去年、母が入院した。
もう元気になったけれど「親に寿命がある」ということを思い知らされた気がした。
当たり前だけど見てみないふり、認めないふりをしていた気がする。
今年の夏、友達のお母さんの初盆だった。
そこで友達はお客さんのお茶だしをしていた。すると妹と喧嘩をしたらしくて、機嫌悪く私のところへ来て「まきちゃんどう思う?」とまくし立てた。
「なにが?」というと
「自分の親の初盆なのに、今から友達と旅行に行くから線香あげに来ただけって帰ろうっていうのよ。私もお父さんも大変なのに。私は独り身だから余計遠慮がないのよね。そういうとじゃあかわりに旦那を置いていくからっていうの。あれでも人間だろうかって妹ながら情けないわ。お父さんも勝手にさせればいいって言うし。お母さんの初盆を知ってて旅行の予約を入れるっておかしくない?」
と泣き出してそういった。そばにいた親戚の人は「そんなやつ、おっても腹が立つだけや。おらんでいい。どこへでも行けばいい。」と言った。
私もそう思った。「もうこれから、妹さんがお母さんのことを語るなんてできなくなったね。今日、お母さんのことを実はどう思っていたのかわかったじゃん。その程度だったんだよ。あんたがお母さんのことをわかっていればいいんじゃない。お父さんも性格を知っててあきらめてるだけよ。」というと「うん。もうそげんやっち思ってる。旦那さんがかわいそうだわ。本当にいい旦那さんなんだわ。」といっていた。
「旦那さん、なんかすごくかわいそうに見えるからもうしわけないね」というと「ほんとよ!」と怒っていた。
私の母が入院したのを知って何度も電話をくれた。
年末、パソコンがおかしくなったと聞いて修理に行ったときお礼にとお金をくれた。
いらないといっても「お母さんのお見舞いと思って」といわれた。
年が明けて彼女が「おばちゃん元気になったの?私も今度は父親が気になってさ。」と言っていた。
母が家に帰ってこれたことをほっとしたといっていた。
「妹は言ってもわからないやつだから、誰も直接何か言おうとしないけど私が言われちゃって。でも最近じゃ私はみんなに同情されてる。お父さんにもしものことがあって、やっぱりおかしなことをしたらもう私は妹だと思うかわからない」
といっていた。
聞くとどうやらいろいろやっているようで、お父さんは「あいつはそういうやつだ」というのだそうだ。
私は自分が死んだとき、もしその友人の妹さんのようなことを息子がしたらたぶん恨んだりはしない。
でも周りに対して思う。「こんな子で申し訳ありません」と思うだろう。
私はいつ寿命がくるのかわからない。
私がいなくなっても立ち回れる人間に育てなければとしみじみと考えた。
思い出をたくさん作って、いろんな経験をさせて、人の気持ちのわかる、器の大きな人間にしたい。
私はどこまで生きられるだろう。
神頼みをするとき決まって誓いを立てる。私がお願い事をすることはいつも「息子を育て上げるまで私の寿命を守ってほしい」ということだ。
母にも子供にも弟夫婦や猫たちに少しでも何かを残せるように。
私がそれをかなえられるように。
死んでから「ごめんなさい」と誤りたくならずにすむように。
納得のいく努力をしよう。