ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

またまた宮崎です

2009-03-22 | 雑談
せっかく遊びに来てるのにすごい雨と雷です。

今日は何しようかなあ。

みんな疲れてひっくり返ってます。

遊びに行くと言ってもやっぱりイオンかなあ。また(*´Д`)=з

雷すごいなあ。
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明日は宮崎

2009-03-20 | 子育て日記
外はものすごい雨です。
明日は宮崎です。
宮崎のイオンは本当だかわからないのですが、日本で一番お客さんが来るイオンだそうです。

まあそれだけいくところが少ないのでしょうか。

とにかくぼちぼちと行ってみようかな。子供がたのしみにしています。
明日は叩き起こされるだろうな。
明日というよりもう今日だけど。
キャンプブームも落ち着いて、しばらくはどこも駐車場がなくて大変だったんですがもう大丈夫でしょう。

明日、ゆっくり行ってきます。
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師匠が考えてくれてたこと

2009-03-19 | 私の愛する仲間たち
私の耳が1ヶ月前くらいに耳鳴りが起り始めてあわてて病院で治療しました。
どうやら早くいかないと、もし聴力が下がっても元に戻せないらしいのです。
今では良くなっていますが、心のどこかでいずれ最悪な日が来るのだろうかと思うことがあります。

昨日、近所の友達と耳のことで話しをしていたとき師匠から電話が来て、今から会わせたい人がいるということで友達もいっしょに会いに行きました。

その人は私が保育園くらいの頃近所に住んでいた「みちよちゃん」という子で、生まれつき耳が聞こえず言葉もはっきりしていません。
私は彼女のことはよく覚えていて、頭のいい子だった印象が強かったです。
どうやら彼女は師匠の店のお客さんだったようで、師匠が携帯に私たち親子の写真を持っていたことで私に会いたいと言ったようです。

私の師匠「臣ちゃん」は音楽しかしてない人です。
どうしてみちよちゃんは、その店に行ったのか聞いてしまいました。
みちよちゃんは臣ちゃんのピアノを聞いているというんです。
生バンドも大好きだというのです。
みちよちゃんは補聴器をつけてもやっとしか聞こえていないのに、楽しんでいるんです。
私、泣いてしまいました。
その彼女が私に「私、まきちゃんの耳が悪いことを聞いたよ。もうずっとそうだったんだってね。でも立ち向かっているって博臣さんから聞いて感動したの。一人で子供を育てながら自分の試練に立ち向かっているって。まきちゃんに会いたかった。私も一緒に頑張るって言ってあげたかった。私たち友達でいようね。」と言いました。

もう30年ちかく会ったこともなかったのに、私より大変なのに、私を励ますために宮崎から来たのかと思うと涙が止まりませんでした。

みちよちゃんを連れて来てくれた臣ちゃんに感謝しています。
そして臣ちゃんの考えていることを聞いてまた感動しました。
私を気がけてくれていると思っていましたけど、それには彼なりの理由があって
「子供の手が離れたらまたやるから今は休憩するよと言って、やっとその時が来たら不調が続いて…俺がマッキなら苦しい。好きなことだから苦しいよなあ。
立ち向かわずに安静にした方がいいのかもしれないけど、それはマッキが望むことかい?本当はまわりが楽しんでいるのを見るのも辛かっただろう。だから俺の仕事を手伝ってと言ったんだよ。
俺のとこの生徒さんはみんなもったいないと言うし、耳が悪くなってもそのかわり他の体全部が耳の変わりをしているんだよ。
そんな風に見えるよ。
もし完全にやめていたら今ごろもっと悪くなっていたかもよ。
だって聞きたいという気力が進行を遅くしているんだと思うよ。」

臣ちゃんが音楽の仕事を手伝ってと言ったのは、私の気力を強くするためだったのかと初めて気がつきました。

みちよちゃんが今度一緒にのみに行こうねと言いました。
彼女はいろいろ苦労して鬱病にもなっていたんだそうです。
でも克服しています。私を見て力が出たと言ってましたがそれは私の方です。
正直、臣ちゃんが思っていたことは当たりです。
見るのも辛かった。私にとって残酷でしたね。人が楽しむ姿は私を傷つけていました。臣ちゃんは気がついてくれた。
それがなかったら苦しくて全て捨てたでしょうね。
本当にさすが師匠です。

