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■【映像で学ぶ「元気な経営者になる法」】 「あたり前」ができる企業に変身するには

2020-06-30 17:26:31 | 【経営】 ユーチューブで学ぶ元気な経営者になる法

■【映像で学ぶ「元気な経営者になる法」】 「あたり前」ができる企業に変身するには

 経営コンサルタント歴40年余の経験から、経営者・管理職やビジネスパーソンの皆様へのメッセージ

 経営や管理を、原理・原則の視点で感じ取っていただけるように、各回、数分のビデオにコンパクトにまとめています。

 お忙しい方でも気軽に視聴していただくことができます。

 また、視点を変えますと経営コンサルタントや士業の先生方が、コンサルティングの場でも活用できるでしょう。

 

■ はじめに ビジネスパーソンは、このようにして変身せよ GLBP-101-700

 当ブログで、「成功企業・元気な会社・頑張る社長企業」シリーズをお届けしています。

 しかし、成功の極意を知っていても、元気な会社になれるとは限りません。

 頑張っている社長さんは、どこかが違います。

 経営者・管理職を含むビジネスパーソンは、自分が変わらなければ、会社・組織を変えることはできないことを再認識して欲しいです。

 どれ程、優れた名案でも、また高度な経営理論でも、それが「あたり前」のように、活用できなければ、企業は元気になれません。

 「あたり前のことが、あたり前にできる」ことが、原点です。

 しかし、あたり前のことが、あたり前にできる企業に変身させることは、容易ではありません。

 では、どのようにしたら、あたり前のことが、あたり前にできる、基礎体力のしっかりした企業になれるのでしょうか。

 このビデオで、その答を知ることができます。

 

映像 はじめに ビジネスパーソンは、このようにして変身せよ

↑ クリック

 

 

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

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◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

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■【きょうの人】 0630 黒田 清輝 日本を代表する洋画家

2020-06-30 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0630 黒田 清輝 日本を代表する洋画家

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 黒田 清輝 日本を代表する洋画家

 くろだ せいき
 1866年8月9日(慶応2年6月29日)- 1924年(大正13年)7月15日

 日本を代表する洋画家で、晩年は貴族院議員として活躍した政治家でもあります。従三位、勲二等を授与されている子爵です。

 通称は、新太郎(しんたろう)で、名の清輝は、本名は「きよてる」ですが、画名は「せいき」と読みます。

 東京美術学校教授や帝国美術院院長も務めています。

 日本に、洋画を普及させた功績は大きく、『湖畔』(1897年)は、黒田の代表作中の代表作品です。『裸体婦人像』(1901年)では、「腰巻事件」を起こす契機となった作品です。その延長線上の作品として『智・感・情(1899年)』という連作があります。これは東京国立博物館黒田記念館の所蔵で、重要文化財として認定されています。

 日本画主流の世界に、洋画を紹介するということは、流れとは異なる状況に、さおを差すことになります。その反動は大きかったのではないでしょうか。

 先駆者として、ビジネスの世界で何かことを始めることはむつかしいことです。それができる人が、いてこそ、生活が便利になったり、大きな会社に成長したりという変化も得られるのですね。

 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

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■■【経営コンサルタントのお勧め図書】410 現場から見た「中国の真実」

2020-06-30 07:35:50 | 【経営】 経営コンサルタントの本棚

■■【経営コンサルタントのお勧め図書】410 現場から見た「中国の真実」

 「経営コンサルタントがどのような本を、どのように読んでいるのかを教えてください」「経営コンサルタントのお勧めの本は?」という声をしばしばお聞きします。

 日本経営士協会の経営士・コンサルタントの先生方が読んでいる書籍を、毎月第4火曜日にご紹介します。

 

     今日のおすすめ

 

 『中国の大問題』(著者:丹羽 宇一郎 PHP新書)

 

 

     五現主義から見た中国(はじめに)


