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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 2 二年ぶりの東京で再会

2024-11-01 12:21:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 2 二年ぶりの東京で再会 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

6-2 二年ぶりの東京で再会
 ニューヨークの街に雪が降った。竹根がニューヨークに来て、一年が経ち、クリスマスの買い物に竹根の出勤時間から人が行き交う。雪に足を取られながら事務所にたどりつくと、角菊からの手紙が来ていた。
 手紙には、正月を利用して、日本に一時帰国するように記載されている。目的の一つが、係長への昇格試験を受けること、二つ目が顕微鏡開発に関する打合せ、三つ目がオフィス家具のノックダウン生産に関する今後の展開に関する打合せ、と事務的に記載されている。
 それにしても、正月を日本で過ごさせるという、角菊らしからぬ取り計らいをうれしく思った。その裏には福田社長や北野原社長の働きかけがあっただろうことはお見通しである。
 アメリカでは、クリスマス休みは仕事にならないので、一時帰国しても大きな問題にはならないだろうと考えた。
 二年ぶりの東京の年末風景である。福田商事のビルに入ると、見知った顔が声をかけてきた。七階の海外営業部のフロアに着くと、めざとく長池が手を挙げて、竹根の方に小走りに寄ってきた。それにつられて、エレベーターの前は小さな人垣ができた。あまり親しくつきあってなかった人たちなのに、竹根が思ってもみないことが起こったのである。竹根が、アメリカでそれなりの実績を上げたことが、この変化に繋がったのだろうか。
 その小さな人垣の後ろの方に、かほりがいるのが視野の端に入った――忘れたはずの人なのに、なんで、この人の姿が自分の心を、一瞬にしていっぱいにしてしまうのだろう――
 明日から年末年始の休みに入ることもあり、その日は皆早く帰ることになった。角菊は、かほりと竹根を打合せといって、海外営業部の応接室に呼んだ。三十分ほど竹根の滞在期間中のスケジュールについて一方的な説明があった。
 終わると、角菊はサッサと帰宅した。二人だけがとり残された形になったものの、竹根はかほりの顔を見ることができない。かほりも、帰る支度をしているようだが、そうでもない。
――個人的には関係ない人とあきらめたけど、仕事上では世話になっているのだから、何か声をかけるべきだろう――
 竹根の中の躊躇する声の方が大きかった。何もしないで、突っ立っているのもおかしなものである。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 2 二年ぶりの東京で再会

2024-11-01 12:21:00 | 【小説風】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 2 二年ぶりの東京で再会  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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6-2 二年ぶりの東京で再会
 ニューヨークの街に雪が降った。竹根がニューヨークに来て、一年が経ち、クリスマスの買い物に竹根の出勤時間から人が行き交う。雪に足を取られながら事務所にたどりつくと、角菊からの手紙が来ていた。
 手紙には、正月を利用して、日本に一時帰国するように記載されている。目的の一つが、係長への昇格試験を受けること、二つ目が顕微鏡開発に関する打合せ、三つ目がオフィス家具のノックダウン生産に関する今後の展開に関する打合せ、と事務的に記載されている。
 それにしても、正月を日本で過ごさせるという、角菊らしからぬ取り計らいをうれしく思った。その裏には福田社長や北野原社長の働きかけがあっただろうことはお見通しである。
 アメリカでは、クリスマス休みは仕事にならないので、一時帰国しても大きな問題にはならないだろうと考えた。
 二年ぶりの東京の年末風景である。福田商事のビルに入ると、見知った顔が声をかけてきた。七階の海外営業部のフロアに着くと、めざとく長池が手を挙げて、竹根の方に小走りに寄ってきた。それにつられて、エレベーターの前は小さな人垣ができた。あまり親しくつきあってなかった人たちなのに、竹根が思ってもみないことが起こったのである。竹根が、アメリカでそれなりの実績を上げたことが、この変化に繋がったのだろうか。
 その小さな人垣の後ろの方に、かほりがいるのが視野の端に入った――忘れたはずの人なのに、なんで、この人の姿が自分の心を、一瞬にしていっぱいにしてしまうのだろう――
 明日から年末年始の休みに入ることもあり、その日は皆早く帰ることになった。角菊は、かほりと竹根を打合せといって、海外営業部の応接室に呼んだ。三十分ほど竹根の滞在期間中のスケジュールについて一方的な説明があった。
 終わると、角菊はサッサと帰宅した。二人だけがとり残された形になったものの、竹根はかほりの顔を見ることができない。かほりも、帰る支度をしているようだが、そうでもない。
――個人的には関係ない人とあきらめたけど、仕事上では世話になっているのだから、何か声をかけるべきだろう――
 竹根の中の躊躇する声の方が大きかった。何もしないで、突っ立っているのもおかしなものである。
  <続く>

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 10月31日 ◇ハロウィーン ◇徒然草の有名な段の一つ第52段 ◇カシャリひとり旅 函館 啄木が愛した地

2024-11-01 08:21:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 10月31日 ◇ハロウィーン ◇徒然草の有名な段の一つ第52段 ◇カシャリひとり旅 函館 啄木が愛した地 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

