風邪をこじらせて。
横っ腹が痛いというので見てもらうと水がたまっているということ。
もし抜けなかったら注射でとるらしい。
人一倍びびりなのできっと内心ドキドキしているだろう。
看護婦さんに言いました。
「母はちょっとかまってちゃんです。だから心配そうに声をかけると余計に気弱に見せてきますからね。心と症状が連動してすぐに本当に具合が悪くなるんです。」というとそこは先生にも話しておくと言うことだった。
病院の制限がすごくて、何人も出入りをしないで欲しいと言われた兼ね合いで私が仕事の帰りに寄って帰る。
「お母さん激やせしたよ」と言うけれどあとたぶん20キロくらい足らない。
「もっとやせんと足が痛いやろ」というとシワシワになるから嫌だといっていた。
今日は母と同じ病気をした工場長が私に母のことを聞いてきたので肺炎で入院したことをいうとビックリしていた。
水がたまったことをいうと、心臓が悪い人にはそういう症状がでることがあるらしい。
「今日も病院へ行くの?」と聞かれたので「どうせ暇だから私が行かなかったらなんで来ないのかって電話してきますからね。用はないけど行きます。」
そういうと「あんたも心臓の検査うけんと、同じ症状をもってるんやろ。ついでに見てもらいやん」といっていた。
医師会はついでに見てくれるとは思えない。
父に電話した。
「お前一人で家も会社も病院もじゃあんまりやな。子供のことがあるからわしが先生にいうたるわ」と医師会に電話して撃沈してまたすぐ電話が来た。
「なんぎなやっちゃな~インフルエンザが怖いから規則できまっとるねんて。どうしてもだめかて聞いたんやけどなあ。お母さんにいうたるわ。3日に1度にせえていうたる」とかいっていたけどややこしいから止めた。
電話しなきゃよかったとまで思った。
父が「他の奴らはどうしてんねん。なんもいわんのか?わしがそっちにおったらなあ。ようそこまでいかんのじゃ。上手く歩けんのや。」
片麻痺に近い父は片道5時間もかかる都城までは自力で来るのは難しい。
今以上に余計ややこしいことになるから私が嫌で、「手がかかるだけやからいらんわ」というと「そうや。わしが行ってもなんもすることあらへん。」と自分に言うようにしょんぼりとなった。
「ただの報告だから。なんとかして欲しくて電話したんじゃないよ。そんなに気にするとなんも言えんようになるやろ」というと「お前はな、小さい頃から病気ばっかりして、勝手に元気になってどんどん動き回るようになって、いつも自分でなんとかしよるんや。だからってな、まわりの奴らがお前は大丈夫だって都合のいいように解釈しよる。自分の責任かもしれへんことまでお前にしょわせて甘えよる。」
「あてにしてあてにならんかったらショックでしょ。だから期待もしてないわ。」というと
「そやからお前は結婚せえへんのや」とバッサリ言われた。
「何も出来ない顔をするのが可愛く見えるならそんなめんどくさい男はいらんよ。母親で世帯主の私より一家の主をやれるって言うなら考えるけどね。私は主だし親だから悩んでいる暇もないの」
そういうと父は「わしは跡取りやったけど、なんもできんでわしの代で終わりやな。お母さんは長女のお前の方を跡取りのように育てよったわ」と笑っていた。父は母とは離婚している。だから父の家を継ぐものはいない。
「おとうさん。私はこうやって年をとるんやろうか。こんな風に誘導されたみたいなんよね」
そういうと「親になるってことは地に足をつけないかんようになるんねや。子供もおって好き勝手にできるやつはお前が前の旦那と別れたろとおもたように家族に捨てられる。わしもそうやったから今一人なんや。若いうちはええけどな、わしの年になったら思う。昔のわしはあほの塊やったて。お前と普通にまた話しさせてもろてお母さんには感謝しとる。わしはまだ恵まれとる」
私は片親だと育ったけれど、それも私には必要な時間だったと今はしみじみと思う。