私は小さい頃に病気をして、親が離婚したり、学費を稼がないといけなかったり、一人暮らしで放浪してたり、離婚してたり、子育てしてたり、仕事で頼られやすかったりなどで苦労する星の下に産まれてるんやわという生き方ばかりしている。
ということで、楽にまったりすることに慣れていないので 自分から気が赴くままに動いてしまう。
こんなに波瀾万丈な人生のおかげで、人が20年くらいかけて理解することを5年もかかっていない自信がある。
母に「あんたは人の一生を10年くらいでやってしまう」とよく言われる。
そんなこんなで『普通』というところが人と違う。
自覚はある。
人並に何かを出来ない人がいると大体その人の生い立ちを考える。
苦労の仕方が違うんだと思う。
私が嫌がることが起こると「こんなことが私に必要だと神様が言っているのか?」と思うようになっているんだけど、ほとんど「ああこれは私の課題か・・・」と考えるようにしている。
なんども起こることは大抵、前回私が投げ出している。
例えばパズルをクリアできずに電源を切ってもう一度始めると最初からやり直しという感じなんだけど、やっかいなのはセーブポイントからじゃないことだ。
最初からやり直し。
もしも、私が自殺をしたなら生まれ変わっても課題は同じだろう。セーブポイントからじゃない。
最初からやり直し。
しかもやっかいなのは知識や感情のコントロールなどクリアに必要な要素を全てリセットされていること。自分のゲージまで顕在的には0にされていること。
この時代で、私という時代で課せられた課題はいくつかクリアできずにまた降りかかっている。
人の人生経験を短い時間でやりこなすと言われても、課題はパターンを変えて同じものが出没してくる。
なぜ、自分はこうなるんだろうと思っても、それが自分のせいじゃないと思っている間はその課題はなんども現れる。人間関係を変えても、生きている場所を変えてもパターンを変えて同じものが現れる。そしてまた「なぜ、自分はこうなるんだろう」ということを繰り返す。
不思議と先祖が繰り返す因果もまたどこかで気がついて止めなければ自分の代で繰り返す。
旦那さんを大事にしない母の子として産まれた娘は夫のことを大事にしない。
因果を自分の代で勃発させる人もいる。そんな人は大体幼少期から青年期までほったらかしか、かまわれすぎかやられている。
その因果はその人の代から始まって次の代へ行く。途中で誰かが「嫌だから自分はやらないぞ」と志を持つまで繰り返される。
神様の課題なのか因果応報なのかはわからない。でも自分がそこに気がつくということ。
これは繰り返されている。自分の課題だ。逃げれば、言い訳をすれば、この課題はまた繰り返される。そこに気がついて来ると課題がクリアされて自分のゲージは上がる。
私はこんなことを小学生の頃に考え始めて、人は(当時は学習能力だけだと思っていた)そうやって生きていく生きものなんだとある意味感心していた。
そうやって40年も生きてきて、ステージがあがり、ステージごとのボスが現れる。
きっと寿命が尽きる前あたりになると、どんなボスも私には歯が立たなくなるんじゃないかと期待している。
息子は一人っ子でいつも私といっしょにいる。
そのせいか親子のような姉弟のような相方のようないろんなつながり方をしているように見える。
私は小さい頃両親が離婚して、母親と弟の3人家族だったが甘えんぼの弟とちがい、どこかいつも母を冷静な目で見ていた。
思春期のころは母の人間としてどうなのという部分が私に随分突き刺さっていた。
親といえど一人の大人としてどの程度の完成度なのかということを子どもなりに見るような部分が芽生えていたのだ。
母の幼さや甘えたところが私には理解できず、小さい頃から入院生活だのいろいろあって一人でいることが多かった私には「さみしい」という感情が芽生える前にそんな生活が当たり前になっていた。
だからこそ、依存心が強かった母の心が重たくて「情けない人」という風に見えていた部分があった。
それでも仕方がないと思っていた。大人になって、父に再会したころ父が「お母さんはな、大所帯で育ったしお嬢様だったから一人でいられないんだよ。お前は小さい頃から自分の問題と戦うように仕向けられていたし、お父さんもおらんかったしお姉ちゃんやから頼られてばかりで一人でいることが苦痛じゃない。
お父さんはお前と同じような感じで育ったからお前の気持ちが良く分かる。でもお母さんは分からないんだよ。お前はな「さみしい」という感情が育つ程周りにちやほやされてない。だからお母さんの気持ちが分からないし、お母さんもお前のことが分からないんだ。」
