母は、67歳になった。
脚が悪くて正座ができない。
私には弟がいる。
結婚していて3人の子どもがいるし、自営で店を構えている。
私にも息子がいる。
その息子と会社員をしながら私は親子2人と猫1匹で自由に生きている。
私は母とすぐに喧嘩になる。昔からそうだった。
「絶対一緒に暮らすのは無理なタイプだ」と内心いつも思っていた。
高校を卒業してからは何度も一人暮らしをよくした。
家にいるのが嫌で実家にいるときは昼も夜も働いてばかりいたし、仕事がないときは趣味を見つけては没頭していた。
おかげで人の一生を5年くらいで過ごすやつだと母から言われた。
私はいつ死んでもいいような生き方をしたかった。
子どもができてから私の時間は人並に近づいた。
でも相変わらず行動を測られることが苦手で、そういう私が離婚に至るのは当然だっただろう。
私はもうすぐ40代になる。
気分的には特に変化なく、アメリカにまた5年くらい行ってきたいとか本気で思う。
息子がいるからやらないけれど。
私は借金をするのが嫌いで、借金をしてまで何かをすることはしない。
だから小さい買い物のローンを払うことがたまにあるくらいで、お金に不自由はない。
自由になる範囲で自由なことをしている。
母は弟と私を抱えて女で一人で大きくしてくれた。
私とは違って、生きるだけで自分のことを顧みることができなかった。
それに相当人がいい性格で、何度となく騙されたりしてその影響を長く受けた。
私が嫌なことを嫌だとはっきり言うと「お前は冷たいやつだ」という。
そうじゃない。
できないことを引き受けるのは無責任なんだ。
そんなこんなで母の性格すぐいらだってしまう私は、自分の平常心のためにも長い時間一緒にいたがらなくなっていた。
それでもひとりぼっちで老いていく母を感じるようになると一人でいるからというか、生きていくためにまだ自分にむち打たなくてはならないでいることがかわいそうで、私と弟のために費やしただけの人生で特に蓄えもなく、痛む脚に湿布を貼って仕事してまた脚を痛める毎日がいつか報われるのかというわけでもなくて それなのに自由に生きている私や子どもが多いことを理由に母を後回しにし続ける弟はなんて親不孝なんだろうとそんな気がしている。
私が67歳になったとき、誰かに助けて欲しいとか面倒見て欲しいとかそんなことを今は宛にしていない。
でもそれは40歳前の私の感覚であって、その頃私がそう思わないかはわからない。
息子に「ばあばをいつまでもひとりぼっちにしちゃいかんね。」というと返事に困っていた。
9歳だし当たり前だ。
昨日、母とカレーうどんを食べた。
「私には構想があるんだよ。いつになるかわからんけど」
母は、この不景気なんだから地道に会社員をするべきじゃないかと言った。
確かに、私には息子を育てる以上のことができない。そういう収入もない。
考えがまとまっていない私は詳しく将来について話さなかった。
ただ、いつまでも母が同じペースで働いてはいられないこと、業種が問題ではなくて仕事のやり方や仕組みの問題を解決することで母や子どもたちのためにももう少し楽なやり方があるはずだと言った。
私はそのために何かを頑張らずにはいられないというと、母は本当に嬉しそうに笑った。
怖かったのだろう。私が気がついたように母もこのままで自分はどうなるのだろうかと思っていたのだろう。
言葉の上だけど私は気がついて何とかしたいと言ったことで、母のその思いは少し報われているんだろう。
その後3人でホームセンターへ行った。
買い物が済んで別々の方向へ帰るとき、お総菜を作ってきたんだと持たせてくれた。
そして珍しくいつまでも手を振っていた。
老後という時期をもっと楽しんで過ごしてもらいたい。
私はもっとそこに協力して大事にしてやらなければ、そのうち自分が後悔する日が来ると思う。