  私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

10月31日

 ハロウィーンは、大きな混乱も少なく、終わったようです。

 節度あるやり方であれば、楽しみは許容されても良いのでしょうが、どうしても度が過ぎてしまいますね。


 「お・も・て・な・し」は、東京オリンピック指名のキーワード的存在です。その「おもてなし」と「サービス」とは、どの様に異なるのでしょうか。
 「国際おもてなし協会」によると、「おもてなし」とは「行う側と受ける側が対等な立場で、お互いがお互いを敬い大切に想う気持ちから、ともに良い時を過ごそうと心を尽くす」行為のことと定義づけしています。
 一方、「サービス」とは、ラテン語で「奴隷」を意味するservitusという言葉が語源です。すなわち、「受ける側と提供する側の間に主従関係が存在し、求められることをその通りに行うことが求められる。そしてその対価として主に金銭的な報酬を得ることを目的に行われる」と説明されています。
 おもてなしとサービスとの間には、大きな違いがあるのですが、それが混同され、カスハラ(カスタマー・ハラスメント)が起こってしまうのかも知れませんね。

 ちょっと空き時間ができましたので、写真集を開いてみました。庭園めぐりの旅を始めてからはまだ日が浅いですが、それ以前に撮りためた名所旧跡・寺社仏閣の写真は、全国各地の漫遊結果です。


「インスタ映え」という言葉が市井を走っていますが、何も飾らない、ひとり旅の旅先で感じて、見て、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています


 今回は、啄木の愛した大森浜と一族の墓を紹介します。

 わずか4か月の滞在ですっかり函館に魅了された啄木は、その意思が尊重されここに眠る

  映像   https://youtu.be/woewLYYPSMk

  写真  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/hokkaido/hokkaido-hakodate-oomorihama/hokkaido-hakodate-oomorihama.htm

北海道  函館 9 石川啄木が愛した地  
公式サイト   


■ 函館

 函館市(はこだてし)は、札幌市、旭川市に次ぐ、北海道第三の人口約26万人を有する中核市です。

 北海道南端の渡島半島に位置する、天然の良港であることを強みとし、北海道と本州を結ぶ交通結節点でもあり、道南地域の中心都市として発展してきました。

 毎年500万人近い観光客が訪れる観光都市で、市町村の魅力度ランキング調査で1位にランクインする都市でもあります。「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では、一つ星以上の星が付いている観光地が函館市内に20以上もあります。

 観光業以外でも、水産業や食品関連産業、医療福祉を主要産業としてきましたが、近年は人口減少が著しく、2014年(平成26年)4月1日から市域のすべてが「過疎地域」に指定されています。

 室町時代の享徳3年(1454年)、津軽の豪族河野政通が、函館山の北斜面にあたる宇須岸(ウスケシ、アイヌ語で「湾の端」という意味)に館を築きました。形が箱に似ていることから「箱館」と呼ばれるようになったのが、函館の市名の由来といわれています。


 函館  大森浜    

  大森浜は、湯の川温泉に近い、住吉漁港から松倉川河口付近までの海岸で、かつては付近一体に砂山が広がっていて、ハマナスが咲き乱れていたそうです。

 イカ漁の時期には漁火が美しく、元旦には海上からの日の出がうつくしいそうです。

 石川啄木が好んで散歩したところでもあり、歌集「一握の砂」に「砂山の砂に腹ばい、初恋のいたみを遠く、おもい、いづる日」と歌われています。詩集「あこびれ」を左手に持ち、もの思いにふける啄木の座像は、本郷新の作品で、昭和33年に建てられました。そこにある石碑は、啄木を訪れた、詩人西条八十が、啄木に捧げた歌碑です。

 啄木が函館に来たのは明治40年5月のことで、7月には、離散していた妻子を呼ぴ寄せ、久しぶりに親子水入らすの生活を営みました。

 弥生小学校の代用教員を経て、函館日日新聞の記者となってまもなく、8月25日に、函館は、未曾有の大火に襲われました。新聞社も焼失し、啄木は、妻子を残したまま、職を求めて函館を去りました。

 しかし、啄木にとっては、函館滞在の4か月余りは、彼の一生のうちで、最も楽しい期間であったといわれています。



北海道
写 真
札幌 支笏湖 定山渓温泉 洞爺湖 時計台 函館 函館ハリストス正教会 函館山 北海道神宮 北海道大学 北海道庁旧庁舎 藻岩山



カシャリ映像でお楽しみください

https://youtu.be/wD6QxQFAx48


■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。 

■【今日のおすすめ】

  【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第52段 仁和寺にある法師

 徒然草の中でも、有名な段がいくつかあります。

 第52段は、その一つと言えますので、ご記憶の方も多いと思います。

 この段を経営の視点で見てみました。 


■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

■ 日本でもハロウィーンが定着 a31

 街にはハロウィーン・グッズが店頭に並んだり、ディスプレイに飾られたりしています。

  日本ではあまり知られていなかったこの行事も、若い人達の間からクリスマス同様に宗教とは関係なく広がってきました。

  商業ベースに載せられている面もありますが、季節の変化をこの種の行事で感じ取ることができます。

 東京渋谷では、近年、ハロウィーンにたくさんの人が集まるようになり、DJポリスによる交通規制もすっかりおなじみになりました。

 度が過ぎて、迷惑になっていると言うことも聞いています。

  羽目を外して、他の人の迷惑にならないように心したいですね。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

  >> もっと見る


■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db

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