目から鱗が落ちるようだった。
なんて情けない人なんだと親のことを思っていたのは、私との環境の違いもあったんだ。
父にはそれが見えていた。
父が「お母さんにはお前が何にも考えずに自分の道を進んでいるだけでもそうは見えてない。私を捨てるなとか我が子は自分の好きなようにできるんだからとかそんな風に思っているんだろう」
そういわれてなんて身勝手なと思った。
でも父は「ハッキリ言ってごらん。お母さんが思うように自分は寂しいという気持ちが分からない。それはその人がいなくてもいいという意味じゃなくてそこまで考え込む気持ちにならないように出来上がっているだけだって」
私は情けない人だと諦めていた母との関係に何か光が差し込んできたような気分になった。
そうだ自分と育ちが違う。それも極端に。それなのに同じ感覚でいないのがおかしいんじゃない。当たり前だったんだ。
父は「お前はお父さんと育っていないし、家の中に自分より上の男がいない。お前がいつの間にか父親のようになっていたんだろう。お母さんは甘えんぼだからな。女の子なのにそんな風に育つしかなかったなんてこれからの人生、お前は苦労するかもしれなんな」
そんなことをいっていた。確かに私は娘というより息子のようだ。父の息子。
「いっそ長男だったと思えばいいわ」というと「そんなわけにもいかんやろ」と言われた。
母に言った。父と話したことを踏まえて私にはお母さんと同じ感情が芽生えないことを伝えた。
母は黙っていた。
父に自分はどうしてこんなに気が短いのだろうということも相談した。
父は「お前は小さい頃からさばけた子だった。曲がったことが嫌いで、物事ねじ曲げたりするとなぜそうしなきゃならないのかとテレビのニュースを見ていてもいうくらいあった。友達のことも仲間はずれの子どもとかばっかり仲良くなるから保育園の先生もお前を頼るような感じでな。
そうかと思うと何度言っても話にならない相手のことは急に相手にしなくなったりして。今思うと、お前は人をほっとけない。でも本当はそんなに強くなくて自分を守るために度を超えた相手だったりすると離れようとしていたんだな。」
20年近くもいっしょに育っていない父なのにどうしてこんなに分かるんだと、深い親子の縁をしみじみと感じた。
父に、私が離婚したときの話をした。
すると父は「何にも変わってないなあ。お前はな、相手を必要以上に追い詰めてしまうんじゃないかと思ってる。だから自分から離そうとしてしまう。良く自分のことを分かっているからそうするんだよ。
不器用な話だけどお前なりに相手を憎みたくなくてその前に離れてしまおうとしてたんじゃないのか」
そんな綺麗な話じゃないけど「憎みたくなくてその前に離れてしまおう」というのはよく思っていた。嫌いになりたくないと冷たく突き放してしまった。
お父さんは「子どもにはそんなことできんのやからな。突き放したって子どもにはお前しかないんだぞ。一緒に死ぬ覚悟をしろ。子どもをこの世に出した責任は一生逃げられん。」
息子と二人になって、保育園に預けると決めたとき私は思った「母子家庭という現実をごまかさない」
そして私が小さい頃からずっといやだった「片親の子どもだなんて言われたくない」という母の台詞。
私はそれを一生息子に言わない。それがどうした。両親いたってやっかいなやつは大勢いる。
そんなことを理由に逃げさせたりしない。それが私が選んだ結果。息子が私を親にしたということ。
息子はどんどん大きくなり、普通より気の優しいというか人を疑わない子どもに育った。
幸か不幸か誰でも信用するし、分け隔てしないし何にも考えない。そのことで相手の腹黒さを知って傷つくこともあるけど騙すより騙される方がいい。
父に話すと「世の中ドロドロや。ホントにひどいやつがいるんだよ。そんなことが当たり前のやつからしたらおまえ達親子みたいに何にも考えてないだけのやつでも裏があるように見られてしまう。そんなやつは子どものうちならいいけど大人になってたらもう変わらないよ。
おまえ達がそんな人の腹を探ってくるようなやつに出会ってしまったとき短気にやり返すか仕方ないと諦めるか、時間をかけて自分たちのことを信じてもらえるまで待っているかだな」
息子は苦労するんだろうなと思ったけど、それはいいことなんだと思った。苦労しなきゃ。人の気持ちが分からないことほど生きにくいことはない。
思春期になってきた息子に弟が「お前、いつ反抗期は来るんだ」と言った。
