あるとき中学で『保護者も校歌を歌う』ということがあったんですが、それがきっかけでよみがえってきた記憶があります。
私は自分が中学生のころ、高校生のころ、くだらん!!と思うことがよくあったんです。
例えば『履き物は靴とする』という校則。いつの時代の名残だよ・・・とか『襟巻きは首にする』とか・・・『両親の写真を持ち歩く』とか・・・昔、高校の文化祭の出し物で市内の高校の校則を調べてくだらんしリーズをピックアップしたことがあるんで知ってるんですけど、まあ大人って暇なのか?って思いましたね。
元々、私が管理されることに普通より抵抗がある性格なのかも知れないけど、大人になって思ったんです。
「自分の人生。もうやり直せないのに自分で切り開かないで流されてばかりじゃいかん」
そんなこんなで自分が嫌なことを後に残さないようにしたいと思うようになりました。
最近、息子のために千羽鶴を折っています。ある願掛けに。
当の息子はほとんど上手く折れないので私や母がメガネをかけて手伝っているんです。
そして昨夜、息子と話しました。
「千羽鶴を折ると決めても、夏休みの宿題といっしょで結局家族も手伝うでしょ。お前の友達も同じでほとんどお母さん達が折っているみたいだよ。それになんの意味がある?形だけ作って気が済んでいるんじゃ願掛けにはならない。
それならみんなで近くの神社へお参りにいくとかの方がずっといいのに。だからお母さんはもう折らない。自分で苦労しなさい。そしていくら慣習だからって目的や意味を成しているのかちゃんと考えて、3年になったときに自分がどう感じたか忘れていなければもう一度考えて行動してみなさい。」
そんな話しをしました。
そして息子やその友達からこんな話しも聞きました。
「先輩に会えばその都度こんにちは」
どういうことかというと、例えば同じ日に、同じ先輩と20回すれ違ったとします。
するとその都度「こんにちは」と言うのです。同じ教室の中にいたとしてもです。
言わなければお説教されるのです。
思わず「なにそれ・・・くだらん!!」と言ってしまいました。
子ども達は「そうでしょ!だけど規則なんだもん。言わないと怒られるんだもん」と口々に言います。
私は「規則は人間が作ったこと。そんな規則になんの意味があるの?大人の中でそんな規則があったら作った人が怒られるわ。そんなくだらない規則で自分の先輩としての威厳を保つことに酔いしれるようなそんな育ち方したらいかんよ。あんた達に考え直せるチャンスが来たらなんとかしたらいいじゃない。」
子ども達は「僕たちすごくいやなんだけど規則だから。」
と、よほど諦めているような感じでした。
「そうでしょ。自分たちが今、すごくいやなんでしょ。それがどうして必要なのか意味がわからないんでしょ。それはこれから入ってくる後輩達も同じなのよ。意味がわからないことはたくさんあるけど、この規則ほどあきれる内容はあんまりないと思うけどね。こんな感じのあきれる規則は高校も大学もサークル活動なんかであるんだと思う。それを良いこともおかしなことも引き継いでしまうのはメンバーだし、良いことを選んで増やしていけるのもメンバーでしょ。そのイヤだった気持ち、忘れて他の後輩に当たり前のようにやらせるようじゃダメよ」
「3年になったら絶対先生と話そうよ」とみんな言っていました。
管理するような仕事になると、なにか麻痺する瞬間が来るんですよね。だからこそ管理されていたころの自分がどう感じていたのか覚えていないといけないんですよね。
忘れてしまったら、自分も辛かったはずなのにまるでなかったことのようにまた同じ目に誰かを会わせてしまう。
そんな経験もないのにちゃんと人のことがわかる人は、こうやって小さい頃からいろんな気持ちと向き会う子どもだったということなんでしょうね。
この話を書こうか凄く悩んだんです。私が中学の頃にもそんな話を聞いたことがあったから。
息子たちを通して、あ~本当に大人って子供の延長線上にあるんだわ・・・と大人になってからと照らし合わせた時、すごく心当たりがありました。
子育てって正解もわからなければ難しいですね。