、その事例を聞く度に「自分にその大切さを再認識させる機会が与えられた」と考えることができるようになりました。そのようなときに「誠意を持って接すれば、石に穴をあけることもできる」ということも語られるでしょう。誠意の大切さも、耳にたこができるほど聞いていますので、知識としては持っています。しかし、知識として知っていることと、それを実行できることは異なります。ましてや、それを実行して、結果に結びつけられることとは別なことです。
 陳腐な言葉にも、謙虚に耳を傾けますと、自らを反省する機会に繋がるのです。
*
 *
■ おすすめブログ  コンサルタント・士業に特化したブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー09 抜本塞源 問題解決と原因除去 ~ 原則をおろそかにして道理を乱す ~

2024-12-21 00:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー09 抜本塞源    問題解決と原因除去 ~ 原則をおろそかにして道理を乱す ~       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー09 抜本塞源    問題解決と原因除去
      ~ 原則をおろそかにして道理を乱す ~


「抜本塞源(ばっぽんそくげん)」は、「根本を忘れ、道理を乱す」という意味で、出典は春秋左氏伝です。ところが近年は、「抜本」は木の根から全てを抜き、「塞源」は水源をせき止めるという意味から、「抜本塞源」は「災難の原因を完全に除去する」という意味で使われることが一般的です。
 問題を解決するということは、大小あれど日々の生活の中で、何らかの形で存在します。問題があっても「快刀乱麻(かいとうらんま)」のごとく解決できる神様のような経営コンサルタントがいたら素晴らしいと思います。「快刀、乱麻を断たつ」の略で、「快刀」は「鋭利でよく切れる刃物」、「乱麻」は「乱れ、もつれた麻」のことを指します。よく切れる刃物で、もつれた麻糸のもつれた部分を切り取るように「こじれた物事を鮮やかに解決し、処理する」という意味です。
 東日本大震災で起こった原発問題ですが、ピーク時に大需要を持つ企業の15%電力削減が一律に適用されました。マスコミもピーク時のことばかりに偏重して報道していました。
 一般家庭もピーク時電力削減ばかりに目が行ってしまいますが、ムダな電力消費そのものを減らすだけではなく、電力消費そのものを減らす努力をすべきです。ムダなTV番組を減らすことにより、制作側、放送局、視聴電力等々を減らすことができます。ただし、このことは経済原則からしますと、異なった見方ができますが、上述のように解釈したいと思います。
 一方で、それによる経済的な側面をはじめ、多面的にそれによるディメリットも検証しなければなりません。その際にも根本を忘れて枝葉末節的な論争を延々とやっていてはならないとお思います。因みに「枝葉末節(しようまっせつ)」は、「主要部分ではない些末なこと」、すなわち「本質から外れたつまらないこと」という意味です。
 企業経営においても、しばしば類似した過ちを犯しがちです。「赤字である」ということから、「経費削減」「人員削減」と決めつけてはなりません。人間も生きるために最低限度のエネルギーと栄養が必要なように、企業にもそれが必要です。
 正しく原因分析をし、原因を根本から除去し、正しい方針で、正しい方法で解決することが望まれます。他書でも記述していますが、分最適ができても、必ずしも全体最適とは限りません。素人の生兵法で判断しては抜本塞源にならないことが多いことを忘れてはならないでしょう。
 マズローの欲求五段階説にもありましょうに、生活程度が高くなりますと、人間のニーズは多様化し、複雑化します。抜本塞源を意識することにより問題解決に結びつけやすくなりますが、昨今では「盤根錯節(ばんこんさくせつ)」している課題にしばしばであいます。
 インターネットのkotobankによりますと「盤根(ばんこん)」とは、下記のように説明されています。
雑木、特にもみじやぶな、姫しゃらなど根張りを見所とする樹種において、上根が癒着してひとかたまりになった状態を盤と言い、その根を盤根と呼ぶ。


