ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

はっきり言っちゃってる勇気

2012-06-29 | 自己啓発日記
さっき偶然見つけたブログにびっくりすることが書いてあった。

その人は不思議さんなんだけどスピ系の仕事をしてたのか準備してたかの人だ。

それがある日、彼女ははっきりと自分がやってきたことは間違いだから辞めますというんだ。

営業妨害も覚悟で目を覚ませと言わんばかりにブログに書いていて、それが車で20分くらいの近所の人だった。

笑ってしまうのは馬鹿にしてるんじゃない。
この触れちゃいけないようなところに、ばっさり感がすごくてその潔さに
「いい人なんや絶対。」
と、思い込みそうになった。

不思議な仕事してるなってよく読んだら、そんなものなくてもいいんだとくくってあった。

引っかかりって潜在意識で感じるとき大抵後から譲れないようなモヤモヤに育つ。

あのブログの人の中にもモヤモヤがあったのかもしれないな。
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決まった!

2012-06-28 | 私の愛する仲間たち
地元の交流プラザには 手作り雑貨の小さい箱のコーナーがあるんだけど、忘れてしまったくらい前に交流プラザの友達の薦めで書類に名前を書いた。


土曜日、キャンドルナイトがあった日にその友達から「もうすぐ連絡が来るよ。待っててね。」と言われた。

ああ・・・そういえば応募したな。あれは抽選なんだろうと思っていたな。


と半分あてにしていなかった。


バンドの練習日に電話が来て「今こっちこれる?」と彼女が言うので「いけないんだよ」というと「出るんでしょ。出すよね。明日は来れる?印鑑持って来てね」ともう出ることになっていた。


「ちびたん(私)はいつものやつ以外になにするの?」と言われて
「無添加キャンドルとリースとあと思いついたやつ。でも革クラフトもあるしジュード編みもあるから置ききれなかったらどうしようかな」というと

「作家さん達のマーケットがあるからそっちに大きいものは出せるよ」と言われた。


もうすぐインテリアアートが入ってくることになってる。

彼女にはものが大きいからポストカードを作ってもらうことにした。


こうやって縁が広がるってことは私が向かう先が間違いではないってことかもしれないな。
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流行ってるのかそんなこと?

2012-06-26 | 私のお仕事(本業)

ちょっと前に後輩の兄ちゃんが「オレ、なんか言わなきゃよかったって思うことがあって」というので話を聞くと、上司に「上に立つ人は仕事してやって見せて欲しいんですと言ったらその上司にばっさりと”今どきそんなのは流行らないんだ“と言われた」ということがあった。


たまたま別な人がまた同じようなことを言われていたんで「逆に流行ってなんでしょうか。身内のピンチに空気を読まないことが流行でしょうか。そこまで行くと感心すらします」そういうとその人は大笑いした。


人の神経を逆なでしていても自分がよければいいという人は結局それまでのしがらみから切り離されるものだ。

誰からも信用されないし、心を開いてもらえなくなる。


それでもやっぱりまわりに遠慮してまで我慢したくないと思うのが自己中の集大成だろうけど、その人のために我慢する人だっているわけだ。


自分は良いけどまわりはダメというやつ。



そう言う人はお金持ちだろうが、頭がよかろうが、地位や名誉を持っていようがとんでもなく不幸なやつに見えてしまう。

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子供たちの井戸端会議

2012-06-25 | 子育て日記
息子の友達が、自分の親のダメさを愚痴っていた。
私は薄々気がついていた。

たまにしかあわなかったけど、それでもわかった。

理由は下の子どもさんの雰囲気だ。
お兄ちゃんだけでもわかったけど、弟を見たときにお母さんが変わっているんじゃないかと確信した。

虐待と仲間かはわからない。放棄だ。

いろんな理由を作っては泊まりで何日もいなくなるらしい。

宝くじにあたっからとかなんとか。


今日、家に帰るとその兄弟は私の家のウッドデッキにいた。
お父さんが仕事で帰らず、お母さんはまだ旅行から帰らないけど家の鍵をなくしたと言った。

塩焼きそばとおにぎりを作ってやった。

お父さんが来た。

さすがにムカついて他人事ながら、奥さんにちゃんと話して下さいと言った。でも用事で出掛けてるだけで自分が悪いからと言った。

だけど実態を実は知ってたし、私はとばっちりが来たのだから言う権利はあると思ったので、私の家に来なくていなくなってたりしたらどうするんですかと強く言った。

子供がよる遅くまで家に入れなくて、電話も出来ず、お腹をすかせてさまよって。

私の息子がコソッとお兄ちゃんに、母ちゃん最悪だね。自己中だよ。と言うのが聞こえた。
相手の子は苦笑いした。

すかさず息子に言い過ぎだと言って、自分が同じことを言われたら辛いだろと言うと、
ハッとした顔をした。

愚痴ったのは聞いて欲しかっただけ。それだけだろと言うと息子は相手の子に言い過ぎたと謝った。

だけどまだ小学生の子が愚痴るには気の毒な内容だな。

息子に、世の中いい親ばかりじゃない。人間だし。だけど一人しかおらんやろ。可愛がられた気持ちになれなくても心から嫌いにはなかなかならないと思うと言うと、そうだねと言った。


夜、あの二人を見つけて事情を聞いたときは涙が出た。

私のことを息子から愚痴られているかもしれないけど、私の欠点をだれかに相談するほどお兄ちゃんになったかとちょっと感心するかな。
だけどそこはそれ。

私が甘える理由にはならない。

私がそう思うからこそあの家族を見て勉強させられた。
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すぐそばの人を犠牲にすること

2012-06-13 | 自己啓発日記
すごいスピードでまわりのモチベーションが下がる中、私のように感情的なりやすい性格がどうやってやる気を維持したらいいものか、本を見たり瞑想したり、空を見上げたり忙しい。

たまたま星占いでも有名な人のコラムに私の星座の話しが載っていた。

「感情の起伏が激しい。それそのものがあなた自身」


と書いてあった。


笑ってしまった。



そうだろうなと思った。



まわりに対して私はいつも水なんだそうだ。相手の心に触ってしまうけど、自分の中に入れたがらない。
そして一度自分の心に触れさせた相手には絶対の信頼を置くのだとあった。

だからまわりがどんなに近づくなといってもその人を信じている間は聞く耳を持っていないとあった。

それが一度自分という水に溶け込もうとする毒だとわかったらとたんにシャッターを閉めて二度と開けない。

どんなに誤られても もう二度と自分の心に触れさせることはしない。


それはものすごく自分が傷つきやすく、その感情をコントロールすることに苦労すると知っているからだとあった。


私は心当たりがあった。


一度心の地雷を踏まれると、表面的には話しても二度とかかわらないと内心思っている。
それはその地雷がふまれたとき=信じていたからこそ悲しい

に、結びついてしまうからだ。



この現象はやっかいなことに身近で起こっていて、シャッターを閉めてしまった人は私が一番嫌だと思う地雷を踏んだ。

身近な人間から先に犠牲にするというやりかた。



その人はそれでも言う。

信じてくれと言う。





信じて欲しいと本気で思う時、信じて欲しいとは言わない。


自分自身を見せるしかないんだ。
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