 私達コンサルタントは、状況を把握するのに、5現主義ということをまず頭に浮かべます。5現主義というの「現場」「現物」「現実」「原理」「原則」を言います。簡単な考え方ですが、コンサルティングの基本で、極めて重要な考え方です。

 この紹介本の素晴らしさは、著者が中国の問題について現場主義を貫き、語っているところです。著者は、現場を足で歩き、目で見て、口と耳と目でコミュニュケーションをし、そこから真実は何かを語ります。

 大使在任中、著者は33ある一級行政区のうち27を回り、現地一般人との対話は勿論、27の行政区の最高責任者全てと会っています。そこには、私たちが持っている中国に関する常識を、大きく変える事実が存在します。元中国大使の丹羽宇一郎でなくては語れない真実があります。

 日頃、私たちは隣国中国に関して並々ならぬ関心を持って、講演会やセミナーに参加をし、知見を学んできました。時にはネイティブの中国人の発表者から聞くこともありました。それらの講演会やセミナーから得た知見は、日本人の嫌中派が95%という数字が示すように、講演会やセミナーの聴衆である日本人の中国観を意識したものであったようにも思えます。

 しかし、丹羽中国論は、現場の事実から、悪い現実も、良い現実も、つまびらかにし、そこから「原理・原則」「問題解決法」を示しています。是非この紹介本を読み、皆さんの持っている中国論を検証してください。「目からうろこ」が沢山あるのではないでしょうか。

 

      新しく知った中国観と再確認した中国観


【重慶とドイツを結ぶ国際貨物列車】


 著者は、現在の中国の経済状況を「世界の工場」から、「世界の市場」へという象徴的表現で表しています。具体的には、2014年1月に中国税関総署が発表した、2013年の輸出入総額は、4.16兆ドルとサービス分野を除くモノの貿易額では米国を抜いて世界首位である。日本の代表的産業である自動車の中国国内における販売台数のシェアは、2008年に25.8%であったものが、2012年には16.4%に減少している。これは、ドイツ、フランスなどの世界各国が14億人の巨大市場を狙い始めている結果といえる。その象徴的ともいえる物流動脈が、新しく重慶とドイツのデュッセルドルフを結ぶ11,179kmに及ぶ国際貨物列車である。これにより、ドイツはヨーロッパのナンバーワンの中国の貿易相手国に上がってきた。日本では反日デモ以来、「チャイナ・リスク」が高まっているが、著者は中国の経済構造の変化や対日意識を、経営者は自ら歩いて判断すべきと薦めている。


【反日的ばかりではない】


 日本人に会ったことのない中国人が98%と著者は言う。著者は更に、「日本人に会ったことのない中国人の日本人に対するイメージは、軍服姿のイメージしかない。そんな中国に親日を期待するのは難しい」と言う。しかし著者は次の親日的事実を挙げる。JICAのODA(政府開発援助)の資金で派遣されるボランティアが2,3人単位で中国各省に2年間滞在する(嘗ては総勢100人位であったが今は40人程度に減っているそうだ。)。彼らは、日本語教師や病院での医療・介護などに力を尽くしている。彼らがその土地を離れるとき、現地の中国人たちは、涙を流しながら「また来て下さい」と口にするという。日本人がいかに優しいか、接してみれば、徐々に中国人の日本に対する感情は変わる。胡錦濤や李克強が若いころ日本に学び親日派であるように。


【世界は意外と中国を好意的に見ている】


 日本人の中国に対する好感度は先にも述べましたように5%と低い数字です。しかし、「ビュー・リサーチ・センター(米国)」の調査によると、アメリカ、ヨーロッパは4~5割、ラテンアメリカやアフリカは6~7割が中国に高感度を持っている結果が出ている。この要因として、著者は、中国の技術やソフトパワーを評価している点や、中国が各国に進出し、経済支援をしている点を上げている。そして、これから人口が増えるアフリカやラテンアメリカの地域において、中国の存在がアメリカに匹敵するほど大きくなっていることを指摘する。

