ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

病人ぽいミュージシャン

2007-08-30 | バンド活動など

今日は臣ちゃん(宮崎のラウンジとかのピアノマン)とライブ喫茶に行こうと言われて待ち合わせをしました。

でもやっぱり子供の夏休みの絵が途中だったので場所だけ教えて行けませんでした。臣ちゃんはいつもひなたにでないので今日も白い顔で長い髪で「ジャスコのお化け屋敷でバイトしたら?」と言うと「俺の怪しさをそこで出したくない」と言ってました。

でも幽霊みたいな臣ちゃんは冬に会うと死んじゃいそうに見えますが今度新人の誰かをプロデュースするようで曲をたくさん作ったみたいでした。

聞かせてくれんのと言うと売り物のCDを見せて「1200円」と言ったのでやめました。すると「時間はかけてないけどまぁまぁなんだぞ」と言って威張ってました。

臣ちゃんは一人で8種類くらい弾けます。まだ私が知らないだけかもしれないけど外国に留学した後でなんとかってイギリスのバンドのメンバーでした。だから英語で作詞して日本語を後から考える変わった作り方をする人です。
ミュージシャンは目立つの好きだけどそれを基準にしはじめたら落ち目がくるんだ。
と よく言う人です。表現力だから人間性とか出るもんだ。だからわがままな奴とか消えるのが早い。
と 言ってる臣ちゃんを私は男としては自己中だと思ってます。
友達としては いい奴です。
特に友達に仕事の手伝いを頼まない。

CD買ってくれと言うくらいなら売れなくていい。と かっこつけてるとこがいい奴です。

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花火

2007-08-28 | リフレッシュ日記
ちょー焼きそばがうまかった。
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買い物

2007-08-28 | 雑談

うちのお米が切れたので子供と二人で買い物へ出かけました。

前もってほかに必要なものを二人で書いていきました。どんどんかごに入れているうちにかなりの量になったので「持てないね」といって終わりにしました。
アサリや豆腐など今日のことや明日のことや考えながら選んでいました。
帰りに別の店を見かけて「あっ、はるきくん(魚)のえさがないよね」といってまた寄り道をしました。

でも結局売ってなくて。
そんなこんなでどんどん買い物袋はまたまたどんどん増えていって自分たちも疲れていきました。
そしてせっかく今日のメニューも考えつつ買い物をしてたのに「ほか弁でいいか」ということになって結局二人でカレーと焼きそば弁当を買いにいきました。

家に帰ってご飯を作る気力がなくなっていて、子供も知っているのか品物をせっせと冷蔵庫にいれている私に、「お母さんすわったら?」といっていました。

小出しにして買い物すると無駄使いをするような気がしてまとめて買い物に行くのですが、毎回大変です。

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占い

2007-08-25 | 家族のお話

今日実家の近所のおばちゃんが私を占ってくれた。その人は私の名前を見てるだけでいろんなことを話してくれる。
私が奄美大島に関わることが好きなことをほんとに近い友人にしか話していないのにその理由について話し始めた。
私の先祖(両親とも)は奄美や徳之島の出身で私の父は長男だった。離婚をきっかけにその一族は途絶えることになった。
母方の長男も離婚して息子の名字はそのままだが戸籍が抜けてしまっているのでこれもまた途絶えた。母方には分家があるのでなんとかなるだろうが先祖の思い入れが強いのは 本家の孫10人のうち一番年上の従兄弟と7番目の孫の私らしい。3代前からの関心が向けられているのが私らしく 私を守っていると言われた。奄美に関心を持つのもこの先祖が望んでいて私もそうすることが一番の供養だと思っているはずだと言われた。ずばりその通りだった。私がすることを喜んでいるとしたら本当によかった。なぜ7番目の私なのかはいろいろあるが 私の母が家を大切に思う人だったことが影響していることと私と弟の血は一族の中でも濃いようで(両親が遠い親戚になるので)そのうち「7」という数字はうちの一族のキーワードらしい。私の誕生日には7が3つあり7番目ということで受信しやすいのだろう。絵が好きなものそういう家系らしい。現に絵描きのおじさんもいる。歌や踊りが得意だったのも南国の島で毎日そうして生きていた先祖が好きだったことをそのまま引き継いだらしい。私は何となくそういう気がしていたので、「やっぱり」と言ってしまった。理由は初めてやることでも懐かしかったりすることがよくあったからだ。ひいばあちゃんは流しの島唄の歌い手でお祝い事に出かけるような人らしくじいちゃんもレコードを出している。おじちゃんもカラオケ大会荒らしみたいな人でこういうことが好きな一族なんだろう。私がこのことでもっと進めていきたいなら今年中に確立して来年いっぱいで完了しなさいと言われたんだけどぶっちゃけ協力者が必要だなと思ってしまう。ただ好きなこととやる行動力は全然違う。でも楽しいことだからきっと情熱を注げるといいと思う。

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親子の絆

2007-08-14 | 子育て日記

私は離婚して7ヶ月の頃の息子を抱え今まで育ててきました。そういう私も小さい頃両親が離婚して大人になるまで父とはあったことがありませんでした。

心のどこかで父のことを忘れたことはありませんでした。寂しいのではなくてたまにどうしているかなあと思う程度でしたが、私は父がいない生活が当たり前だったせいで寂しいという感情があまりわかりません。誰かに依存する感覚がほとんどありません。母は働いていて私が弟を見ていたので誰かを頼ることに遠慮をするようになりました。そんな私にとって母の存在感は絶対なものがありました。でも「母子家庭と言われたくない」という母の姿勢は大嫌いでした。そしてときどき見せる「一緒に死なないか」という無責任な弱さが憎くてたまりませんでした。私も離婚しましたが母のそんな感情は理解できません。子供は人生を選べない時がある。

我慢してついていくしかない時がある。そして八つ当たりだけがくる。そんな思いの繰り返しだったから私は息子に自分のような思いをさせたくない。母子家庭だから何が悪い。片親だと言われるのは子供のせいでもなく私だけのせいだけでもなく、そんな心の狭いまわりにも責任がある。両親いてもおかしい人は大勢いる。なにも悪くない子供だけ理不尽にふりまわされ八つ当たりの対象にされ私の息子に限らない。

『離婚』したことから学んで反省してもうこんな気分の悪いこと繰り返さない決意をしないといけない。もし親子の縁があるなら血のつながりからできる縁と魂のつながりからできる縁があると思う。私の息子にとって血のつながりの縁より魂の縁の方が上回ったから今の縁があるのかもしれない。

血のつながりの仕方なさのような義務感を超えて愛情のつながりを試されて心の絆と向き合うことになったのかもしれない。

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