「錯節(さくせつ)」の「錯」は「乱れて入りくむ」と言う意味で、「節」は「ふし」のことです。kotobankでは「 入り組んだ木の節」とあります。また「入り組んでいて解決しにくい事件や問題」ともあります。
 すなわち「盤根錯節」とは、根が張り、それが入り組んでいましたり、枝が複雑に絡んで節がごつごつしているようなことを指します。このことから、物事が複雑に絡み合っていて、処理するのが難しいことのたとえなのです。
 企業経営というのは、いろいろな問題が絡み合っています。それを整理するのが別項にあります「論理思考(ろんりしこう)」です。ロジカル・シンキング・ツールを使って事象を整理するのは大変ですが、それを実施し、全体が見えてきたときには、問題が解決していない段階でありましても、嬉しくなり、何としても解決に導こうという気になります。
 受験生の頃、数学の難問集に取り組み、解決できたときの快感は、登山で頂上を極めたときのそれに通ずるところがありました。経営コンサルタントも、クライアント・顧問先の問題を解決できたときには「“日本で”経営コンサルタントをやっていてよかった~」と叫びたくなります。少々古いですが、「日本で猫をやっていて良かった」というTVコマーシャルを見た人はわかる表現です。
 京都の鞍馬山を訪れたことがある人はご存知ですが、地上に根が露出して、ゴツゴツとなり、非常に歩きにくいところがあります。牛若丸がそれを利用して、ここで修行をしたと言われています。
 これを見たときに、盤根錯節という言葉を思い出し、上を見上げましたが、木々はすんなりと育って、錯節状態ではありませんでした。
 叡山電鉄鞍馬駅→徒歩10分→由岐神社→徒歩15分→鞍馬寺→徒歩20分→鞍馬寺・魔王殿→徒歩30分→貴船神社→徒歩30分(またはバス)→叡山電鉄貴船口駅(ウェブサイトより)というルートをある年の初夏に歩きました。
 まさか、山越え・峠越えとは知らず、革靴で行ったために往生しました。革靴といってもウォーキングシューズですが、右足の親指の爪が内出血して、黒くなり、数ヶ月した今もまだ抜け切れていません。
 訪れるところがどういう状態の場所なのかを事前に調査もせず、山に行きますと、自然に圧倒されて遭難に至ってしまうこともあるでしょう。
 若い頃は、山歩きが好きで、南アルプスを始めあちこちには行きましたので、「半山男」と言えますのに、この顛末は恥ずかしい次第です。
 何ごとも事前に情報収集しないとこのようなことになると自戒しています。
 因みに「山紫水明(さんしすいめい)」は「自然に囲まれた景色は清々しく、美しい」という意味です。山派紫に霞み、川は清らかに澄んだ流れをしているという、一幅の絵を連想させる四字熟語です。
*
 *
■ おすすめブログ  コンサルタント・士業に特化したブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー08 実事求是 ウラを取る ~ 事実にも基づいて追求する ~

2024-12-14 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー08 実事求是    ウラを取る ~ 事実にも基づいて追求する ~   

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。
 
第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー08 実事求是    ウラを取る
       ~ 事実にも基づいて追求する ~