 日本人の抱いている中国に対するイメージは、国際的には大きなギャップがある。このことを認識すると同時に、日本企業がグローバル化を更に進める中で、この現実を認識し織り込んだ戦略を展開する必要があると読み取りたいと思います。


【尖閣諸島国有化問題】


 尖閣諸島国有化問題のメタ(奥底にある真実)は何か、それはこの紹介本を読んでいただくとよく判ります。この問題の発生の原因となった、国有化のタイミングを間違えた稚拙な日本の外交についても、述べられています。著者がこの問題の解決法として、日中双方が『「あなたと私とで話し合っても解決はしない。解決できない話をしても仕方がない。では私たちにできることはないか。」そんなふうに互いが了解できることからはじめればいい』と提言しています。過去の日中外交の歴史から見ても、現実的な解決法ではないでしょうか。

 

     日本と中国の課題(むすび)


 著者は、中国を主に世界を俯瞰してきた中で、将来の日本の問題と絡ませながら、こう結論付けている。『中国を決して侮ってはいけないし、かといって、過剰にひるむ必要もない。中国を知れば知るほど、日本にとって中国市場の開拓はまだまだ十分に可能であり、中国も日本の技術や助けがなければ大きな困難に直面するだろう。日本のためにこそ、中国と互換関係を築いていくことが必要だ』と述べている。

 この様な結論の出てくる事実を、この紹介本から読み取り、私たちが持っている中国観を見直す必要を痛感しました。

 

【酒井 闊プロフィール】

 10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。

 企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。

  http://www.jmca.or.jp/meibo/pd/2091.htm

  http://sakai-gm.jp/

 

【 注 】

 著者からの原稿をそのまま掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。

  

■■ 経営コンサルタントへの道 ←クリック

 経営コンサルタントを目指す人の60%が見るというサイトです。経営コンサルタント歴40年の経験から、経営コンサルタントのプロにも役に立つ情報を提供しています。

 

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■【きょうの人】 0629 ■ 瀧 廉太郎忌 荒城の月 ■ 国木田 独歩 武蔵野

2020-06-29 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0629  瀧 廉太郎忌 荒城の月 ■ 国木田 独歩 武蔵野

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 瀧 廉太郎忌

 たき れんたろう

 1879年(明治12年)8月24日 - 1903年(明治36年)6月29日

 日本の音楽家、作曲家で、明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人です。一般的には「瀧」は「滝」と表記されることも多く、「荒城の月」という名曲と共に、日本人には親しまれています。

 父・吉弘は大蔵省から内務省に転じ、大久保利通や伊藤博文らのもとで内務官僚として勤めた後、地方官として神奈川県や大分県竹田市などを移り住んだため、廉太郎も生後間もなくから各地を回ることになりました。竹田は、荒城の月を生んだ地と言われています。

 作曲とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ばし、「お正月」、「鳩ぽっぽ」、「雪やこんこん」など、私達に馴染み深い童謡作品を多数作っています。


■ 国木田 独歩

 くにきだ どっぽ
 1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)

 日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者で、千葉県銚子に生まれ、広島県や山口県で幼少期を過ごしました。

 幼名を亀吉、後に哲夫と改名し、筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがあります。

 田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表しました。詩や小説を書いている中で、次第に小説に専心するようになります。

「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」といった浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる作家です。

 現在も発刊されています雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されています。

 夏目漱石は、その短編「巡査」を絶賛した他、芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していました。

 私は、東京の郊外で育ちましたが、独歩の代表作「武蔵野」には、そのころの風景が、この小説の中で描かれているのを実感します。

 

 

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■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】025 ゾーンに入った体験生かし、ゾーン&アイデア創発に挑戦 8131

2020-06-29 05:43:00 | 【経営】 成功企業・元気な会社・頑張る社長

■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】025 ゾーンに入った体験生かし、ゾーン&アイデア創発に挑戦 8131

