息子の吹奏楽コンクールがありました。
本当に今まで頑張っていました。
小学校から中学校へ行っただけでもういろんなことがめまぐるしく変化する中、部活の中でもいろんな責任を突きつけられて、親子で大変な毎日でした。
遅くまで練習して、土日の送り迎えやお弁当に勉強会と甘ったれをいうスキさえ与えないそのスケジュールにどう向き合っていこうかとかわいそうになりながらも顔には出さないと、あえて冗談を言ったりほかの子ども達も交えて遊びに連れて行ったりして騙し騙して過ごしていたような、そういう感じがしていました。
とうとう本番が来て、「お母さんなんか緊張してきたよ」というので、学校まで送っていく車の中で『大泉洋ものまね26連発』を見ながら馬鹿笑いした空気を作りつつ送り出しました。
出番は21番目。ほかの学校の演奏を聴く度に落ち込みます。
みんな上手で。
ああこの子達だって今まで苦労して頑張ってたんだろうなと思うと、同じ課題曲を弾いているその姿に自分の子どもでもないのに泣けてきそうになりました。
ついに我が子の番。
本番に強い子だと思っていたらその通り。緊張している風にはまったく見えません。
シンバルを担当だったのですが、練習の時とは明らかにフォームが上達していて親ばかならが今まで見た演奏の中で一番上手にできていると感じました。
ふと、隣で涙を拭きながら孫を見ている母を見て「よかったねえ仕事休んででもここに来て」というと「じゃかいよ・・・」とまた泣いていました。
結果は金賞。
コンクールの仕組みはかわっていて、金賞と言っても1校ではありません。
金賞というレベルに達している演奏だったと評価されるのです。
そのいくつかの金賞の中から大会へ選抜されます。
昨日、その結果がきて残念ながら選抜からはずれました。
その連絡をくれた方は息子達がとった金を「ダメ金ってことだね」と言いました。
私は「良い経験をさせてもらえました。思い残すところがなければダメじゃないから」というと「あなたの子どもはまだ1年生だからよ」と言われました。
その人の子供さんは3年生だったんです。
きっと泣いているだろうな・・・今頃みんな落ち込んでいるんだろうな。その風景が目に浮かぶようでした。
会場で、金だと言われなかった学校の生徒は立ち上がれない程座り込んで泣いていました。
吹奏楽の甲子園のようでした。
息子は「そうなんだ。選ばれなかったんだ。」と言ってセッティングが間違っていたとか楽器が突然壊れたことを言い始めました。
私は「そんな不慮の事故が原因で選抜されない程、審査員はあほじゃないと思うけどね。お母さんだってバンドでモニタが全然聞こえないとかいろいろあるけどそんなことで言い訳しないけど。それじゃダメ金だって言われたってしょうがないわ」といいました。
息子は「うん。オロオロしてたからそれがばれたんだと思う」と言い直しました。
「問題はそういうことだね。てかダメ金って言い方嫌だわ~金は金よ。」
子どもは嬉しそうでした。金は金!自分は金が取れるレベルの演奏をしたってことがとても自信になる。練習がきつくてたまには遊びたくなって、帰ってテレビが見たくなったりもしたけど「そうなの?僕たちってそんなに上手だったんだ。」1年の甘えんぼ男子達はみんな心から喜んでいました。
ついこの前までランドセルで甘えんぼだったことがウソのように子どもだけで見せた意地が金を取った。
ダメ金だろうがなんだろうが私にはとにかく立派な金賞でした。
なんで?と聞くと原因はストレス。
いや~なんてつかみ所のない結末。
どうしろと言うんだ。
人間生きていたら誰でもみんな一緒だわ。
みんな忙しいし仕事もしてる。
仕事が終わったら・・・とか思っていて実際終わったらいかんやろ。
ということは忙しくなくなったら・・・とか言ってて暇になった試しがあるのか?
ないわ!!!