 中国清朝時代に盛んになった考証学では、「ことを実にして、是を求む」という学風で臨むことを基本としていました。すなわち、「実事求是(じつじきゅうぜ)」はあらゆることにおいて、根拠を追求し、それを明示して、論証するという学問追求の姿勢です。
 企業経営において、問題が発生しますと、その原因追及をして、再発防止に努めるという姿勢でいることは重要なことです。これがないと企業は悪い方向に向かうことが必定と言えます。
 ある経営者の話です。自分は社員の声に平素から耳を傾けていると信じて経営をしていました。ところが私ども経営コンサルタントが社員にヒアリングをすると「社長は、我々の思いとは違う、自分の考えだけで経営をしている」という答えが返ってきました。
 確かに、その社長は、なにかがあると社員を呼んでは意見を求めています。相手が社長では、お座なりにはできませんので、社員もそれに対して「一所懸命」に答えます。ところがその時に「いや、君の考えは間違えている」ということを社長が言い、その論拠を得々と説明して、結局自分の考えを社員に押しつける会話で終わっていました。
 社員は、「うちの社長は、俺たちの意見を聞こうとするけど、それはジェスチャーだけで、結局自分の考えを押しつけてくる。結果として、俺たちの意向は全然入れられない」と次第に諦めてしまっていたのです。
 経営者自身は、社員に意見を求めた結果を基に経営判断していると思い込んでいるだけに始末が悪いです。手前味噌になって恐縮ですが、われわれ経営コンサルタントなどが、第三者的な立場で、ビシッと言わない限り、その姿勢は変わらない人が大半でしょう。
 また、ある経営者は、社員の意見を求めはしますが、自分の都合の良い意見だけを採り上げることの繰り返しです。この経営者は、一人、あるいは一方の集団の言葉を聞くだけで、それが全て、それが事実、という偏った認識をしてしまいます。その結果でもって、経営判断をしてしまうので、正しい判断ができないだけではなく、社内に不満も残ってしまいます。
 私は、若手の経営コンサルタントの育成ということに永年携わってきましたが、口癖のようにいう言葉の一つに、刑事が活躍するサスペンス物の見すぎかもしれませんが「ウラを取れ」ということがあります。「一部分を見ただけで全体を推し量るな、闇夜にカラスで見えない部分が必ずあると思え」と言うようにしています。盲目の方には大変失礼ながら「群盲象を撫でる」という言葉がありますように、一部を触っただけでは、木の幹のようであったり、壁のようであったりします。「
 ウラの取り方として、現場百遍(げんばひゃっぺん)」という言葉もありますので、事実をいろいろな角度で観て、検討することが必要です。一人の人の話を聞くだけではなく、複数の人の証言を聞くことも大切です。一方の意見を聴くだけではなく、必ず他方の言い分にも必ず耳を傾けるようにします。それだけでも不充分で「物証」が必要なことがあります。例えば統計数値ですとか、マスコミ報道ですとか、公的な性格の強い、第三者が提供する情報や意見です。それでも判断を誤ることがあります。
 なぜなら、人というのは「外柔内剛(がいじゅうないごう)」だからです。「内剛外柔(ないごうがいじゅう)」とも言い、その反語的表現として「内柔外剛(ないじゅうがいご)」という四字熟語もあります。外柔内剛というのは、外見から見ますと、その言動が物腰柔らかに見える人がいても、「やわな人」と判断せずに、その内面がしっかりしていて、「意志強固(いしきょうこ)」かもしれません。外見だけで判断しますと、火傷を負うかもしれないのです。
 昨今は、インターネットを利用するといろいろな情報を容易に入手できます。それを見つけますと、答がわかったような「つもり」になってしまいます。それどころか、調べただけで、自分の知識となったような気になってしまいがちです。検索サイトで、一つのキーワードで検索しますと多数の項目が列挙されます。中には、相反していたり、真の目的とは異なっていたりすることが記述されていることさえあります。容易さに慣れてしまって、そこに記述されていることが正しいのかどうかのウラを取ることに意識が行きません。
 企業の経営者・管理職は、双方向コミュニケーションが基本です。傾聴と言うことがよく言われるようなりましたが、まっさらな気持ちで相手との話に臨むことが必要です。色眼鏡をかけて相手の話を聴くだけでは、相手の言いたいことを素直に聞き取れないでしょう。
 特に意見対立があるような場合には、一方の言い分だけを聞いただけでは、MECE(ミーシー)な情報収集とはいえません。MECEというのはロジカル・シンキングの基本である「漏れや重複がない」状態を言います。
 事実求是の基本はMECEにもありそうです。因みにMECEというのは、下記の英語の頭文字をとったものです。
  M mutually 相互に、相互間において
  E exclusive 排他的な、独占的な
  C collectively 集合的な、集まった
  E exhaustive 徹底的な、全てをはき出した
 「Mutually exclusive」は「相互的に排他的」ということから「重複しない」という意味になります。「Collectively exhaustive」は「徹底的に集合している」ということから「漏れがない」という意味です。

*
 *
■ おすすめブログ  コンサルタント・士業に特化したブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー07 軽諾寡信 身の丈を超えた仕事の依頼~軽々しく引き受ける人は信用されない~

2024-12-07 07:21:16 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー07 軽諾寡信    身の丈を超えた仕事の依頼~軽々しく引き受ける人は信用されない~       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー07 軽諾寡信    身の丈を超えた仕事の依頼
      ~ 軽々しく引き受ける人は信用されない ~


