昨夜残業中に知り合いから電話が来て、くどくどと愚痴をこぼされた。
彼はそれがステイタスで、私ももう半分あきらめている。
うちへ帰って別の知り合いに電話をして、「また愚痴られたんですよ。半分あきらめてますけどね。私より二回りくらい上の人だから妙に疲れます。どうしてかなあ。相手の気持ちをわかろうとしないで自分の感情をむき出しにしてきます。だいぶ目上だから気を使いますよねえ。」と言った。
そう言う私が愚痴っている。
すると電話の向こうの彼は「僕だって言いたいことは山ほどあるんだよ。だけどさ、かわいそうでね。マッキがどういう気持ちかよくわかるよ。あれはいかんよなあ。いつまでも子供だなあ。」
と、彼もまた私に今までどれほど不愉快だったかを話してきた。
結局こういう悪循環を作るんだ。
攻撃した人より攻撃されて、それをまたなんにも関係ない人にぶつけて自分に賛同させようとする。その人の方が嫌われるんだ。
人は自分の味方が欲しい。
私もそう言うところはある。
50歳を過ぎていても、どんな地位にあっても、心はいつも無敵とは限らない。
打たれ強い人の方が少ない。どう交わすかを経験の分だけ学習しているだけなんだ。
電話の彼は「お前な、今回凄く勉強になったはずだぞ。どんなにわかり合ってると思っている仲でもいろんな考えの人がいるんだ。お前は疲れ果ててるだろうけど、絶対いい勉強をしたはずだ」
と言われた。
そうだなあとも思った。
でももう勘弁してくれとも思った。
私の友達はもうすぐ45歳になるやつがいる。
男性で、見た目も特に悪くもなく安定した職にも就いていてちょっと気が短いくらいで面倒見の良いやつだ。
だけど嫁が来ない。
私に「俺、彼女すらでできんわ。ハハハ。」と言った。
私は「あんたは人畜無害な感じがあるからねえ。今更何とも思わない。申し訳ないけど私はその方が楽だよ。ずっと友達でいてくれる方が、男として意識していつか終わる仲よりずっといい。でもあんたの人生的にそうじゃいかんよね。」
そんなことを言っていると「俺、結婚するのかなあ。正直もうどうでも良くなってきた」と言った。
私なんてとっくにそうなっている。
楽になってしまっている。
結婚って概念は私には興味がない。でも添い遂げる人、支えてくれる仲間、そう言う存在として男も女もなくつきあっていけるなら最高だ。
友達は私に「俺いいやつじゃないけ?」と言った
私は「うん。あんたはいいやつだよ。ほんといいやつ。だから女ができないんだよ」と言った。
最近仕事が遅い。
基本、誰のこともたいがい仕事ができんやつは他のことも段取りが悪かったり口だけの人が多いと思っている。
偉そうなことを言う人もいるけど、結局出世していなかったり、例えば自力で独立してそれなりの成果を上げていなければ「なんだかんだ言ってその程度じゃないですか」とも思っていたりする。
給料の額ではなくて、仕事ができると言うことは私の中での男の色気にカウントされる。
普通そうじゃないだろうか。
自分にとってどうかってことよりまわりにどう思われている人なのかってことは言いバロメーターになる。
ただ女性は別。
結婚しているともっと別。
だから私は女性としてみられることを望んでいない。
基本、誰のこともたいがい仕事ができんやつは他のことも段取りが悪かったり口だけの人が多いと思っている。
偉そうなことを言う人もいるけど、結局出世していなかったり、例えば自力で独立してそれなりの成果を上げていなければ「なんだかんだ言ってその程度じゃないですか」とも思っていたりする。
給料の額ではなくて、仕事ができると言うことは私の中での男の色気にカウントされる。
普通そうじゃないだろうか。
自分にとってどうかってことよりまわりにどう思われている人なのかってことは言いバロメーターになる。
ただ女性は別。
結婚しているともっと別。
だから私は女性としてみられることを望んでいない。
今日は5時に起きて朝からシャリルクロウを聞きながら一人でぶつぶつ歌ってみた。
かれこれ13年くらい彼女のことを聞いている。
結構いろいろ聞くけれど、彼女以外にヒットすることはそんなになかった。
男性じゃたくさんいるけど。
