ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

1万人の焼き肉大会

2007-10-30 | リフレッシュ日記
都城市高城町の石山観音池で、1万人の焼肉大会がありました。昼間から乗り込んでリフトだのスライダーだのに乗り、スライダーは結構怖かったです。
1500円のチケットを事前に買わないと行けないのですが、それで観覧車やゴーカートにタダで乗れるし、メインの焼肉はと言うとちゃんとおいしいお肉でした。
ほかにも屋台がたくさん並んで、うどん屋さんやたこ焼き屋さんなどあります。
ステージイベントで大きなジャズのバンドやベンチャーズのコピーバンドが演奏していました。和太鼓もありましたね。
焼肉会場ではチンドン屋がサックスを演奏しながら練り歩き、着ぐるみのニワトリなどが子供と遊んでいました。
石山観音池にはほかにも公園や温泉がとなりにあって、締めの花火が終わったあと温泉に入るお客さんもいるんじゃないかな。
何より安い。
まあ気になることがあるとしたら昼間の暖かさに比べると、夜は寒いということです。
来年はもっと着込んでいこう。あのステージに参加できるようにバンド頑張ろう!!
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グーグルアース

2007-10-27 | リフレッシュ日記
グーグルアース
無料だったのでダウンロードさせてみました。
世界中の観光地へ案内してくれる上にちょっと宇宙の天体まで見れたりして面白いです。
でもPC環境によっちゃ重たいんじゃないのかな。
コメント (2)
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川崎病後遺症

2007-10-26 | 体のこと
私は小さい頃川崎病という病気にかかりまだワクチンのない頃で大変な目に遭いました。
その後遺症は長く続くもので、関節、血管や心臓などあらゆる場所に痕跡を残してしまいます。
私の場合は足の関節に強く残っています。
もう30代になったというのにまだその後遺症のことで病院でも気にされます。
でも私は治りました。子供も生みました。好きなことをして、仕事をして、一生懸命生きています。
だから今、川崎病で苦しむ子供たちをとても人ごととは思えません。
亮介君という11歳の男の子がいます。彼は後遺症が心臓に強く残り移植を待っています。
国内では無理なので渡米を考えているそうです。 りょうすけ君を救う会
川崎病で悩んでいるお母さんお父さん。かわってあげたいくらい苦しいかもしれないですが、私のように元気になってちゃんと生活できる日が来ます!
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昔からのライブハウス

2007-10-26 | バンド活動など
仕事でライブハウスまわりをしている途中で私が10代から通っているライブハウスに行った。
マスターが「おおマッキ!この前お前の話をしていたんだよ。お前がアメリカに行っていた頃の話をしてた。」と言った。「誰と話したん?」と聞いても一月前くらいだったからと思い出せないと言った。
そのあと店の子と話しながら「そういえばコバさんとモールであったよ。赤いバンダナしてあやしげだった。」という話をしていた。コバさんというのはフォークの二人組のボーカルで、適当におじさんだがかなり歌はうまい。オリジナルがメインでその当時私たち仲間はみんなコバさんのテープを車に積んでいた。
そんな感じでコバさんの話題で盛り上がっているとその彼が現れた。しかもかなり久しぶりだったらしい。私は噂をすれば現れたと驚いた。
コバさんは私を見て「ひさしぶり!今日はことごとく振られたよ。」と言ってまた別の誰かに電話していた。そしてしばらくするとその電話の相手が現れた。
彼は私が高校のとき好きだった人で、幼なじみだった。
私たちはなんだか照れくさかった。マスターはこっそり「お前たちは両思いだったんだよ。でも縁なんだなあ。お互い別の人と結婚したし。」と言った。
実際今は好きだった人でもいい仲間に過ぎない。そしてコバさんと三人でふざけていた。
するとチャーリーという仲間が現れた。また彼も普段は鹿児島にいてめったに宮崎に来ない。かなり難しい確率でこの4人はそろった。
何年も会わなかったことなんて感じさせない空気だった。
チャーリーとコバさんが二人で長渕剛の曲を歌ってみんな興奮した。そんな興奮するようなステージを今でも出来る。私はコバさんのために一曲歌った。
マスターは私が歌うのを喜んでくれる。「最近少なくなった大人の歌い方が出来る女性だ」と言ってくれる。
チャーリーの弾き語りは最高だった。私は「ライブしなよ。ここにくればいいじゃん。絶対見に来るから。」と頼んだ。コバさんにも頼んだ。
毎日いろんなことがある。いろんな辛いことがある。でもどうでもいいやという気持ちにさせてくれた。この店は私を元気にしてくれた。この仲間も私を元に戻してくれた。
これが私の原点になった場所だった。私が好きだと思う音楽があった。途中で泣き出しそうになった。「私ね。ほんとはいっぱい辛いの。助けて欲しいの。」と心の中で正直に思った。いつも誰も頼らないし頼れないと思っている私が素直になった瞬間だった。
幼なじみが言った。「まき!うざい男を殴る時はこめかみ狙え」と突然言った。「いきなり急所か!」と言うと「話してわからないやつは殴れ。お前女だから手加減したら負けるぞ」と私の心の中を見たかのような発言にびっくりした。
今日 このライブハウスに来てよかった。みんなにも何回もそう言った。
帰るときみんなで見送ってくれた。幼なじみが「お前ほんと気をつけて帰れよ。」と言った。
私はみんなを抱きしめたいくらい楽しかったから、満面の顔で「うん!」と言って帰った。スリーセブンへ行ってほんとによかった。
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戦う6歳

