これまで色々と波瀾万丈な人生を送ってきた中で、していない苦労があった。
それが埋まってしまった。
いきなり2つもだ。
はまって欲しくないパーツだったな。
しかしふと思った。
この経験は私にとって必要だったんじゃないか。なにかあるからこの出来事と巡り会うことになったんじゃないか。
つい最近、ある女性の相談を受けた。
「子供がいるから我慢しているんです。病院へもいけないし頼るところもないんです。次は死んだふりします。」
彼女がしている苦労はDVだった。
彼女が訴え出ることを心理的に抑圧していて、彼女の髪は年下とは思えない程真っ白だった。
いっしょに聞いていた友人が「死んだふりしても無駄。甘やかしてしまうだけで横暴さが増すだけなの。」
私に「そうなんですか?でももう辛い。ほかにどうしたらいいですか。」と彼女は泣いて言った。
私は「死んだふりするくらいならやり返したほうがましです。じっと自分を見つめて心が壊れないように。こんな思いはあなたで終わらせるんだと思ってください。とにかく外を見て。山を見たり空を見上げたり、歌を歌ってみたりして。神様は越えられない壁なんて作らないと思うのよ」
彼女はうん、うんと頷きながら泣いていた。
彼女へ「この世界ではあなたのような方は多いのですか?」と聞いた。
彼女は「結構知っています。私程ひどくはないだろうけど。社会的なことを理由に我慢してる人ばっかりです。」そういわれた。
そうなんだ・・・と思っていると、友人が言った。
「この種類はね、意外に普通の立場の人じゃなくて地位がある人にも結構いるのよ。だから誰が特別ってことはないの。受ける側もいろんな人がいるようにね。だから彼女のように制圧させられちゃうの。そういう意味じゃ心を何度も殺されてるような状態なの。」
私は彼女の手を取って「そうなの。ほんとあなたバカだわ。自分で自分が情けないわよね。よくわかる。」
そういうと大声で泣いて「産んで育ててくれた両親にも申し訳なくて、私が産まれてこなければよかったんじゃないかって思ってきちゃって・・・」と言った。
3人で泣きながら「バカよ。こういうことに立ち向かうためにはさあ、社会性だとか忘れなきゃ終わりが来ないのかもしれないのよ。死んだふりとか意味がないわ」と涙ながらにも笑って話した。
友人が「子供さんはなんて?」と訪ねると「お父さん。もういい加減にしてってなんども言ってくれました。でもその時だけです」
思っていたとおりだったので驚きもしなかった。
友人は彼女と今後どのようにするのか話を進めると言っていた。
私に「強く生きる。人としての品格とか器とかそういうことを考えたり鍛えたりする活動っていいよね。どう思う?」と聞いてきた。
「うん。人としての器ね。男女問わず小さいとはた迷惑な問題だわ。やってみたいね。そしたら世の中の子供は少しでも辛くならないでよくなるならやらなきゃいけないことかもね。」
彼女は「やっぱりね。あなたには力になって欲しいことがあるのよ。もう準備してるわ」と言ってくれた。
なんだかわからないけど楽しみでしかたがない。