 「老子」に「軽諾は必ず信、寡なし(少なし)」とあります。
 「軽諾」は、「軽く諾する」すなわち「熟考せず、軽い気持ちで引き受ける」という意味です。「寡信」は、「信が少ない」ということから「信用が少ない」という意味であり、「軽諾寡信(けいだくかしん)」で「物事を軽々しく引き受ける人は、信用できない」という意味になります。反意語としては「一諾千金(いっかくせんきん)」があります。ご存知の方が多いと思いますが、「一度にたくさんの利益を、あまり苦労もせずに得ること」を指します。「一攫」は「ひとつかみ」という意味です。ところでこの「攫」という漢字ですが、「獲得」という意味に通じることから「一獲」と書く人が多いようです。常用漢字などの問題からでしょうか、最近、後者が用いられているのを時々見ます。できれば、前者の伝統的な表記を用いるようにして、博学であることを無言の内に示した方がよろしいのではないでしょうか。
 経営コンサルタントとして仕事をし始めたばかりの頃は、はじめからクライアント・顧問先を持っているわけではありませんでした。企業から声をかけられますと、仕事ほしさから何でも引き受けたくなりました。自分の実力以上の仕事であったり、自分の専門外であったりしても、仕事を欲しいという気持ちが先行してしまいがちです。
 経営コンサルタントに取って、その様な引き合い案件は、例え契約に結びついたとしても、自分の手に負える仕事ではなく、一夜漬けやドロ縄では間に合いません。経営者といっても、その道に永年従事していますので、ド素人のコンサルタントの化けの皮はすぐにはがれてしまいます。その結果、「あの人は無能なコンサルタントだ」という評判が立ち、次の引き合いになかなか巡り会えなくなってしまいます。
 身の丈に合った仕事を選ぶことが大切です。
 では、もし、自分の実力を超えたり、専門外であったりする仕事の話が経営コンサルタントに持ち込まれたときにはどうしたら良いのでしょうか?
 せっかくの引き合いですので、みすみす逃すのはもったいないです。かといって、身の丈を超えた仕事を引き受ければ、前述の結果になることは火を見るよりも明らかです。
 その様なときにはむしろ正直に言うようにしています。「大変うれしい話をありがとうございます。ただ、私の専門外のお仕事ですので、本日はお話を承り、その分野を得意とする先生をご紹介したいと思いますが、それで宜しいでしょうか?」と言ってみてはどうでしょうか。
 それでダメなら諦めざるを得ません。でもただで諦めてはプロの名折れです。自分が親しくしているコンサルタントに、「○○会社では、先生が専門としている分野のコンサルタントを探しているようですから、一度アプローチをしてはいかがでしょうか」と情報を流します。
 そのコンサルタントが信用できる人であれば、いつか逆に仕事に誘ってくれるでしょう。もし、その経営者が、「誰かを紹介して欲しい」という意向であれば、その時は、信頼できる先生を紹介し、鞄持ちをしながらその先生の仕事のやり方を学ばせてもらえば一石二鳥です。その先生が、ホンモノのコンサルタントであれば、顧問料の一部を分けてくれることが多いのです。「情けは人のためならず」という言葉は、このような時にも言えることです。
 しかし、なかなか信頼できるコンサルタントに出会うことは、コンサルタント業界にいる人にとっても難しいことです。それを解決できるのがコンサルタントの団体です。「共業・共用・共育」といって、「仲間と仕事をしながら実力を付け、収入を増やしていこう」という団体もあります。
 平素から、「コンサルタントは一人ではやって行けない時代である」ということを自覚し、仲間作りをすることが、ビジネスチャンス拡大にも繋がりますし、実力を養ったり、知識や情報を手に入れたりすることにも繋がります。
 一般企業でも同様なことがいえます。お客様から自社製品ではできない仕様要求があったときに、それをごまかして受注を取ってみてもダメな結果はわかりきっています。「羊頭狗肉(ようとうくにく)」は、「羊頭を懸かげて狗肉を売る」を略した表現です。「羊頭」は店頭や看板に未の頭を掲げ、実際には「狗肉」、犬の肉を売るという意味です。外見と実際が一致しなことを言います。あたかも素晴らしい商品であるかのように、派手な宣伝をしたり、展示会や店頭などで見せたりするものの、実際には粗悪品を売るようなビジネスの仕方を指します。
 上述のようなときに、「羊頭狗肉」ではなく、「△△の機能は弊社商品には有りませんが、こちらの機能を使えば代替方法でこのようにできます。○○の機能は他社にはない機能で、このようなことをすることができます」と正直に説明して、切り返すことも必要です。
 できないからと言って、一度つかみかけたお客様をむざむざと放さない粘りも不可欠です。本当に自社の技術では解決できないものかどうか、研究開発部門とじっくり腰を落ち着けて検討すべきではないでしょうか。ひょっとして、画期的な機能に繋がり、自社の将来を明るくする機会となるかもしれません。あるいは仲間や同業者に橋渡しをして、将来のチャンスを待つことも必要ではないでしょうか。
*
 *
■ おすすめブログ  コンサルタント・士業に特化したブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー06 鬼哭啾啾 日はまた昇る~恐ろしい気配の漂う様子や状態~

2024-11-30 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー06 鬼哭啾啾    日はまた昇る~恐ろしい気配の漂う様子や状態~       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー06 鬼哭啾啾    日はまた昇る
      ~ 恐ろしい気配の漂う様子や状態 ~


「鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)」という四字熟語があります。この言葉に初めて接したときには、その意味がわかりませんでした。「鬼」というのは鬼とか亡霊とか呼ばれる、どちらかというとおどろおどろしいものをさすだろうということは想像できました。「哭」は、大声を上げて鳴き叫ぶという意味で知っていましたが「啾」という時の意味がわかりませんでした。
 因みに、「哭」という字を中国では、「人の死を悲しんで泣きさけぶ礼(広辞苑)」という時に使うそうです。「啾啾」は、虫や鳥などが小声に鳴く様子を指し、しくしくと力なく泣く様子や細かく尾を引いて悲しげに、また恐ろしげに鳴く様子を指すようです。すなわち、「鬼哭啾啾」は、亡霊の泣き声が恨めしげに響くという意味となります。このことから「恐ろしい気配の漂う様」を形容する時の表現として使われます。
 私が、所属する団体の役員会議の席上、その団体の変革を求める要求について、会員からの声を率直に伝えました。その座長の逆鱗に触れることは、この団体にいられないというような雰囲気でした。誰しも自分が可愛く、自分に余計な火の粉がかかってくることは望みません。その場が一瞬にしてシーンと静まりかえり、私の発言を誰一人としてフォローしてくれませんでした。その時に初めて鬼哭啾啾という場に遭遇しました。
 日本企業は、「技術力はあるが、マーケティングが下手」というようなことがしばしば言われます。高い技術力で良い商品を開発しても、後発の国の模倣により、軒先を貸して母屋を乗っ取られてしまう事態が処々に見られました。
 マーケティングの基本の一つに「プロダクトアウトではなく、マーケットインであるべき」という考えがあります。日本企業は、自社の技術力をベースに「良い製品は売れる」と信じ、満を持して新製品を世に投じてきました。残念ながら、それが市場でユーザーに受け入れられないことが多かったのです。
 かつては、日本国内では、N社が日本のパソコンの標準であると言われる時代がありました。しかし、IBMがDOS/Vという仕様のOSを発表しますと、急速に市場から駆逐されてしまいました。同様にガラケー(ガラパゴス携帯電話、日本独自OS携帯電話)も、日本独自の仕様と言うことで、世界の市場から日本の携帯電話は見向きもされなくなってしまいました。
 日本という国全体が、バブルがはじけると「失われた○十年」が始まり、「鬼哭啾啾」しました。グローバル市場での相対的地位の低下から、日本全体が自信をなくしてしまったのです。「威風堂堂(いふうどうどう)」「旗鼓堂堂(きこどうどう)」という威厳に満ち、立派に見える状態ではなく、自信と活気に溢れた高度成長期とは大きく異なっています。
 高度成長期には、「騎虎之勢(きこのいきおい)」で、自社の考えを基に、市場に立ち向かう「プロダクトアウト」の戦略が採られました。「騎虎」、すなわち「虎にまたがる」とうことで、虎を目の前にしたときの戦法として虎にまたがるという方法があります。ところが一旦虎の背にまたがってしまうと、その勢いが激しくて降りることもできないでしょうし、降りてしまったら虎に食べられてしまいます。このことから「勢いよいときには塗中で止められない」、すなわち「一旦はじめてしまったら、後に引けない」という意味です。
このような時には、市場の動向に合わせた新製品開発、すなわち「マーケットイン」が改めて見直されるとともに、技術だけを前面に出したグローバル市場への参入に、高らかに警鐘が鳴らされました。
「日はまた昇る(The Sun Also Rises)」といいますと、小説家アーネスト・ヘミングウェイの長編小説を連想する人が多いでしょう。これをもじって、「エコノミスト誌」の編集長をしていたビル・エモットは「日はまた沈む」と、「日」すなわち「日本」はその繁栄からまた沈んでしまうだろうと、日本経済を揶揄し、バブル崩壊を見事に予測して、1990年代にベストセラーとなりました。二一世に入りますと、エモットは、日本は長い低迷の時期を続けていますが、ゆっくりと、確実に変化しているとして「日はまた昇る」とヘミングウェイと同じタイトルの本の出版をしました。
 日本は、鬼哭啾啾の後、東アジア情勢への展望を視野におきながら、社会インフラ面での、技術だけではなく仕組みとして、水事業を始め、いくつかに絞り込んだグローバル戦略に目を向け始めています。アメリカを始めとしたいろいろな国に、新幹線の、高い安全性における実積を武器に、運用技術も含めたトータスサービスを商品として、ふたたび羽ばたき始めています。
 グローバル市場で、いろいろな課題がある中、何度失敗してもくじけない精神で「七転八起(しちてんはっき)」し、不死鳥のように蘇るでしょう。日本は、ロボット産業、リニアモーターカーや環境技術を始め、たくさんの強味を持っています。「第四の波」と言われますナノテクノロジー、バイオテクノロジー、人工知能も視野に入れることにより、日はまた昇るのではないでしょうか。
*
 *
■ おすすめブログ  コンサルタント・士業に特化したブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー05 一期一会 部下を育てる~一生に一度の機会として誠意を持って対峙する~

