ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

落ち込むとき

2018-03-06 | 地域活動のこと
去年、相談者さんがお母さんと不仲なことをネタに旦那さんから暴言を吐かれるという謎の相談があった。

親子関係というものはどんなにクズな関係があってもどうしても、どこかで改善されたらいいのにと思うものだ。
どんなに嫌な相手でもどこかで本当は優しいんだとか本当は何か理由があるんだとか思う人が多い。

親子だもの。どんなに酷いことがあったってどこかでなんとかなって欲しいと思う。それが他人ではないから真剣にそう思うんだ。

相談者の彼女は実のお母さんと折り合いが悪い。

それを旦那さんに相談するとなぐさめるどころか罵倒が始まるという相談を受けていた。

私もね。同じことはよくあった。
親ごと罵倒されるわけではなかったけど、お前の涙なんか信じるものかとか、お前は自分が偉いと思っているのかとか、オレを誰だと思っているとか、仕事に行っていようがそういう「思い上がり」の虐待はお構いなしなのだ。

彼女の話を聞いているときその状態が目に浮かぶ。「思い上がり」の末のモラルハラスメント。

これは私のトラウマが引き出されてかなりかぶって落ち込む。

そういう相手はなぜそんなことができるのかというと、そのまま「思い上がり」なんだ。ようは他人の時間の中にあっても自分が基準。そういう酷い自己愛の中にいる。
これは言って聞かせたら終わるような事じゃない。

彼女は夢を見ているようだという。全くその通り。

こちらとしてはその思い上がりはあり得ない非常識の塊なのだから、むしゃくしゃしたから火をつけましたとか、しつけだから殴りました、みたいなことと同じなのだ。理解できる人の方が神経を疑う。
どれほどその状態に困惑するか。
コントロールされていなければノイローゼになるようなほどの非常識さだっただろう。

私の場合はコントロールされてしまったのでノイローゼにならなかった。どっちがよかったのかは疑問だけど。

ただ、コントロールが自分で勝手に溶けたりはしない。私は周りがいた。周りが気がついた。
行動的虐待の中にあっても私は大事な友人だけは隠し、守り通した。その時の自分のことを今でもハッキリと思い出す。


彼女に「あなたは行動的虐待の中にいません。だから自分の尊厳を持っていられる。しっかりと、自分を持っていられるように周りを見て地に足を付けた誠実さをもっていることですよ」と言った。

酷いモラルハラスメントは相手を麻痺させる。だから周りを鏡として見ること、相手を冷静にみながらまともに相手をしないこと、地に足を付けた誠実さは自分を強くする。凜として真っ直ぐにいること。

そして自然と時が来る。自分で歩くという時が来る。

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