世の中は不景気で、売上が伸び悩んでいる会社なんてほとんどじゃないだろうか。
だからといって、二言目にはお金の勘定をする人のそばにいたくない。
家を建てて、子供の教育費を稼いで、老後の貯金をする。
そのためなら有無をいわずお金の奴隷になる。
物欲の奴隷。
友達がいない人だろうなあ。
「なんでそんなに友達がいるの?なんでそんな必要なの?」という人がいる。
おかしいのは友達が多い人を不思議に思うその感覚だろう。
必要だから友達を作るんじゃない。いるとかいらないとかそういう数え方をしない。
私は特に裕福ではない。ただたくさんの人がまわりにいる。
ただそれだけだ。
息子は父がいない。ただたくさんの人が息子を迎え入れてくれる。
ただそれだけ。
私一人ではできなかったことを ただたくさんの人が助けてくれる。
それをお金で買えるのか!
お金持ちなったらそうなるのか?
それは友達じゃない。雇われだ。
大きな企業に勤めていた頃、社長がいつも「遊び心を持て」といっていた。
今その会社は地元で有名な大企業だ。
ある偉いおばさんが、男とは。という話をしていた。
「お金を稼いで来ることをこなし、家族を持って自立をする。そして生まれ育った土地のためを思って働くこと」そう言っていた。
そんな男はみんな一流企業の社長ばかりだ。
そうなんだ。
そう言う人は人の上に立つ素質もあるってことなんだ。
だから、目先のお金を追いかけてまわりの心遣いを気にかけることもない人は自分の器を自分で決めているんだ。
私の子供をそんな男にしないように育てよう。
家に帰るときつかったのでしばらく横になった。
そして家事2ラウンドが始まる。
それから子どもの宿題やらいろいろを家事をしながら同時にやる。
飛び込みの頼まれ事をやって通信の勉強と明日のテストの練習をする。そして今の時間。
私は自分の寿命を縮めているかもしれない。
でも子どものためにも働けるうちに働くなら別にそれでいい気がする。
そして家事2ラウンドが始まる。
それから子どもの宿題やらいろいろを家事をしながら同時にやる。
飛び込みの頼まれ事をやって通信の勉強と明日のテストの練習をする。そして今の時間。
私は自分の寿命を縮めているかもしれない。
でも子どものためにも働けるうちに働くなら別にそれでいい気がする。
仕事でも私生活でも誰かの推薦を受けて引き受けてしまっていることがある。
最初は心から喜んだ。
時間が経つに連れて「その人に恥をかかせてはいけない」と思う気持ちがプレッシャーを与えるようになった。
私は望んでそうなったのではない。
だから自分のためにはやり遂げられない。
誰かのためだから、誰かが喜んでくれるから、そんな理由があるから向き合う心が続く。
そんなことならやめてしまえば良いのにと言われるかもしれない。
これから大変だなあと思う自分と、こんな自分に望みを託してくれるなんてありがたいことなんだからわがままを言ってはいけないと思う自分がいる。
自分でも「私ならやれるかもしれない。でももっとすごい結果をだしてやりたい」と自惚れてもみる。
正直裏切れない。やるなら良い仕事をしなきゃと思ってしまう。
手を抜こうとか思わない。
私的に好きか嫌いかではなく、私がする仕事なんだから手は抜かないという意識の方が働く。
今、とても大変なところに飛び込むはめになった。
お金になるかより誰かのためにする仕事だ。
ふと、おとといの会社での話を思い出した。
「お前の葬式は俺たちみんなで宴会開いて大騒ぎしてやるだろうな」
私は「いいですよそのほうが。姿はなくても私の分の酒も並べといてください。」と言った。
そうか、私にはそう言う仲間がいるんだ。
お金よりずっと嬉しい財産があるんだ。
後押しをされることがプレッシャーになるというより、どうやってこの人たちに喜んでもらいたいんだろうと思っているだけかもしれない。
私は私を信じてくれた人に喜んでもらいたいのかもしれない。
最初は心から喜んだ。
時間が経つに連れて「その人に恥をかかせてはいけない」と思う気持ちがプレッシャーを与えるようになった。
私は望んでそうなったのではない。
だから自分のためにはやり遂げられない。
誰かのためだから、誰かが喜んでくれるから、そんな理由があるから向き合う心が続く。
そんなことならやめてしまえば良いのにと言われるかもしれない。
これから大変だなあと思う自分と、こんな自分に望みを託してくれるなんてありがたいことなんだからわがままを言ってはいけないと思う自分がいる。
自分でも「私ならやれるかもしれない。でももっとすごい結果をだしてやりたい」と自惚れてもみる。
正直裏切れない。やるなら良い仕事をしなきゃと思ってしまう。
手を抜こうとか思わない。
私的に好きか嫌いかではなく、私がする仕事なんだから手は抜かないという意識の方が働く。
今、とても大変なところに飛び込むはめになった。
お金になるかより誰かのためにする仕事だ。
ふと、おとといの会社での話を思い出した。
「お前の葬式は俺たちみんなで宴会開いて大騒ぎしてやるだろうな」
私は「いいですよそのほうが。姿はなくても私の分の酒も並べといてください。」と言った。
そうか、私にはそう言う仲間がいるんだ。
お金よりずっと嬉しい財産があるんだ。
後押しをされることがプレッシャーになるというより、どうやってこの人たちに喜んでもらいたいんだろうと思っているだけかもしれない。
私は私を信じてくれた人に喜んでもらいたいのかもしれない。
子供心を持つとか、少年のような心というものを幼稚になることでクリアしていると勘違いしている人がたまにいる。
子供のような純粋でまっすぐな心ということを理解せずに、甘ったれたりわがままを通したり、幼稚に振る舞うことで自分がそうなったと思っているような人がいる。
正直うっとうしいだけだ。
いい歳をしていればなお面倒くさく見える。
ときどき自分が小さかった頃のことを思い出すと、善悪が綺麗にわかっていた。
子供だから悪いことがわからないというのはちがう。
全てじゃないけど本能で理解できることもある。
良い人と悪い人も本能的にわかることがあった。
大人とは違う、先入観がなくて、知恵にごまかされないところで理解していた。
初恋の相手が思ったほどタイプじゃないのに好きになったりしたことも、彼の内面を見ていた。
子供の心を持つという意味は口では簡単に説明できないけど、幼稚になることじゃないというのだけは確かだ。
子供のような純粋でまっすぐな心ということを理解せずに、甘ったれたりわがままを通したり、幼稚に振る舞うことで自分がそうなったと思っているような人がいる。
正直うっとうしいだけだ。
いい歳をしていればなお面倒くさく見える。
ときどき自分が小さかった頃のことを思い出すと、善悪が綺麗にわかっていた。
子供だから悪いことがわからないというのはちがう。
全てじゃないけど本能で理解できることもある。
良い人と悪い人も本能的にわかることがあった。
大人とは違う、先入観がなくて、知恵にごまかされないところで理解していた。
初恋の相手が思ったほどタイプじゃないのに好きになったりしたことも、彼の内面を見ていた。
子供の心を持つという意味は口では簡単に説明できないけど、幼稚になることじゃないというのだけは確かだ。