私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

北島三郎が引退だとか・・・・

2021-01-27 17:28:17 | 日記
 今日、病院へ行く。近頃やけに疲れ息が上がります。そんな今日ですが、あの北島三郎も引退するとか・・

 「親の血を引く兄弟よりも・・・」から日本人を随分い癒してくれ歌手です。彼と同い年ですが、彼と比較することすら失礼になりますが、彼のその人生の歩みの立派さに感動して尊敬の念さえ覚えます。
 その彼の歩みを私の拙い5・7・5にでもと詠んでみました。

  ・人生を 芸一筋に 生きてきし さぶちゃんの歌 わが胸癒し
  ・さぶちゃんの 歌声聞きて よしわれもと 生きてきし人 ここにあそこに 
  ・生きるとは 何でしょうかね そんな問いが たかが演歌に あるの不思議さ
  ・演歌かと 小馬鹿にしてた 人もあり 歌の心の 妙味知らずに 
  ・高音で ああ~と息止め 歌う人の 声のとび来て 人の心に

 なお、私が一番好きな歌は「美空ひばり」の「愛燦燦」です。泣けますもの・・・・

 今日は少々方向違いに・・・ 

「和銅四年九月十八日」のことです・・・

2021-01-26 12:21:08 | 日記
    “以和銅四年九月十八日、詔臣太万侶、撰録稗田阿礼所誦之勅語旧辞以献上者”
『和銅四年九月十八日、天皇の家臣安万侶に命じて、先の天皇である天武天皇の命令によって稗田阿礼が読み知っていた旧辞を撰録して差し出すようにご命令になられました。」

 この和銅四年は711年です。その時までまだ太安万侶は生きていたのです。宣長の計算によると「六十八歳」だとしています。尚更に、
 「ここには旧辞とのみ云て、帝紀をいはざるは、旧辞にこめて文を省けるなり」また更に、「帝紀おばおきて、旧辞のかぎりと謂うにはあらず。」
 と。

またもや、中国の名君が出てまいります・・

2021-01-25 11:05:18 | 日記
   “文命”と“天乙”

 ですが、よほど中国史に精通してないと分らない名前です。「よれをすらすら」と良くも太安万侶は・・・ち、感心すること仕切りです。
 宣長によってですが、この二人の王は 伝説的な中国の「夏」や「殷」の名高い王様だということ・・・

     ”可謂名高文命、徳冠天乙矣”
    「名は夏ノ禹王よりも高く、徳は陰の湯王よりも冠<マサ>れりといひつべし」

 元明天皇を忖度した褒め言葉を使って紹介しております。この天皇が

     ”於焉惜旧辞之誤忤、正先紀之謬錯”
    「焉(ここ)に旧辞の誤り忤<たが)へるを惜み、先紀の謬(あや)まり錯(まじ)れるを正さんとして」
 
 と、お考えになられ・・・

“連柯并穂之瑞、史不絶書、列烽重譯之貢、府無空月”

2021-01-23 10:37:10 | 日記
 “連柯并穂之瑞、史不絶書、列烽重譯之貢、府無空月”

 これをどう読み、その意味するところはと思いますが宣長先生の言を元に簡単に解釈しますと

 「一本の木に違う木の枝が出たり、違う草の茎にイネの穂が出たりと、日本のあちらこちらから瑞祥の珍事が報告され書物に記され、更に、烽火でしか交信できないような遠い国からや言葉の分からないような国から貢物が一杯届けられ、倉庫が空になることがないくらい都は栄えている。」
 
 具合になるのではと、まあ、くたびれ損ぐらいのつもりで書き綴ってみました・・・・

余りの難解さ故に・・

2021-01-22 10:30:44 | 日記
 余りにも難解過ぎて私の能力を越しており、また、読んでくださる人もあまりいないので、「これ以降は止そうかな?」とおもったのですが、毎日為すこともないぼけ老人ですから、もう少しの間、読み進めてもいいのではと思い直して、続けてまいります。
 さて、そんなことで今日も、また・・・

    “御紫宸而徳被馬蹄之所極、坐玄扈而化照船頭之所逮”

 ですが、奈良の都の時代にです。それも、日本の歴史書にこんな小難しい言葉をどうして使用したのかなと、あまりの難解さに愚痴さえ出そうな文章の続出ですよね!!!!これをどう読み下せば???   先ずはそれから取り掛かります。
 
 「紫宸(ししん)を御して徳は馬蹄の極まる所に被(およ)び、玄扈(げんこ)に坐(いま)して化は船頭(ふながしら)に逮(およ)ぶ所を照らしませり。」 
 これとても、先人の助けを借りて漸くにです。さて、その解釈は、「紫宸」「玄扈」は天皇も御處です。

「天皇のお住まいから発したその徳は馬蹄は行きつく所まで無限に行き広がり、御所に居ながらにして、船が行き着く所にまで、国の隅から隅までに行き渡っている。」

 という意味ぐらいになるのではないでしょうか???これだけではすみません、元明天皇のこのような政治をさらに称えて

    ”日浮重暉、雲散非烟”
 「太陽が常に空に浮かび輝きを重ねて、雲は散り果て、空一杯に瑞雲が満ち溢れています。」
 と。

 「まあ、よくもこれまでに???」と思われるような度々の「太安万侶」のとこまでも続く天皇の治に対する度を越したる超忖度だといっても言い過ぎではないと思いますが????????????????? 
 
 これに比べると例の安倍さんにした役人たちの忖度は多寡が知れていますよね!!!!!