直訳すると「あなたは私の一番お気に入りの間違いだったわ」という歌があって、初めて聞いたときにその歌詞を聴いて笑ってしまった。
そうだ。アレは間違いな男だ。でも本当に大好きだった。
そんなことってある。
彼女の曲は歌詞に共感する。
その歌をぶつぶつ歌いながらお湯を沸かしていると、息子が10㎝くらいいふすまをあけて私を見ていた。
「お母さんその人好きだねえ」と言った。
息子はなんちゃってな発音で歌えるほど暗記していた。
10歳児が「あなたは私の一番お気に入りの間違いだったわ」と歌っている。
朝6時半くらいの出来事だった。
かれこれ13年くらい彼女のことを聞いている。
結構いろいろ聞くけれど、彼女以外にヒットすることはそんなになかった。
男性じゃたくさんいるけど。
直訳すると「あなたは私の一番お気に入りの間違いだったわ」という歌があって、初めて聞いたときにその歌詞を聴いて笑ってしまった。
そうだ。アレは間違いな男だ。でも本当に大好きだった。
そんなことってある。
彼女の曲は歌詞に共感する。
その歌をぶつぶつ歌いながらお湯を沸かしていると、息子が10㎝くらいいふすまをあけて私を見ていた。
「お母さんその人好きだねえ」と言った。
息子はなんちゃってな発音で歌えるほど暗記していた。
10歳児が「あなたは私の一番お気に入りの間違いだったわ」と歌っている。
朝6時半くらいの出来事だった。
この前友人と「ロックって??」って内容で盛り上がった。
で、凄いいいことを聞いた。
「sing」と「rock」の違い。
ここで言う「rock」とはもちろん岩石じゃない。
どっちかって「さけぶ」と言う意味。・・・かな。
singはもちろん歌うってこと。
rockでいう叫ぶは、ただ「わ~!!」っと叫んでいるってことじゃなくて心の声って意味かな。
で、友達が言うには「singは耳に届ける。rockは心に届ける。この違いだね」と言われた。
おおおお~わかりやすっ
そうだねたぶん。
だって私、「こいつロックなやつやなあ」と思うことがたまにあって、例えば好きな人に好きだと言える人より、好きだと言えないけど好きなんだと言うことを感じさせてくれる人のことを「ロックな男」と思う癖がある。
それってsingとrockの違いじゃないのか?
意味が違うのかな。
そうか自然とわかっていても、改めて考えると出てこないもんだ。
それからもう一つ。
これはバンドの兄さんに言われたことで、音楽を生業にしている共通の知り合いがいて、彼女のことを「自分を安売りしているように見える」と彼が言った。
別に私は彼女のことをそう思っていない。
むしろ感謝したいくらいだからだ。
私のように、アマチュアでやっていてしかもこの年齢にしてまだまだ修行するところが多いのに(文句はあるんだろうけど)文句も言わずに出し惜しみなどせずに教えてくれる。
見下すこともないし絶対お高くとまっていることもない。
私はそれがプロだと思っている。
だいぶ前、プロのミュージシャンのライブに行って帰りに会場で友達にあった。
その友達はその日のPAと友達で口をきいてくれた。
楽屋へ入れてもらってその人と話ができた。
「僕は何を残せるか、僕は次の子どもたちに何を残すべきかってことを考えているんだよ。君もそんなことを思って音楽を自分の子供に残しているの?」と聞かれた。
私は「私は再婚もせずにいますし子供には兄弟もいません。だから音楽というツールを使って人生の支えの足しになればいいと思っているだけです。私がいなくなっても、支えてくれる人たちを持っていけたらいいと思うので、息子の心の支えのつもりです。別にこれで食べてくれなくてもかまいません」
その人はしっかり私に握手をしてくれて「お母さんって強いね。君が僕の歌を聴いてくれてよかった」と言ってくれた。
プロって、これだなって思いながら帰った。
出し惜しみせずに愛情もって「こっちへおいで」と言ってるようなそんな姿勢こそ凄いから出せるオーラなんだ。
だから私の友達が私にいろんなことを教えてくれるのは安売りじゃない。「プロらしい懐の広さ」だと思ってる。
それからプロになる人はどこか3次元だ。
歌声一つ取っても奥行きがあって、時間が流れていて季節や情景とか一緒に添付されている。