息子は「一応ね、反抗期って来てるんだよこれでも。ただ、お母さんに反抗期なんてみせたらそれ以上にお母さんがバズーカをぶっ放すんだよ。」
すると弟は「ああ。なるほどね」と言った。
「どういう意味よ」というと弟の友達が「姉ちゃんってみんなの姉ちゃんって感じだったしよ、てか兄貴って感じだったつうかみんなまとめて面倒見てやる的って感じで相手がヤクザでも向かって行ってくれるくらい親分肌ってことでよ。でも俺達が間違ってたらすっげえ怒ったりしてよ。親分と雷オヤジが合体してるような母ちゃんってことだよ。反抗期みせたって相手しないだろうね」
すかさず弟が「コイツを操縦するやつって相当すげえって。」と言ってくれたけどそれはからかっているのかと思っていたら弟の友達が「姉ちゃんって昔の火消しの女将さんみたいな感じかな。で、人数足りなかったら自分でも火の中に飛び込むぜ的な」
暴れん坊将軍の目組の女将さんの姿が頭に出てきた。
じゃあ私が頼る男がいるとしたら北島三郎みたいな人ってことか。
父に、「私が結婚するとしたら火消しの親方みたいな人がいいんだわ」というと父は「そりゃいいわ。そういうやつならお前がついて行ける」と笑われた。
自分が気むずかしいやつだからと話すと父は「気むずかしいんというかな、矛盾が見えてるだけだと思うぞ。小さい頃からそういうところがあったから。もうちょっと譲れ。相手との違いってあるんやから分からんといかん。
お前にはバカみたいに見えるだろ。相手もお前が自分をバカだと思っていることを気づくよ。お前は感覚で気がつくことも人によっちゃ話さないと分からないんだ」
やっぱり。気がついていた。
「お前が自分をバカにしてるって人から思われても、お前はそんなことも分からん相手がおかしいと思うだけなんだろ。それだけ苦労してるしな。よく覚えておかんと。お前のような苦労するやつはそんなにころがっとらん。わからんのは仕方ないって思えよ」
そのこと自体、忘れてしまう。凄く覚えておこうと思ったのについ忘れてしまう。
最近思うようになった。なぜコイツはこんなに空気が読めていないんだという人に出会ったとき、自分はそうでなくて良かったといつも思っていた。
だけど大抵は空気なんて読めない。私もツボが違えば読めていない。
結局、変に気がついてしまうせいで気がつかないやつに振り回されている自分。
その自分に振り回される周り。
ただ私がひたすら短気で気むずかしいという印象だけを植え付けてしまうけど、私にしたら相手が無神経にしか見えていないのだ。
それが一人で生きることになれて育った私の落とし穴なんだ。協調性に頼らないで切り抜けてしまった私の落とし穴なんだ。
弟が言う「操縦できる人は相当すげえ」というのも分かる。
かなりの男気でもある頭脳派とかじゃない限り先回りする私は「いいかげんにせい!」と言うはずだ。
その話しをしているときに私のばあちゃんのことを思い出した。
ばあちゃんがまだ呆ける前、私に親戚のおばちゃん達夫婦の話をしてくれた。
二人は仲がいいときもあるけれど、喧嘩をすると激しくて病弱で育って人一倍小柄だったおばちゃんのことをおじちゃんはよく叩いた。
ばあちゃんもじいちゃんも見ていないときが多かったようで、おばちゃんはよく知らないうちにアザを作っていた。
子供達にはそんなに手を挙げていたようには見えないけど、とにかくおばちゃんは叩かれていた。
そんなおばちゃんが叩かれるところをひいばあちゃんが偶然見てしまった。
ひいばあちゃんはおばちゃんよりもっと小さくて、歯が一本しかない南の島から引っ越してきたのんびりと優しい人だった。
90歳にもなろうかというひいばあちゃんは、孫のおばちゃんの顔を今にも殴ろうと手を振り上げたおじちゃんに必死で笑いながら優しく
「けいちゃんは体がよえでねえ。こめしねえ。そんげたたかんじおっくいやんなあ・・・」
(けいちゃんは体が弱いからね。小さいしね。そんなに叩かないでおくれ・・・)
と深々と頭を下げてお願いをした。
姑のその姿を見てばあちゃんは涙が流れたと言った。孫を守るために孫ほど離れた男に頭を下げてお願いをしたひいばあちゃんのことをばあちゃんはなんとも言えない気持ちだったようだ。
人の子供に手を挙げるという心の葛藤は本当に簡単なことじゃないはずだ。軽々しく出せないはずだ。
心が泣いている。手を挙げなければならない自分に泣けてくる。だから伝えたいことが伝わるんだ。
気に入らないことがあったからとすぐに手を出していたおじちゃんは、おばちゃんを殴らなかった。