と言うことで優先順位で動いている。
一番は子供。二番に仕事。三番に自分。
忙しくても子供のことなら仕事は二番手にまわす。三番目に自分を持って来ているからこうなるわけだな。
仕方がない。しがらみというものがある。
一番目に仕事。と言う人とかち合うと全く気が合わない。
だって、人間は生きるために仕事をするのだから。仕事に振り回された生活や人間関係の人は淋しいやつだと思う。
たとえそういう風に自分が過ごしていたとしても、そうじゃないと頭ではわかっていること。
これは凄く大切な感覚だと思う。
でないと、自分の体も、家族も、仲間もみんななくしてしまうから。
それを彼女は複雑な感じの笑みを浮かべて「あんなことしてくれる人じゃないよね」と自分にいうようにしてその後横目で私を見た。
私もそうだねといわんばかりに苦笑いした。
「キャンプに行こうか・・・」というと嬉しそうにいろいろと話し出した。
彼女は「どこもつれていってもらってないの。一回だけイルミネーションを見ただけ。その時の写真を見たら涙が出そうだわ。」
彼女は自分だけでなく、娘にも大した思い出を作っていないことに罪悪感があるようだった。
私は出かけるだけが思い出じゃないと思う。だけど私が連れ出せることはしてあげたいと思った。
彼女が「makiちゃんは幸せだよ。」といった。
それもそうだ。とくに自分自身の選択の結果はなんとか切り返せているから。
「makiちゃんみたいに頑張りたい」と彼女はいう。だけど私には私の葛藤もあって今がある。
「私もどうしてあなたがあの川岸のカップルがうらやましかったのかわかる。
私は自分のことなんてどうでもよかった。子どものために一緒に生きていける人が欲しかった。
離婚して、父親を取り上げてしまった自分のことを今も許していないし、父親がいない気持ちをわかっていて息子に同じことをしてしまった自分が嫌で仕方がない。
あなたと違うとしたら私は恋をしたいと思っていない。
子どもに幸せな時間を作ってくれる人が欲しかったね。そういう意味ではほとんど1人だった。お願いすれば誰かがいたけどそれは心から頼れるパートナーじゃないね。
私は親という責任を同じように感じてくれる人が欲しかったのかも知れない。じゃないと私はいつも申し訳ない気持ちでお願いをすることになるから。」
彼女は「makiちゃんはいつもそんな風に思っていたの?たくさん人がいてもそうなの?」とビックリしているようにいった。
「そう、結局いつも人ごとのように言うひとだけじゃないの。私が背負っていることを理解している人はたぶん別れた前の旦那だけなのかもしれない。心に私のことは誰にもわからないという気持ちがいつもすんでいるの。大勢に囲まれていても私が信じられるのは私だけ」
彼女は「makiちゃん、幸せなの?」と言った。
「不幸せじゃない。ずいぶん恵まれている人生だよ。ラッキーなやつだと自分のことを思うよ。幸せかは応えられないけど、そういう孤独感はもう私の相棒になってしまっているからね。だからあなたのこともわかるんだよ。人の痛みや寂しさや悲しい気持ちがよくわかる。どうして欲しいのかもわかるんだよ」
深刻な顔の彼女は「私、ずっとmakiちゃんには友達でいて欲しいと思ってるんだよ」と言った。
変なやつだと笑えた。
彼女の手首にリストカットのあとがあった。
それを見つけて私が「そんなことがあったのか。」というと恥ずかしそうに笑ってごまかした。
「馬鹿なやつだ」というと彼女は「私ね、私のことわかっててどうにもならないとかも知っててそうやって言ってくれる友達が欲しかったよ。他の人がうらやましいと思ってたよ。だけどもううらやましいじゃないよ。makiちゃんのおかげですごく楽になった。」
「そうだったの?」というと「そうだよ。だからどうやったら私はmakiちゃんのことわかるの?どうしてmakiちゃんはわかるのに私にはわからないの?」
私は答えられなくて「まあ、いいが・・・」と言った。
わかってくれる人はいるだろうけど私が受け入れる気がないんだ。
それだけ何度も信じては突き放されてきた。だからもういいよと思っている自分がいて、そいつが「人を待っててなんになる。誰が助けてくれるんだ。自分を助けられるの自分しかいない。ほかにいないじゃないか」と言うんだ。
だから彼女がわからないんじゃない。私の気持ちの問題だ。