私は彼を尊敬しています。兄貴のような存在ですが、この人がお父さんだったいいのになあとよく思います。

昨日は私の昔の男、18歳からの腐れ縁くんの誕生日で電話でおめでとうと話しました。
彼もまた師匠と同じような性格で、「俺がマッキだったらマジでイラツクし、聞こえなくなりながら音楽を好きでいるって可愛そうだろ。臣さんよくわかってくれたなあ」と感心していました。

私は本当に仲間に恵まれています。

本当にこんなにいい仲間がいてくれて、お金や地位や名誉より本当の意味で愛情のある仲間を持つことができて幸せなことです。

師匠には内緒ですが、今回のことがあってちょっと企みができました。
みちよちゃんのためにも私は負けちゃいけないと思ってます。
治療して、この病気のきっかけを作った私のお父さん、私を心配してくれている家族や仲間のためにも私は向きやってやります。
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ねむいねむいねむい寝たい・・・

2009-03-17 | 私のお仕事(本業)
昨日いろいろやっていて寝るのが遅くなり、思った通り眠くてたまりません。
こんなこともあろうかと、朝、ドイ珈琲の豆をひいてポットにたくさんの珈琲を入れて持ってきました。

考えが甘かった。

そんなことじゃ眠気は治まらなかったです。

この分じゃ珈琲は3時の休憩まで持たないでしょう。

昼ご飯はいらないので寝させてもらいます。
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母親に話してはいけないこと

2009-03-17 | 家族のお話
離婚歴のある私が一番肝に銘じていたことで、親に一番最後まで黙っていた方がいいと思うことは 旦那の悪口です。

話している自分は「ただ聞いて欲しいだけ」の場合が強かったりします。

でも親からすると「娘をいじめている男」になる瞬間です。

自分自身の愛情が冷めたとかそういうことではないのに、親からは「そんな男といていいの?」というオーラを感じます。

親にしてみれば「この人は娘を幸せにしてくれる人なのか?娘を悲しませて当たり前のように振る舞っていないか?」などと心配します。
それを娘にぶつけます。

黙って「あなたの人生だから」と見守ってくれるようなできた親がそんなにたくさんいるでしょうか。

実際もし、私も我が子が結婚して苦労していたら「私の子供をいじめているの?どうして大事にしてくれないの?」と言うような感情が芽生えるでしょう。

私は前の夫と別れるとき、人生の先輩という意味もあって母に悩みを話しました。
そして、まるで交通事故でもおこして自分を見失いがちになっている加害者のような状態の私に「別れるなら早い方がいい」と言い続けました。

私は自分の心がコントロールできる状態ではありませんでした。
そして母の言葉が誰より正しいと思ったのです。

そして私は今でもときどき思います。
「私は被害者じゃない。加害者だったかもしれない。」

自分がかわいそうで仕方がなかった。
でも、今の私の強さをそのとき持っていたらもう少し違っていたのかな。
相手に期待して自分で自分を追いつめたのに、何かいじめられていたような気分だった。

母にかわいそうなことをした。乗り越えられずに。
母は私に「おまえは今からたくさんいろんな人に会うんだから、2度も同じ苦労をしないようにしなさい」と言います。

昨日、母は私にいろんな話しをしました。
前の夫と離婚する直前のころと同じように、私が苦労するのは嫌だとたくさん話しをします。

ただ私の心はその頃と違い、コントロールできています。

そして肝に銘じていたのに、つい母に愚痴ってしまったことを後悔しました。
この反応は予想がついていたのに私は頼るところを間違った。
私が味わっていることを背負わせてしまった。
案の定自分のことのように悩んでしまった。

ごめんね。私はもう大人で、お母さんが思うほど幼くはない。
だからお母さんが話すことはわかるけど、決断は自分でするんだよ。

と、心の中で小さく思っていました。

客観的な考えが必要になるような大切なことは、親には一番最後に話すべきだと(寂しいことだけど)思ってしまいました。
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