 経営コンサルタントを40年余やってきた経験から、すこしでも皆様のご参考になればとお届けしています。

 成功企業・元気な会社・頑張っている社長】は、皆様から寄せられたり、私が支援したり、見聞したりした企業の事例を紹介していますが、お陰様で、毎回拍手をいただいています。

 また、あなたのクライアント・顧問先やお知り合いの会社で、ここで紹介したい企業・団体等がありましたら、是非ご連絡ください。

■ ゾーンに入った体験生かし、ゾーン&アイデア創発に挑戦 8131

 「ゾーンに入った」とは、何かに集中・没頭し、通常では考えられない成果を収める状態を意味する。スポーツの世界でよく使われるが、その言葉を社名に採用したゾーン(東京、近藤重和社長)は、アイデア創発をなりわいとするベンチャー企業。同社がアイデア創発のシンボルとして製品化したのがアトラクションシステムの、その名も「The Zone」。『亜空間に飛び込んで、超感覚を呼び覚ませ!』とうたう同システムと同社には、ポスト平成時代を先取りしたような新しさが感じられる。

 ゾーンは2014年に近藤社長が設立した。大手電機メーカー出身の近藤氏は、メーカー時代、“放課後”に社内外の有志を募り、組織を超えたモノづくりを実践する場を作るなど、自由な発想と行動力の持ち主。「10年間、勤めて、やり尽くした感があった」(近藤社長)ことと持ち前の行動力から独立、起業する。近藤社長は「ゾーン状態を切り口に、人間のポテンシャルを覚醒する。そんな仕事に取り組めないかと考えた」と、起業時を振り返る。

 同社の製品化第1弾となる「The Zone」は、公衆電話ボックス大の小部屋の6面すべてに映像を映し出して、360度映像に囲まれた中でゲームやカラオケが楽しめる装置。ユーザーが体を動かし映像に触れると新たな映像が表れるという双方向性や、音や振動で五感を刺激する仕掛けを備え、日常の生活空間とかけ離れた“亜空間”を創出。ユーザーにこれまで味わったことのない新感覚をもたらす。ITやVR(仮想現実)の最新技術の成せる業で、長崎県佐世保市の変なホテル・ハウステンボスに導入され、好評を博している。

 「The Zone」について、近藤社長は「娯楽系のほか、訓練やリハビリに使える。体を動かして体で覚えることは記憶力の増強に直結するので、例えば歴史の学習などにも役立つはず」と幅広い用途を見込んでおり、目下、記憶増強・学習バージョンを開発中。同社では、こうしたシステム開発の一方で、人々に気付きを与えアイデアが湧き上がるようにするメソッドなど、近藤社長がメーカー勤務時代に身に付けたアイデア創発に関するあれこれもサ―ビス展開している。

 現在、同社は親しいベンチャーや近藤社長の友人・知人らの協力を得てシステムを開発している。「面白いから」と無償で手助けする人もいて、既存の枠組みを超えたプロジェクトが進んでいる格好。近藤社長は「新しい未来を見たいと思っている人が少なくないのでは」とその背景を分析する。学生時代にテニスの試合でゾーン状態を体験し、その時、「試合相手をはじめ、周りのすべてと一体化したような幸福感を感じた」と近藤社長は振り返る。今、再びゾーンに入り、アイデアが次々と生まれ、形になる状況を迎えたようだ。

 

  出典: e-中小企業ネットマガジン掲載承認規定に基づき作成

 

 
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■【きょうの人】 0628 林 芙美子 小説家・随筆家で、代表作に『放浪記』

2020-06-28 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0628 林 芙美子 小説家・随筆家で、代表作に『放浪記』

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 林 芙美子 小説家・随筆家で、代表作に『放浪記』

 (はやし ふみこ)

 1903年12月31日 - 1951年6月28日(47歳没)