それを一言で言うなら「雰囲気あるよ」っていうんだろうな。
アマチュアって言うかただの上手な人っていうのは2次元で、写真を見て写した絵のようで、無機質なぺたんとした感じがする。
伝わるものが伝わらないような。
この違いに気がついたのはここ10年くらいの間だ。
38歳になってもまだこんなことを言ってる。
いつまでも私は10代の頃のようにどっかがあほだ。
昔は歌より絵描きになりたかった。
その頃はたくさんメッセージを持っていた。
やっぱり今も「職業は絵描きです」と言うセリフにあこがれを感じる。
いつになったら時間ができるだろう。
なれる日が来てプロになれるなら、ロックなプロの絵描きになろう。
で、凄いいいことを聞いた。
「sing」と「rock」の違い。
ここで言う「rock」とはもちろん岩石じゃない。
どっちかって「さけぶ」と言う意味。・・・かな。
singはもちろん歌うってこと。
rockでいう叫ぶは、ただ「わ~!!」っと叫んでいるってことじゃなくて心の声って意味かな。
で、友達が言うには「singは耳に届ける。rockは心に届ける。この違いだね」と言われた。
おおおお~わかりやすっ
そうだねたぶん。
だって私、「こいつロックなやつやなあ」と思うことがたまにあって、例えば好きな人に好きだと言える人より、好きだと言えないけど好きなんだと言うことを感じさせてくれる人のことを「ロックな男」と思う癖がある。
それってsingとrockの違いじゃないのか?
意味が違うのかな。
そうか自然とわかっていても、改めて考えると出てこないもんだ。
それからもう一つ。
これはバンドの兄さんに言われたことで、音楽を生業にしている共通の知り合いがいて、彼女のことを「自分を安売りしているように見える」と彼が言った。
別に私は彼女のことをそう思っていない。
むしろ感謝したいくらいだからだ。
私のように、アマチュアでやっていてしかもこの年齢にしてまだまだ修行するところが多いのに(文句はあるんだろうけど)文句も言わずに出し惜しみなどせずに教えてくれる。
見下すこともないし絶対お高くとまっていることもない。
私はそれがプロだと思っている。
だいぶ前、プロのミュージシャンのライブに行って帰りに会場で友達にあった。
その友達はその日のPAと友達で口をきいてくれた。
楽屋へ入れてもらってその人と話ができた。
「僕は何を残せるか、僕は次の子どもたちに何を残すべきかってことを考えているんだよ。君もそんなことを思って音楽を自分の子供に残しているの?」と聞かれた。
私は「私は再婚もせずにいますし子供には兄弟もいません。だから音楽というツールを使って人生の支えの足しになればいいと思っているだけです。私がいなくなっても、支えてくれる人たちを持っていけたらいいと思うので、息子の心の支えのつもりです。別にこれで食べてくれなくてもかまいません」
その人はしっかり私に握手をしてくれて「お母さんって強いね。君が僕の歌を聴いてくれてよかった」と言ってくれた。
プロって、これだなって思いながら帰った。
出し惜しみせずに愛情もって「こっちへおいで」と言ってるようなそんな姿勢こそ凄いから出せるオーラなんだ。
だから私の友達が私にいろんなことを教えてくれるのは安売りじゃない。「プロらしい懐の広さ」だと思ってる。
それからプロになる人はどこか3次元だ。
歌声一つ取っても奥行きがあって、時間が流れていて季節や情景とか一緒に添付されている。
それを一言で言うなら「雰囲気あるよ」っていうんだろうな。
アマチュアって言うかただの上手な人っていうのは2次元で、写真を見て写した絵のようで、無機質なぺたんとした感じがする。
伝わるものが伝わらないような。
この違いに気がついたのはここ10年くらいの間だ。
38歳になってもまだこんなことを言ってる。
いつまでも私は10代の頃のようにどっかがあほだ。
昔は歌より絵描きになりたかった。
その頃はたくさんメッセージを持っていた。
やっぱり今も「職業は絵描きです」と言うセリフにあこがれを感じる。
いつになったら時間ができるだろう。
なれる日が来てプロになれるなら、ロックなプロの絵描きになろう。