私が書いた穴穂命が作った「今時の鉄の矢じり」に付いてですが、改めて、「鏃」に付いて調べてみました。そこで、大変な誤りをしたことに気がつきました。改めに書きなおしますのでお許しください。
軽王は弟穴穂命と相争うことになり、兵器を作り備えるのですが、兄の方は兵器は銅製の鏃を作り備え、弟は”今時”の鉄製で、最新式の矢じりを作った、と書いたのですが。これが誤りの元になっていたのです。
此の事に付いて、本居宣長は、その古事記伝のなかに
”鏃は凡て神代より鉄以て造ることなるを、今新たに銅以て造れるなり。”
とあります。
しかし、江戸期の鏃の研究はそれが通説だったのではと思いますが、現代の説では、日本に於いては「鏃」の登場する縄文後は石器が主で、弥生の頃から、青銅製と鉄製の矢じりが同時に使われ、主に鉄製は実践用に、青銅製は祭紀用に用いられております。だから、”今新たに銅以て造れるなり”という宣長説も誤りですが、私の説明した最新式の鉄の矢じりをだと書いたもの、また、誤りです。
なお、”今時”について、本居宣長は、「今時普く用いる尋常の矢ということなり」と、説明がしてありますがそれが正しいのです。「今様」ではないのです。念のために。
ここで不思議なのは、どうして木梨之軽王は銅製の矢じりを使ったかということです。鉄製と銅製、どちらが武器力として優劣かというと、言わずもがなです。そんな分かりきったことを、何故、軽太子ともあろうお方が戦術として用いたのかということです。これについては、不思議なのですが、本居宣長も何も書いてはおりません。
なお、この戦いは5世紀の初め頃のこと(古墳時代)です