 山口県下関市、福岡県門司市に生まれた小説家・随筆家で、代表作に『放浪記』(1930年)や『清貧の書』(1933年)があり、1948年には「女流文学者賞」を受賞しています。

 物心ついた小学生時代に、貧しかい生い立ちを経験しています。そこから感じ取った、底辺の庶民を慈しむように描いた作品は、読者の心を捉えるところが多々あります。

 文壇に登場したころは「貧乏を売り物にする素人小説家」と揶揄されました。日中戦争から太平洋戦争にかけては「軍国主義を太鼓と笛で囃し立てた政府お抱え小説家」など、批判の的となりました。

 しかし、戦後、「戦さに打ちのめされた、わたしたち普通の日本人の悲しみを、ただひたすらに書きつづけた六年間でした」といわれる、それまでとは異なる見方をされるようになりました。

 NHKの朝の連続TV小説「うず潮」で、多くの人に一層親しまれるようになりました。

 

 

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■【信頼できる経営コンサルタントの選び方 10のポイント】4 コンサルタントの企業規模から判断する

2020-06-27 11:22:58 | 【経営】 コンサルタントの選び方

■【信頼できる経営コンサルタントの選び方 10のポイント】4 コンサルタントの企業規模から判断する

 経営コンサルタントに依頼してみたいけど、「いくらくらいかかるのか?」「本当に効果があるのだろうか?」など、ご心配な経営者・管理職の皆様は多いかと思います。

 何万人という中から、自社に最適な経営コンサルタントを見つけ出すことは至難の業です。経営コンサルタントを選定せざるを得ないときにどのようなポイントに重点をおいたらよいのでしょうか?独断と偏見でまとめてみました。

 経営者・管理職向けですが、裏を返しますと、経営コンサルタントや士業の先生にも参考となると信じます。

本

■4 コンサルタントの企業規模から判断する

 

 経営コンサルタントが、大きなコンサルティング・ファームなのか、それとも一人で自営業としてやっているのか、そのどちらから選ぶべきかの判断に困る経営者は多いでしょう。

 日本には、2万人の経営コンサルタントがいると言われています。一方で、コンサルタントとか、それに準じた専門職に従事している人は6万人とも言われています。

 経営コンサルタントと呼ばれる人の半数は、大手コンサルティング・ファームに所属していると考えられます。残りが、中小のコンサルティング・ファームか個人事業形態でのコンサルタントです。

 大手コンサルティング・ファームには、外資系が多く、その多くは財務会計面からのコンサルティングが多いようです。

 大企業が大型なITシステム導入を導入するとか、グローバルなコンサルティングを受けるときには適切ですが、中堅・中小企業が依頼することは、狭い道が多い場所で大型な車を運転するような感じでしょう。

 ○○総研というような、日系コンサルティング・ファームは、有能なコンサルタントを要しているといえます。

 しかし、有名なのと、有能なのとは異なります。大半が頭でっかちのコンサルタントで、MBAを持っている人が多く、現場コンサルティングを十分に経験していない人が多く、中堅・中小企業では振り回されるだけになりがちです。

 コンサルティング・フィーも、高く、費用対効果、いわゆるコストパフォーマンスがよくないことが多いようです。

 中小企業が、都市銀行より地銀や信用金庫を使う方が便利なように、経営コンサルタント選びも見栄を張るよりは、実質的なメリットを得られる経営コンサルタントを選ぶことが得策でしょう。

 

 経営コンサルタントが、大きなコンサルティング・ファームなのか、それとも一人で自営業としてやっているのか、そのどちらから選ぶべきかの判断に困る経営者は多いでしょう。

 日本には、2万人の経営コンサルタントがいると言われています。一方で、コンサルタントとか、それに準じた専門職に従事している人は6万人とも言われています。

 経営コンサルタントと呼ばれる人の半数は、大手コンサルティング・ファームに所属していると考えられます。残りが、中小のコンサルティング・ファームか個人事業形態でのコンサルタントです。