小さな小さな年寄りが、孫を守るためにどんな思いで頭を下げたか。それくらいしかできなかったのかもしれないけれど、それが精一杯のことだった。
ばあちゃんは私に言った。
「じいちゃんだってどっかで喧嘩して怒って帰って来てもお前が笑えば抱き上げてもう笑っていたんだよ。そんなお前を誰かが傷つけたら簡単には許しはせんやろね。お前もいつかわかる。」そういわれた。
そして昨日母が息子が描いた小さい頃の絵を眺めながら「たったこれだけの切れっ端でも捨てはならん。あの子が気に入らないからとかくだらんことで手を挙げられていたりしたらお前がなんごちうちげん孫を叩かんないかんとかって乗り込んでいくやろね」
お母さんはあのときのひいばあちゃんと同じなんだろう。
力を使うということの重さを私は先祖から受け継いでいるんだと思う。
まあ見事にくだらない。
「髪を結ぶなら耳より低い位置にしてください」「三つ編みはいけません。編み込みは・・・あとでまたご報告します」
馬鹿じゃないかと思った。
こんな世界に子供たちは入っていくのかと思うとかわいそうになった。
自分が中学高校のころ、生徒手帳の文言を見ながら呆れてよく笑った。暇人だと思っていた。
髪を結ぶ位置が高いと悪くて低いと良いって意味がわからない。
昨日「叩けないから校則で縛る必要が出たんだ」という話しがでて、そんなもん叩けた頃から続いているじゃないかと言ったけど、叩くことと校則は結びつかない。
叩く代わりに校則が使われることはそれこそ押さえつけという体罰じゃないか。
叩いて育てないから人殺しをするような子がいるんだと言われた。
叩いて育てたら人殺しをしないのか?そんなことはない。余計暴力的で、叩けばすむと思っていくじゃないか。叩かれて育った子は叩かれない子より人格が上なのか?人の痛みがわかるのか?
そんなことはない。叩かれていても人の痛みや思いやりがわからなくて残念すぎてビックリするような人はいる。
中には本当に殴られて当然のことはある。
その痛みや思いやりがなくて、本当に失礼で傷つけられて、残念で悔しくて・・・そんな思いが巡った時、本当に殴ってやりたくなる。殴らせられてる自分だって傷つくし、その力には思いがいっぱい乗っかっている。
だけど自分の言い分をわからせるための手段に手を出すのは、話して聞かせる才覚がないと自覚があるからじゃないか。
言葉がわからない子であっても私は「言ってもわからない」とは思ったことがない。
言ってもわからないと思って言わないから余計わからないんだ。
猫だって、犬だって、日本語はわからなくても怒りや悲しみや喜びはちゃんと理解している。
産まれてすぐの赤ちゃんだって、しかめっ面で見つめたら泣き出すんだ。
私が前の旦那のことで悩んで、ものすごく泣いたことがあった。
そのあと一生懸命笑って息子の世話をしたのに、4ヶ月の息子はその日初めて夜泣きをした。
私のせいだと思った。言葉で言わなくても私の感情を知っているんだと思った。
わからないと馬鹿にするからいつまでもわからない子のままで、手を出したくなるような手のつけられない感じに育つんだ。
私は息子が7ヶ月のころに「お母さんはお父さんとお別れするの。お父さんがいないけど、お母さんだけでいい?」と相談した。
息子はまだハイハイだったけど、私の頭をヨシヨシとしてくれた。ビックリした。
涙が出た。こんなに小さいのにと私は足元にも及ばないような気持ちになった。
猫にも虚勢施術の話しをした。「お母さんね、お前が赤ちゃんをこれ以上産んだらみんなをかわいがってあげられそうにないの。お前は赤ちゃんを産めなくなるんだけど、お母さんの子供には変わりないんだからお母さんのことを信じてね。」と言った。
引っ越しのことも言った。
理解してるのかわからない。ただそんなに自分が完璧でもないのに、誰かに手を挙げられるような人間なのかわからないのに、その相手があって自分が生きていけるのに、そんなことを自分のおかげのような気持ちでいるからいつまでも見下してしまう。
相手を変えたいと思っても自分が変わろうとしないくせに、どうして都合よく相手だけが変わってくれると思うんだ。
どうして規則で縛り付けたり、叩かなきゃわからないと決めつけるんだろう。
自分は叩かれて育ったからか?それじゃそんな自分は周りの人間を幸せに出来るような大人になったのか?自分は非の打ち所がない完璧な人格者だと自身が持てているのか?人生に失敗なんてしたことがないのか?だれからも捨てられていないのか?
イエスキリストも、お釈迦様も、誰かを叩いて諭そうとしたなんて聞いたことがない。
人間がそう思っているだけじゃないか。