私は心から彼女の言葉を嬉しいと思っている。やっと「こいつは裏切らない」と少し思った。
まあこんなにもよく人が集まるもんだと感心するほどすごかった。
昔と違ってきたのはマナーの悪さ。ゴミをどこでもおいて帰る子ども達を見て、出店を呼んでるくせにゴミのことを考えないのは馬鹿かとつくづく思う。
基本ゴミは持って帰ると日本人は習うけど、いろんな人がいるんだ。
それは今、成り立っていない。
持って帰らないのが悪いという意見もあるだろうけど、結局次の日、誰かが苦労するなら腹をくくってゴミ部隊を結成するべきじゃないか。
出店を呼ばないか、ゴミ部隊を作るか。
それとも文句を言いながら次の日清掃活動を頑張るのか。
人の良心を信じるのも限度がある。相手はたいがい子どもだし。
あれはない。
しつけの悪いお客さんが多かったことが悪いのか、詰めが甘い実行委員が悪いのか。
ただ土地の所有者はただのとばっちりじゃないか。
かれこれ1年、まともに口をきいていない人がいる。
なんとかかんとか私の機嫌を取ろうとしているらしいのも知っている。
1年も、凄いとも思うけど 1年も口を聞きたくないという私のこの現象は怒っているんじゃなくて、どちらかというと傷ついているというほうだ。
だから謝って欲しいわけでもない。
だって腹が立っていないのだから。
ただ、私のシャッターが降りているだけなんだから。
私の中に毒が溶け込んで、それは中和されずにまだ心の中にあるということだからだ。
私もどうしようもない。
その出来事を思い出す度に「ああ~やっぱりだめだ・・・」という一人会議結果がでてしまう。
どうにもできないのは私のことだけじゃないからだ。
私が許せる状態を作っていないのに、許してもらおうと機嫌を取ったって私の身の上にだけ起こった出来事じゃないのだからどうしろというんだ。
すっかり呆れている。怒る気もない。
昔から、かなり昔から、私は自分より私の仲間や周りの人間を傷つける人の方が感に障る。
やっかいなことにそういうやつは私に取っていたくもかゆくもないわけなのだけど私が身代わりになるわけにもいかない。それは助けられないということ。
傷ついた人をただ見ているだけで、何も助けてあげられないということ。
だからその相手に対してその人が知り合いだったり近い人間だったり信頼していたりするほど裏切られたような気分になってしまう。
あなたってそういうやつなんだね・・・って。
私が直接何か嫌なことをされたなら、私がなんとかすればいいんだ。
だけど、周りの人間に攻撃がいくと私にはどうにもできない。
それが仲間や身内であるほど衝撃が大きくなる。
私が1年もの間、相手にしないその人は私の仲間が積み上げたものをあっさり崩してしまった。
私も同じくとばっちりを受けてしまった一人だけれど、自分がなんとか考えを切り替えて解消できたとしても、現実にはたくさんの人の不愉快さが残っていて、私はそれを聞いてしまう。
聞かされている間は私は味方だと思われているんだろう。
聞いてあげるしかできない。
だから、余計に腹が立って、こんな目に遭わす相手と口も聞きたくないと思ってしまう。
私が許すということじゃない。
もし、まわりがどうなろうと別にいいけどねと思う人間ならこんな風に腹も立たない。
「あなたは私の大事な人が嫌がることをして、それで私があなたを大事できるとどうして思っているんだ。私は怒っていない。悲しんでいるだけ。あなたの心の悪さを見てしまって付ける薬も見つからずにいる。あなたはそれでも自分が被害者のような気持ちでいる。最初は悪気はなかったかもしれないけれど、ここまで痛みを感じている人が現れているのに耳をふさいで目を閉じているのはただの確信犯。もうあなたは加害者になってしまっている。自分の無神経さを心からわびて改めて生きて欲しい」
こんなことを思っている。
黙っているのは自分が被害者だと思っている人に何を言っても無駄だからだ。
「もしかして自分なの?」とにじみ出るように自分からわき上がってくるまで待っているんだ。
言ったらわかる相手じゃないときには何も言わないようにしている。
説明することが無駄だからだ。
特に偉い人間でもないくせに、こんなことを思うような私は偉そうだ。
ただ「そうなんだけどでもダメなもんはダメだ」と判決がでているんだ。
私に許しを請うても無駄だ。原因は私のところにないんだから。