2007-10-24 | 子育て日記
一人息子はもうあっという間に小学生になった。私が一人になった時まだ7ヶ月だった。
最近では児童クラブから歩いて帰るようになり、一緒に帰っているお姉ちゃんと途中で別れるとそこから一人で帰ってくる。それから私が家に帰ってくるまで留守番をしている。
かなり用心深くて私以外の人間には居留守を使う。
うちへ帰り着くと私のパソコンを使って私の会社のパソコンと携帯に無事の確認メールを送ってくる。
だいたい「おかあさんまだ?」という内容だ。
冷蔵庫にあるジュースを飲んで、パソコンで子供向けの通信教育システムで遊んでいるかNHKなどの子供番組を見ているパターンがほとんどで、宿題は児童クラブにいる間にやってしまっている。
赤ちゃんのような顔のわりに妙に聞き分けがいい子だが、その事が逆に気になる。やせ我慢じゃないか。と心配になって同じことを何度も確認したくなることがある。
今日また児童クラブから歩いて帰る日が増えた。(普通は車で迎えにいく)それが本人は本当に望んでいるのか心配になった。
最近では夕方くらくなるのが早いし、クラブにいれば先生もいて私が迎えにくる。だから何度も「迎えにいこうか?」と聞いた。
でも、「一人で帰るって決めたから歩いて帰るの。」と言いきられた。
それでも私はやせ我慢しているんじゃないかと気になる。
夜仕事をしていて、静かだなと思ってソファを見ると息子は眠っていた。
それをちゃんと寝かせるために抱き上げると一瞬起きて「今何時?」といった。「10時」になるよ。と言うとまた寝てしまった。この子は一日何回も「今何時?」と聞く。自然と時計を見て時間を待つ生活をしているのだろうかとまた気になりだす。
寝顔を見ていると、学校から帰ってくる息子。お兄ちゃんたちに混ざって登校する息子。学校で勉強している息子。などいろんな姿を想像した。黄色の帽子をかぶって一人で学校から帰ってくるのかと思うと家で待っていてあげれたらどんなにいいだろうと思っていた。
生まれてからまだ約6年と9ヶ月で、この子は必死に生きている。
私のことを思い大した不満も言わずに。私はこの6歳児の強さと優しさに感動してしまう。
私の息子だからよく見えるというものじゃない。むしろまだまだ赤ちゃんのように見えるのだ。よその子供より幼いと思えるのだ。自分の子供だから不安にもなることがある。
でも子供は私をいつのまにか「お母さん頑張らなくていいよ。ちゃんとできなくてもいいんだよ。」というようにこんな私を堂々と自慢してくれる。
私に説教をすることもある。愛情を与えていたようで、実は受けていたのは私だったかもしれない。6歳の今よりもっと前から、お腹にいた頃からその存在だけで私はこの子に守ってもらっていたかもしれない。
こんなに小さいからだでもその生き様に勇気をもらう。6歳の生き様に私は自分の未熟で弱虫な部分を見つけてしまう。
私はそんなことを考えていることなどおくびにも出さずに 明日の朝になれば「早く着替えなさい。」などと母親の権限をフルに使うだろう。
そして学校へ登校していく後ろ姿と見送りながら心の中で「お前も頑張れ。お母さんも頑張るからね。」と思うだろう。
コメント (1)
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