■【心で経営】 歴史・宗教に学ぶ経営 定山 北海道・定山渓温泉の立役者
かねてより、【心 de 経営】ということを基本に、永年コンサルティングをして参りました。「de」は、フランス語の前置詞で、英語にしますと「of」に近い意味合いであり用法であると認識しています。
「de」を、英語の「of」の意味で用いますと「心 of 経営」、すなわち「経営”の”心」となります。「de」を、そのまま、日本語の「で」に置き換えますと「心で経営」となります。
「心」を大切にしますと、人間関係が良くなるだけではなく、論理的な思考だけでは見えてこないものが見えてきます。
歴史を紐解きますと、「なぜ、主人公は、あのような決断をしたのだろうか」「もし、あのようなことをせずに、このようにしたら歴史はどのように変わったのだろうか」などと「歴史に”もし”は禁物」にも触れたくなります。
それが、ビジネスパーソンに想定外のヒントを与えてくれることがあります。
歴史を理解するには、あるいはグローバル化の時代に海外の人を理解するには、宗教の特質も理解しなければならないことが多々あります。
歴史や宗教、哲学など、私の専門外の分野で感じたことを経営やコンサルティングにも応用できないかと徒然に書いてまいります。
物事や人の心には多面性があります。お届けするブログが正論であるか否かは、皆様のご判断にお任せしますが、参考にして下さいますと幸いです。
(ドアノブ)
美泉 定山(みいずみ じょうざん) 文化2年(1805年)- 明治10年(1877年)11月4日)
北海道・札幌の奥座敷「定山渓温泉」は、美泉定山により広められました。
彼は1805年(文化二年)に備前国(現岡山県)曹洞宗の名刹妙音寺の二男とで生まれ、十七歳の頃より全国の霊山霊地を行脚し、現北海道である蝦夷地にまできました。
1853年(嘉永6年)に48歳で北海道へ渡り、1866年(慶応二年)アイヌ民族の案内で当地に至りました。ここで、源泉を確認し、病に悩む人々を祈祷と湯治で救おうと努力をしました。
幕末の探検家・松浦武四郎の紀行文では、定山が温泉宿を営み、また定山寺を創建し、「定山渓」の名前の由来となりました。
1876年(明治8年)、小樽と「定山渓」を結ぶ山道開発にも携わっています。
温泉で病を癒やしたり、道路開発などの社会貢献をしたりという定山の心は、今日に至っても脈々と続いてきています。
ちなみに、「美泉(みいずみ)」という苗字は、1870年(明治2年)ごろ「平民苗字許可令」が発令された時に、定山が、そのように名乗ったと伝わっています。。
(ドアノブ)