ふと、車を運転しているときに思い出した。
私がよそにいた頃ばあちゃんが危篤だと電話が来た。
もうあれから15年くらい経つ。
私の職場の仲間が「落ちついて帰るんだよ慌てちゃいけないよ」と言った。
私は車を運転しながら途中の山道をふと見上げると、カラスがたくさん飛んでいた。
そして「じいちゃんが亡くなるときもカラスがいたな」と思った。
私は8歳の頃両親が離婚したために、病気のときなどはばあちゃんが看病してくれた。
ばあちゃんはその後重度の痴呆症になって自分のこともわからなくなった。
私を娘だと勘違いしていたので、いちいち訂正するのも可哀想になって私はそのうち「おかあちゃん」と母が呼ぶのと同じように呼ぶようになった。
ばあちゃんは私を母の若い頃と間違えていた。でも私を見て喜ぶので素直に私も嬉しかった。
ばあちゃんが危篤と連絡があったときは正直「そんなに具合が悪かったのか」と思った。「なんでもっと帰らなかったんだろう。もっとばあちゃんに会っていればよかった」と何度も思った。
病室についたとき親戚のおばちゃんが「あら、あんたよかったね。間に合ったよ。」と言った。
そのとたんばあちゃんの血圧が急に下がり始めた。
「あら!あら!あんたが来るまでばあちゃんは待ってたんだがね。あんたに会いたかったんだわ」とおばちゃんが言った。
温かい空気がそばを通った気がした。
そして私は「じいちゃんだね。待って、ばあちゃんをまだ連れていかんで。まだ生きられるって」と言った。
弟といとこは私の隣で大泣きしていた。あんなに振り乱して泣いている二人を見たのは初めてだった。
おばちゃんが「もうダメやが。もうこりゃいかん」と言うので私は「そんなことそばでいわんでいいがね!」と怒鳴った。
そしてとうとう血圧は元に戻らなかった。
その夜、ばあちゃんの隣で思った。
「私が死んだらどうして欲しいだろう。生きている人間にどうして欲しいだろう。」
次の日の昼間ばあちゃんに白装束を着せることになった。
私は前の晩決めたことをした。私が死んだらして欲しいこと。
「ばあちゃん。ばあちゃんの手も、顔も、全部絶対忘れない。こんな手だったね。この感触を絶対忘れない。ばあちゃんの体がこの世に存在して生きていたことを私は忘れない。」そういって何度もばあちゃんの手を撫でた。
死後硬直で固くなった顔も何度も何度も撫でた。
そしてその夜にいとこたちとばあちゃんの隣の部屋で寝ていると、あの温かい空気が私の上に乗っかってきた。
金縛りにかかった。
すると私の左手の甲を誰かが撫でている。
ばあちゃんの手の感触だった。「ばあちゃんが来た」と思っていた。
そして私の右の耳元で「がんばりなさいね」とばあちゃんの声がして、金縛りは溶けた。
線香の番をしていたおばさん達のところへ走って行って「ばあちゃんがきた。ばあちゃんが来たの!頑張りなさいねって」そういうとみんな「まこち!あんたは感がいいからじいちゃんのときもだったし。」とみんなが涙を出していた。
じいちゃんも亡くなってからたまに私の目の前に現れていたけれど今では全く出てこない。
私はその後もしばらくばあちゃんが亡くなったことをかなり引きずった。
親が亡くなったようだった。
なぜこんなに悲しいのか。きっとそれは心残りだからだ。
もっと会えばよかった。もっと世話を焼けばよかったと私の中にあるからだ。
逆を言えば死を受け止めたいなら、生きている間にその人との時間を大切にするべきなんだ。
私は今もばあちゃんを感じる。成仏はしている。
夢の中でばあちゃんがよく出てきた。二人で花畑をよく歩いた。
たぶん花を見に行くことが好きだったから、そんな夢を見せたのだろう。
たまに、自分の娘のことなど気を揉んでいる。
私がばあちゃんを心配していたとき、じいちゃんが一度だけ「ばあちゃんのことは心配するな」と出てきたことがあった。
ああ、じいちゃんに会えたんだ。そう思ったし、亡くなっているのにそうやって言われることが(私の体質もあるだろうけど)悪いけど笑ってしまった。
だって、亡くなってもやっぱり家族で私は孫で二人は私たちを守ってくれているからだ。生きていた頃と同じように。
今日、こうやってばあちゃんを思い出すことは私がばあちゃんと約束した「生きていたこと忘れない」その一つになると思う。