 大手コンサルティング・ファームには、外資系が多く、その多くは財務会計面からのコンサルティングが多いようです。

 大企業が大型なITシステム導入を導入するとか、グローバルなコンサルティングを受けるときには適切ですが、中堅・中小企業が依頼することは、狭い道が多い場所で大型な車を運転するような感じでしょう。

 ○○総研というような、日系コンサルティング・ファームは、有能なコンサルタントを要しているといえます。

 しかし、有名なのと、有能なのとは異なります。大半が頭でっかちのコンサルタントで、MBAを持っている人が多く、現場コンサルティングを十分に経験していない人が多く、中堅・中小企業では振り回されるだけになりがちです。

 コンサルティング・フィーも、高く、費用対効果、いわゆるコストパフォーマンスがよくないことが多いようです。

 中小企業が、都市銀行より地銀や信用金庫を使う方が便利なように、経営コンサルタント選びも見栄を張るよりは、実質的なメリットを得られる経営コンサルタントを選ぶことが得策でしょう。

 

■ バックナンバー

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■【きょうの人】 0627 伊達 政宗 独眼竜になった由来は?

2020-06-27 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0627 伊達 政宗 独眼竜になった由来は?

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

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 伊達 政宗 独眼竜になった由来は?

 だて まさむね
 永禄10年8月3日(1567年9月5日、グレゴリオ暦1567年9月15日)-寛永13年5月24日(1636年6月27日)

 出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主です。近世大名としては仙台藩の初代藩主です。

 幼名が梵天丸であることはよく知られています。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、「独眼竜」の異名があります。没後は、法名から貞山公と尊称されています。

 天正17年11月、後北条氏が真田領へ侵攻したことにより、豊臣氏により征伐が行われることになりました。政宗は父・輝宗の時代から後北条氏と同盟関係にありましたので、再三の、秀吉からの督促にもかかわらず、秀吉と戦うべきか小田原に参陣すべきか、直前まで迷っていたといいます。

 最終的には、秀吉に恭順の意を示すのですが、その際に、白装束(死人の装束)で臨んだことは有名です。

 秀吉・文禄の役では、派手な装いで軍を引き連れ、そのことから派手好みに着こなす人を指して「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになりました。今日の「伊達男」に通じます。

 

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■【きょうの人】 0626 ■ 最澄(伝教大師) ■ 木戸 孝允 ■ 山川健次郎

2020-06-26 08:46:00 | 【話材】 きょうの人06月

■【きょうの人】 0626 ■ 最澄(伝教大師) ■ 木戸 孝允 ■ 山川健次郎

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 山川健次郎 没

 やまかわ けんじろう
 1854年9月9日(嘉永7年閏7月17日)- 1931年(昭和6年)6月26日

 明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者であり、教育者でもあります。男爵の爵位を持っていました。

 会津藩出身で、白虎隊の兵士として明治政府と戦った勇者でもあります。国費で米国留学をして、東京帝国大学(東京大学の前身)に登用されました。東京帝国大学総長や九州帝国大学(九州大学の前身)の初代総長など、多数の大学等で共育に携わってきました。

 会津藩出身で、白虎隊の兵士として明治政府と戦った勇者でもあります。国費で米国留学をして、東京帝国大学(東京大学の前身)に登用されました。東京帝国大学総長や九州帝国大学(九州大学の前身)の初代総長など、多数の大学等で共育に携わってきました。

 少年期に、白虎隊に入隊していたの時の経験を元に著した、戊辰戦争を会津藩側の立場から見た『会津戊辰戦史』はM死後の昭和7年(1932年)に出版されました。この本は旧幕府軍側を「東軍」新政府軍側を「西軍」と書いた初めての本です。

 会津藩に対する忠誠心は、壮年期以降は「愛国心」に転じ、日露戦争の時にはすでに東大総長であったにも関わらず陸軍に「一兵卒として従軍させろ」と押し掛けたという逸話もあります。