2024-11-23 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー05 一期一会    部下を育てる~一生に一度の機会として誠意を持って対峙する~    


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー05 一期一会    部下を育てる
      ~ 一生に一度の機会として誠意を持って対峙する ~


「一期一会(いちごいちえ)」とは、千利休の言葉として、茶道に由来する和製四字熟語として、広く知られています。茶会に臨むにあたり、このような出会いや機会は、一生のうちで二度と訪れることがないかもしれないので誠意を持って対応すべきという意味です。
 山上宗二記に「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏(かしこまる)ベシ」という一文が残されています。「一期」は、「いちき」と読む人がないといわれるほど、その読みはよく知られています。「一期」は、もともとは仏教語で、「人が生まれてから死ぬまでの間」、すなわち一生をあらわす言葉です。
「この一瞬は二度と巡り会えないかもしれませんので、最高のおもてなしをしなさい」ということから、神経を集中して、ベストを尽くしなさいという戒めです。
 人間の集中力というのは、われわれ凡人では三分くらいしか持続しないと言われています。また、集中しているつもりでも、ちょっとした気の緩みから集中状態が崩れ、失敗に繋がることがあります。それを戒めるのが、徒然草の「高名の木登り」の話です。
「高名の木登りといひし男・・・」で始まります第百九段に登場します。弟子の職人が高いところで梢を切っているときには何も言わなかったのにもかかわらず、軒の高さほどになり、もうすぐ地上に近いところまで下りて来たときに「あやまちすな。心して降りよ」と声をかけて注意を促したのです。
 怖さを感じる高所にいるときには、自分自身で注意をしますけれど、地上近くなりますと怖さも薄れ、つい気が緩み、木から転げ落ちるミスに陥りやすいという教えです。
 私がかつて会社勤務一年生であったときに、私の同僚が、ケアレスミスを起こしました。その時に、私も一緒に作業をしていましたので、彼をかばおうと「解っていながら、ちょっとした気の緩みでのミスで、私でも起こしかねないことです」と言いました。課長は、私に「ケアレスミスを軽視するな」と厳しく注意してくれたときに、徒然草のこの段を引用してくれたのです。
 私が若い頃に「ZD運動(ZeroDefects)」というのが、社員研修でさかんに叫ばれました。「無欠点で仕事をしようという標語であり、1962年に航空機の製造会社であったアメリカのマーチン・マリエッタ社のミサイル生産現場における作業改善運動が始まり(【Wikipedia】)」のことです。課長が言いたかったのは、ZD運動を知らないわけではないでしょうに、それを軽視するような私の発言を重要視してくれたのです。
 このことから、大いに反省し、近年「ヒヤリ・ハット」ということが叫ばれるようになりますと、その課長の顔を思い出し、自分を戒めています。「ヒヤリ・ハット」は、ちょっとしたミスで、重大なことに繋がりそうなことを、間一髪で避けることができ、結果として大事に至らなかったために、看過されてしまうことがないようにする注意喚起用語です。
 ヒヤリとしたりハッとしたりしりするものの、大事に至れば、大いに反省はしますが、「ミスにならなくて良かった」と思って、直ぐに忘れてしまいがちです。人命に関わる医療現場では、非常にこの意識が高くなってきていますが、まだまだ一般の企業ではその意識が低いところが多いです。
 重大な事故が発生した際には、その予兆としてのヒヤリ・ハットが顕在化していないことが多いです。そこで、ヒヤリ・ハットの事例を集め、共有化して共通認識することが、重大なミスや事故防止に繋がると考えます。ハインリッヒの法則というのがありまして、「重大事故の陰に二九倍の軽度事故と、三〇〇倍のニアミスが存在する」と言われています。
 人を育てることは難しいです。仕事を指示するときに、新入社員が相手なら、どの様なやるのか、手順や方法、ポイントなどをしっかり伝えて仕事に取り組んでもらいます。しかし中堅社員を相手にするときには、その仕事の目的は何かをキチンと伝え、方法論などは相手に任せることです。
 中堅社員などを育てるときのポイントとして、私が重視していることの一つが答えを言わず、失敗させる、考えさせる、矛盾に取り組ませるということを基本にしています。人間というのは、自分が気づかないと同じ失敗を繰り返すものです。部下を本当に共育しようと思ったら、部下に失敗させ、部下に上司である自分が叱られたり、恥をかいたりすることを怖れないことです。部下も、自分の代わりに自分の樹脂がそのような思いをしたら、二度と同じ失敗を繰り返すまいと努力をしてくれるのです。
 実務や研修では、答えを言わず、失敗させる、考えさせる、矛盾に取り組ませるということを基本にしています。すなわち、答えは知識や経験をベースに、ひらめきから得ることが重要であると考えているのです。
 ところが、中堅どころであるにもかかわらず、この方法が通じない社員も結構います。その場合には、一ランク下げた形で指示を出します。すなわち、目的だけではなく、方法論としてどの様なやり方を相手が考えているのか指示を出すときに確認するようにします。相手によっては、「この作業のポイントは何だろう」と相手に考えさせ、必要に応じて適切なアドバイスをします。
 それでも成長しない社員がいる時には、失敗事例集の中から、事例を選んで、会議の場をOJT研修の場として流用するようにします。この事例は、課長に恥をかかせてしまったあれのことだと言うことを皆が知っています。同じ失敗を繰り返さないように皆で知恵を出し合います。その過程で、当該者が自分自身に問題あることを認識してきます。爾後、同じような失敗を繰り返しますと、他の社員の目が厳しくなり、管理職がいなくても当該者の意識が変わらざるを得ません。きめの細かいコミュニケーションで社員を育ててゆきましょう。
 社員の育成には「不撓不屈(ふとうふくつ)」という四字熟語を社員に浸透させるのが効果の上がる方法のひとつです。「撓」は「たわむ」ですので、「不撓不屈」は、「たわむことなく、また屈することのない」となります。このことから「強固な意志を持っていれば、どのような辛苦や困難にもくじけない」という意味で使われます。「不屈不撓(ふくつふとう)」と表記することもあります。
 社員が不撓不屈の精神でもって努力するようになりますと、企業は組織で動くことができ、協力軍団として管理職の下で「三面六臂(さんめんろっぴ)」の活躍するようになるでしょう。「三面」は「三つの顔」、「臂」は肘や腕のことですので、「三つの顔や六つの腕を持つ」という意味から、「三面六臂」とは「一人で百人力を発揮し、多方面で活躍をする」という意味です。
 また、「獅子奮迅(ししふんじん)」の活躍という四字熟語もあります。「奮迅」は「激しく奮い立つ」という意味ですので、「志士が猛々しく奮い立つような激しい勢いで、猛烈に物事に取り組む」という意味で、「活躍」という言葉を強調するときに使います。
*
 *
■ おすすめブログ  コンサルタント・士業に特化したブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー04 規矩準縄 ベクトルをあわせて全社一丸~物事や行為など意思決定の判断規準 ~

