今年に入って怒濤のごとくの半年だった。
別れがあり出会いがあり、私が思う以上に身も心もダメージを受けた。
こんなに予想外のダメージがあっただろうか。
そのほとんどが直接何もしなくともまわりが勝手に動いてしまうというパターンで、私が蒔いた種でなくても私のところから芽が出るという感じがあった。
よくよく考えれば「私がなんかしたか?」ってよぎることは何度もあった。
結局は私のところで芽が出ると言うことが、私になんとかして欲しいという誰かの思惑でもあった。
やるべきことが多すぎて、正直ほっといてくれの連続だった。
どこかで「責任がある」という感覚に操られている。
むしろそれだけで自分の方向性が確立されているようなもので、意外にその責任の所在という感覚が私を強くさせているのも事実。
誰かに依存して立ち直ろうとも思わないし、どこかで自分は自分と思っている。
ただ今年は本当にビックリするほどとばっちりが大盛況で、ほぼ全てといっていいほど自分以外から降ってくる火の粉が多すぎて炎上してしまったようなことの連続だった。
でも炎上させてしまいながらも鎮火していくのは結局どこか戦略的な自分の臆病でかつ異常に肝が据わっている性格のおかげだったような気もする。
だから私のところで芽が出てしまう。
守ってやるという言葉ほど適当で根拠のない言葉はない。
その言葉を信じて馬鹿を見る女性がどれほどいるだろう。
守ってやると言われて守られていると思ったことなど一度もない。
そこを期待しなくなってもう何年たつのだろう。ただそれが悲しいわけでもない。
誰だって人間。突っ張りたいのだろうが言うほど自分に実力が伴わない。でも希望はいつも掲げていて、あわよくばできるやつだと誰からも思われたい。
だけどやっぱり現実は伴わないで時間だけが過ぎていく。そして振り返るといい年になってしまっている。
相手が何も言わないことをいいことに甘んじてしまって、あせるタイミングもいつだったのかすらわからなくなる。
私はこんな経験を何度しただろう。でもいつも、自分は自分。ついてこないものは置いていく。
どこかでそんな風に切り変えてしまっていた。
相手に歩幅を合わせてることをやめて、途中から自分の歩幅をつくっていた。
この前、寝ていると隣にやってきた相方が私の頭を撫でた。
それを無意識に嫌がってしまって起き上がって「なんで起こすんだ」と言った。
朝、その時のことを笑いながら言われた。
「お前はいつも普段一人で寝てたんだな。だから誰かが隣に来るのは慣れてないんだ。観念しろよ。オレはこの程度で引き下がらないぞ」
私はそのことに気がついてくれたこの人のことがうれしかった。
キャンプ場で大げんかしたとき、私の手を無理矢理自分の腕に絡めて引っ張りながらずんずん歩き始め、嫌々歩く私に大声で「オレについてこい!!!お前がやることはそれだけだ!!!」と言った。
私はむかついて「なんで私がそんなこと言われなきゃならんの!うるさいわ!!」というとまた大声で「口答えするな!!!」と言った。
私はまた「嫌だ!!!」と言った。
それでも私の手をもっと自分の腕で挟んで歩いて行く。引きずられるように私はついていった。だから私は「ゆっくり歩いてよ!!」と文句を言う。
それを振り向きもしないで「うるせえよ!!!」と歩いて行く。
私は自分の歩幅を結局ぶちこわされた。ずるずると引きずられるように歩いているのは今もあのときと同じ。ただ、こんなものなのだろうと観念している。
こういうものなんだろう。本当は無理してあわせようとキレイに歩いていることの方が珍しいのだろう。
引きずられるようなのか、必死について行っているのか、引っ張られているのかはわからないけど気がついたらタイミングすらないなんてそんなのは結局口実で、きっとこんなに強引で頑固な形を変えた誠実さのようなものがただこれまで持ち合わせていなかっただけなのだろう。
こいつは私に言う。
「オレは嫌なものは嫌だ。中途半端なのは嫌だ。」「お前を干渉しすぎるからオレからお前を守るために電話は握らない!!」といって意味不明に電源を切ってこっちから連絡すらできない状況にしてしまう。
私はまた始まった・・・と思いながらメールでいつか見るだろうと「守るってなに?それで守っているつもりか!!」と送っておく。
結局勝手にまわりがやらかして、私のところで芽が出てしまう。