「はじめてカレーライスを食べた日本人」と諸本で紹介されていますが、定かではありません。しかし、明治4年(1871年)に、国費留学生としてアメリカに向かう船中で、カレーライスを食べたという記述が回想録に書き残されています。しかし、カレーライスを選んだのは、それが唯一米を使った料理でしたからで、カレーはすべて残したといわれています。

 

■ 木戸 孝允 生誕

 きど たかよし/きどこういん
 天保4年6月26日(1833年8月11日)- 明治10年(1877年)5月26日)

 長州藩の武士、明治政府の政治家等で、桂小五郎(かつら こごろう)ともいいます。明治維新の指導者として活動し、維新の三傑の一人です。

 長州藩内の尊王攘夷派(長州正義派)の指導者で、留学希望・開国・破約攘夷の勤皇志士、長州藩の外交担当者、藩庁政務座の最高責任者として活動しました。

 特に志士時代には、幕府側から常時命を狙われていたにもかかわらず果敢に京都で活動し続けました。鞍馬天狗の話の中にも、桂小五郎として登場します。

 維新後、総裁局顧問専任として迎えられ、当初から「政体書」による「官吏公選」などの諸施策を建言し続けました。

 文明開化を推進する一方で、版籍奉還・廃藩置県など封建的諸制度の解体に努め、薩長土肥四巨頭による参議内閣制を整えました。

 海外視察も行い、帰朝後は、かねて建言していた憲法や三権分立国家の早急な実施の必要性について政府内の理解を要求し、他方では新たに国民教育や天皇教育の充実に努め、一層の士族授産を推進しました。

 長州藩主・毛利敬親や明治天皇から厚い信頼をうけました。

 一方で、急進派から守旧派までが絶え間なく権力闘争を繰り広げる明治政府の中にあって、心身を害するほど精神的苦悩が絶えませんでした。

 西南戦争の半ば、出張中の京都で病気を発症して重篤となり、夢の中でも西郷隆盛を叱責するほどに政府と西郷双方の行く末を案じながら息を引き取ったといわれています。


■ 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

 まつだいら のりやす
 寛延元年(1748年)-文政9年6月26日(1826年7月30日)

 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中で、美濃国岩村藩主で従四位下・侍従の官位を賜っています。

 丹波国福知山藩5代藩主・朽木玄綱の八男として誕生しましたが、先代藩主・松平乗薀の長男の乗国、次男の乗遠がいずれも早世し、玄綱が初代藩主・乗紀の息子であったことから養子に迎えられ、養父の隠居により家督を相続しました。奏者番、若年寄、大坂城代、西丸老中などを歴任しました。

 1826年(文政9年) 6月26日に、老中在職のまま死去しました。享年78歳でした。


■ 最澄(伝教大師)

 さいちょう、でんぎょうだいし
 神護景雲元年(767年)8月18日-弘仁13年6月4日(822年6月26日)

 平安時代の僧で、天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られています。

 生地は、近江国滋賀郡古市郷(現:滋賀県大津市・坂本)で、生源寺で、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)です。

 生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在します。

 十二歳で比叡山に登り、研究修行を積みました。

 延暦23年に空海と共に、中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となりました。

 なお、最澄に唱える言葉は「南無宗祖根本伝教大師福聚金剛」です。

 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

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■【信頼できる経営コンサルタントの選び方 10のポイント】3 経歴書から判断をする

2020-06-26 05:46:00 | 【経営】 コンサルタントの選び方

■【信頼できる経営コンサルタントの選び方 10のポイント】3 経歴書から判断をする

 経営コンサルタントに依頼してみたいけど、「いくらくらいかかるのか?」「本当に効果があるのだろうか?」など、ご心配な経営者・管理職の皆様は多いかと思います。

 何万人という中から、自社に最適な経営コンサルタントを見つけ出すことは至難の業です。経営コンサルタントを選定せざるを得ないときにどのようなポイントに重点をおいたらよいのでしょうか?独断と偏見でまとめてみました。