2024-11-16 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー04 規矩準縄    ベクトルをあわせて全社一丸~物事や行為など意思決定の判断規準 ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー04 規矩準縄    ベクトルをあわせて全社一丸
      ~ 物事や行為など意思決定の判断規準 ~


「規矩準縄(きくじゅんじょう)」の「規」は「規則」などという言葉からも推察できますように、何かの「規準」を表し、看護の影響を受けている日本語でも「コンパス」などを指すときに用いる漢字で、出典は「孟子」です。
 多少脱線しますが、広辞苑によりますと、「規準」とは、「何かを行う際に、手本や標準とすべきもの」とあります。同書では「道徳の規準」「社会生活の規準」「規準をはずれる」「順守すべき規準」などという用例が列挙されています。
 おなじ「きじゅん」でも「基準」という字があります。こちらは「物事を判断するためのよりどころ。また、標準とみなす数値など(広辞苑)」という意味で、「選考基準」「労働基準法」「建築基準」「前年度実績を基準にして算定する」などの用例も併記されています。
 両者は、大変類似した意味を持ちますが、前者が比較的定性的な判断のよりどころとして用いられるのに対して、後者の「基準」は、定数的な判断のよりどころ的な用例が多いように見えます。
 話を「規矩準縄」に戻しますが、「規」は「コンパス」のように方向性を決めるときなどの判断のよりどころなる言葉です。それに対して「矩(く)」は、「ものさし」とか「定規」のような判断のよりどころで、どちらかといいますと「基準」という言葉に近いようです。
 「準」は「水準器」という言葉に見られますように「水平線」を指します。「縄」は、大工さんが使う「墨壺」の糸などを指す「墨縄」のことです。墨壺を使って基準となる線を引いてから、のこぎりで板を挽いたり、柱を切ったりします。「規矩」も「準縄」もいずれも「規則」とか「法律」という意味で、規矩準縄という四字熟語は、同じような言葉を重ねて、意味を強調して用いられます。
 似たような言葉で「杓子定規(しゃくしじょうぎ)」という四字熟語があります。「一定の基準や形式にあてはめる」という意味ですが、一般的には「規則などにとらわれすぎて融通が利かない」というマイナスのニュアンスで使われます。「融通無碍(ゆうづうむげ)」ともいいます。同様に「四角四面(しかくしめん)」も「大変まじめ」という原意よりも、後者のように、「まじめすぎて融通が利かない」という意味で用いられます。

