なかなか練習というところまでいかないけれど島唄は親戚のおばさんのすすめで、頑張ってみる事になってCDを使って時々練習をしています。不思議と特に努力もしないですんなり歌えているので自分の体の中には、島の血が流れているのだなあとこういう瞬間に思う。じいちゃんもひいじいちゃんもひいばあちゃんも島唄の歌い手で、じいちゃんはレコードを出していて今継承しているのは霧島に住んでる絵描きの福志郎おじちゃんという人だけです。ばあちゃんの命日の日に私に三線を弾いて歌ってくれました。その時は特に何とも思わなかったけど私が描いた絵を見て「自分以外に身内で絵を描く子がいたなんて嬉しかった。死ぬまで続けなさい。その事は、あなたを裏切らないし助けてくれるものだから」といわれなんかドキッとした。自然を見てドキドキする私の感情は絵描きにはもってこいの感情だったとそう思った。その人は奄美の出身で私の父が徳之島という事もあって私の生活に自然ととけ込んでいた奄美大島の文化について気にするようになった。だから島唄の魅力に気づいたのかもしれない。私は歌うときいつも亡くなったじいちゃんやばあちゃんたちが喜んでいるような気がする。私が歌う事を望んでくれているような気がする。絵を描くという事と、歌う事という表現の方法を私に授けてくれた存在があるような気がする。手拍子をしているばあちゃんがそばにいるような気がする。
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