 経営者・管理職向けですが、裏を返しますと、経営コンサルタントや士業の先生にも参考となると信じます。

本

■3 経歴書から判断をする

 

 自社に即した経営コンサルタントかどうかを見極めるためには、どの様な考え方で、どの様なコンサルティングをしているのかを、その実積を通して知ることが近道です。

 コンサルタントのウェブサイトやブログなどを見ることによって、それを知ることができるでしょう。

 ところが、多くのコンサルタントが、テンプレートをそのまま利用した、表面的なことしか記述していないコンテンツを、最初に作って、作りっぱなしのままである場合が多いです。

 ブログも、そのコンサルタントがどの様な信条で、どの様にコンサルティングをしているのかがわかるようなコンテンツではなく、グルメ記事であったり、ペットと遊ぶインスタグラムであったりと、知りたいことが報じられていないことが多いのです。

 しかし、それでも、その様なことを実施しているコンサルタントでありますと、よく読めば、それなりのことを推察することは可能です。

 ところが、ウェブサイトも構築していない、ブログもフェイスブックもない、となりますと、なかなか、そのコンサルタントの人物像やコンサルティングについて知ることは困難です。

 そこで、これはというコンサルタントが見つかりましたら、経歴書・業歴書を取り寄せることをお薦めします。

 経歴書・業歴書というのは、コンサルタントが、クライアントと契約をするために、必死になって作成するものです。

 ところが、それが用意されていなかったり、そのレベルが低くかったりする場合には、そのコンサルタントを選んで、自社に貢献していただくことは難しいかもしれません。

 では、せっかく入手しました、経歴書・業歴書ですが、それの正しい読み方を理解していませんと、最適な経営コンサルタントを見つける選定に支障を来します。

 仕事柄たくさんの経営コンサルタントやその志望者を面接してきました。その大半が、自分の経歴を紹介するに当たりまして、大企業の固有名詞をずらずらと並べた業歴書を持参してきます。

 「その会社で何年くらい仕事をしてこられたのですか?」と質問しますと、明確な答えが返ってきません。そのような経営コンサルタントの大半が、社員研修をした程度でしょう。それも1~2回している程度の場合が多いのです。

 中堅・中小企業の中でも、中堅企業と中小企業でも、コンサルティングのやり方が異なります。仕事を依頼する企業の管理の定着レベルによっても、コンサルタントを選び視点が異なります。

 大企業のコンサルティングと中堅・中小企業とでは、その手法は大きく異なるのです。大企業の名前がずらりと並ぶ経歴書を見ても、驚く必要はありません。ようは、中味です。


 研修を依頼するのか、コンサルティングを依頼するのか、目的によっても経営コンサルタントを選択する基準が異なります。

 自社の規模、業界・業種、自社が抱えている問題解決での実績など、自社に適した経歴を有しているかどうかは、重要な判断材料です。しかし、その実態を知ることは難しいといえます。

 経営者側にも、事前面談で、それを見抜ける力が必要です。

 経歴書を目の前にして、何を、どのようにやったのかを問うてみるのも良いでしょう。そのときに、固有名詞が次々と出てくるようであれば、一見しますと、かなりの経験を積んでいるようにみえます。

 しかし、ホンモノの経営コンサルタントは「あまり多くを語らず」を頑固に守るはずです。

 私の場合には、自分のクライアントの固有名詞は、一切出しません。それは、具体的な事例を紹介しますと、どの企業のことを私が言っているのかを推測されてしまうことがあるからです。

 まずは、依頼する側が、自分自身が人を診る目を持ちましょう。

 

■ バックナンバー

 このシリーズのバックナンバー(←クリック)をご覧いただけます。

 また、ウェブサイトでもご覧いただけます。

 

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