 企業経営におきましては、判断業務の連続といっても過言ではありません。経営上の判断をするときには、経営理念が規準になります。その経営理念を基に、経営戦略が練られ、それが経営計画に織り込まれます。経営計画に基づき、各部門長は部門計画を立てます。その部門計画を実践し、計画通りの結果を出すために、各担当者は自分自身の計画を立てます。
 例えば、営業パーソンが営業活動をするとします。その際に、自分の年度計画に基づいて作成された月次行動計画書を参照して、日々の行動計画を立てて、PDCAに基づいて行動します。
 このように、企業における計画は、ひとつの目標に向かってベクトルがあっていなければなりません。また、階層化され、それぞれが上位計画を規準にして決められています。例えば、顧客を訪問したときに、値引き要請をされたとします。値引きをどこまでしたら、その商談が成立するかということを推測すると共に、自分に許されている値引き範囲基準と比較します。もし、後者の基準内に前者が入っていれば、その場で即決して受注に結びつけます。逆に、前者、すなわち顧客の要望金額に、自分が許されている値引き基準が至らない場合には、上司に相談することになるでしょう。
 このようにビジネスパーソンは、行動するときに、常に規矩準縄を意識することで経営がスムーズに進むのです。
 経営では、経営理念や経営計画などという企業の目標が規矩準縄として、全社員がめざして、「個を全体に」すなわち個々バラバラではなく、統一した方向に向けて心を一つにして努力することで業績に結びつけていくことに繋がります。
 ベクトル合わせという観点で代表的な四字熟語として「上意下達(じょういかたつ)」があります。「トップの意図に基づく指示・命令を下部のものに伝え徹底する」ということで、報連相の基本です。ただし、「下意上達(かいじょうたつ)」という四字熟語もあり、トップの意図が一方通行でないことが重要で、「上意下達」と報連相はセットで体得させる必要があります。因みに「体得」とは、知識として頭で理解できているだけではなく、言動にそれが表れることを指します。
 またベクトルあわせということでは「一致団結(いっちだんけつ)」という言葉もあります。説明する必要もない四字熟語で、大勢の人が、共通の目的に向かって心を一つに合わせて、その実現のために力を合わせることです。類似な四字熟語として「一致協同(いっちきょうどう)」「一致協力(いっちきょうりょく)」があります。
 また、「一味同心(いちみどうしん)」という言葉もあります。上記が、心を一にするという抽象的な概念を表すのに対して、こちらは、心を一つにして、同じ目的を実現するために、集まっている「人」に重点がおかれています。平家物語にも使われている四字熟語です。「情意投合(じょういとうごう)」「意気投合(いきとうごう)」する組織作りにも繋がります。心と体が一体となるかのように、心を一つにする強い結びつきのことを「一心同体(いっしんどうたい)」とか「異体同心(いたいどうしん)」と言います。
 これによく似たのが「一味徒党(いちみととう)」です。有名なアレクサンドル・デュマの「三銃士」という小説があります。その中に「一人はみんなのため、みんなは一人のため」という台詞がありますが、まさに一味同心を示しています。
 企業経営では、一味同心達が、規矩準縄で心を一にし、一致団結することにより、「一粒万倍(いちりゅうまんばい)」が実現できます。一粒の種でもこれにより万倍の収穫に繋げることができようになります。このことから「一粒万倍」は、小さなことから大きな成果を得ることができるたとえとして使われます。また、一つの善行から、多くの恩恵が得られるという意味でも「報恩経」の中で使われています。「一日一善(いちにちいちぜん)」が万倍の成果として結実すると言うことです。
「一日一善」は、一日に一つの善い行いをしなさいという教えです。その積み重ねが、人生を明るくしてくれるという前向きな言葉です。「積善」という言葉がありますが、この四字熟語と同じように、善行を積み重ねることをいいます。因みに「積善」は「せきぜん」という読みと共に「しゃくぜん」という読み方もあります。
 善い行いをしますと、相手も自分も気持ちが良いモノです。孟子に出てきます「浩然之気(こうぜんのき)」の「浩然」は「広く、ゆったりしている」ことを指しますので「天地に恥じない正しい行いをしました時に感じる清々しい道徳的な感覚」を指します。
*
 *
■ おすすめブログ  コンサルタント・士業に特化したブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする