私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

希有之幸

2016-06-30 12:10:17 | 日記

 その後、天皇は衣通郎媛のお住まいである茅渟宮<チヌノミヤ>に

       “是後希有之幸焉<コノノチ マレニ ミユキシタマフコト アリヌ>”

 とありす。そうすると、果たしてその前にある「希」と「屡」とは数字的に言うとどのくらいになるのでしょうか。天皇は皇后の

      ”百姓之苦、オホムタカラノ クルシミナラム”

の言葉に従って、先の“朕過也“事件の影響もあったのでしょうか、それ以後、常に、堂々と、<屡>、訪ねると言う云う訳にはいかなくぬなり、「希」にしか行かなくなったのですが。

 なお、この「屡」と書かれた「九年」の項を見ると、二月・八月・十月の3回、「茅渧においでになった」と書かれてあるだけです。3回だけでは少なすぎますもの、もっともっと多かったのではないかと思われますがどうでしょうか。

 


"因此、以屢遊獵于日根野”。

2016-06-29 10:57:05 | 日記

       “因此、以屢遊獵于日根野”

 天皇が衣通郎媛のためにお造りになったのが「茅渟宮<チヤユノミヤ>」です。その場所が「日根野』です(泉佐野市日根野)です。だから、それ以後は

      “屡<シバシバ>”

 媛の居るに日野根に狩りをされに通っております。「屡」ですから、どのくらいの回数かは知れませんが足しげく通ったのは間違いありません。それを書紀には

           “九年春二月幸茅渟宮、秋八月幸茅渟、冬十月幸茅渟”

 と、たった三回を記しておりますが、“屡”ですから、もっと沢山尋ねているのではと思われますが????

 その天皇が茅渟宮を訪ねることについて、その頃になると、皇后は思われるのです。

 十年の春、正月に茅渟宮に天皇が幸<ミユ>記された時、皇后は申されます。

           ”妾、如毫毛、非嫉弟姬。然、恐陛下屢幸於茅渟、是百姓之苦歟。”

と。
 「私は、あなたが、妹である衣通郎媛の処に通われることを、もう今では、妬む心は少しも起きません。しかし、そんなに“屡”通われると、あの辺りの百姓が苦しむのではないでしょうか???だから

          “仰願<オフギ ネガワクバ>宜除<ムベ ヤメタマヘ>車駕之數也<ミユキノカズヲ>”

 願わくば、もう少し茅渟宮に行かれる回数を減らしていただけないでしょうか」

 

 

 

 


“皇后聞之且大恨”

2016-06-28 15:31:27 | 日記

 「早く貴方と一緒に過ごしたかった」と、衣通郎媛と共に一夜を過ごした天皇は言われます。その言葉を知った皇后は、天皇を

       “大恨<オホイニ ウラミタマウ>”

 ます。
 その事について、妹の衣通郎媛は思います。姉は、決して、妹であるわたしを怨んだりはしません。寧ろ、恨むの夫である天皇の方だと思ったのです。その辺りが、先に上げた、仁徳天皇の皇后「石之媛」との違いがあるのです。その辺りが血を分けた姉妹です。妹をどうしようこうしようと言う心は生まれません。しかし、その妹である衣通郎媛は姉から大いに恨まれる天皇を愛しく思って、次のように、天皇に言います。

 「私が原因で姉は陛下を大層お恨みしております。その為に、大いに、陛下がお悩みされるておられます。それが私には悲しゅうございます。どうか、私の居場所を、天皇のお住まいの“王宮<オホミヤ>”より遠く離してお造りください。そうすると、幾分かは、姉の、そうです皇后の気持ちは安らかになり。お恨みの心が和らぐでしょうから」

 と。天皇も
    「そうか。それはよいかんがえじゃ。ちと遠いが、では、河内の茅渟<チヌ>に衣通郎媛のために宮室を造ろう。さっそく取り掛かれ」
 と、ご命令されます。そして、

         “衣通郎媛令居<ソトオリノイラツメヲ オラシメ タマフ>”

 のでした。

 


姉妹愛か???

2016-06-27 12:18:46 | 日記

 天皇が衣通郎媛に送った

  “・・・・和我梅豆留古羅<ワガメズル コラ>”

 と歌をお知りになった皇后は、書紀には“大恨<オホイニウラミタマウ>と書かれており、それ以上の事は何も書かれていません。
 「そうなってしまったからには、いまさらどうしようもない」と、思われたのでしょうか、どうしようもない男性一般の行為を、ただ、憎々しく思うだけだったのです。その相手である吾妹に対して、どうこうしようだ何ってなかったのです。やはり我が血を分けた妹ですから、「どうしようもない」と、天皇に対しての怒りだけで、その場が過ぎて行くのです。

 それを知った妹、衣通郎媛ですが、
 「あそうか。お姉さんの怒りもそれだけか。安堵した。やれやれ、これからは毎日ご一緒に暮らせる」
 と思ったのではありません。やはり姉妹です。姉のことが気にならないわけがありません。こうなってしまって姉に対して済まないと言う心が、当然、生まれます。姉妹ですもの。

 そのことが、次の文を読んでいくと、手に取るように分かるのです。その文を

 “常近王宮而<ツネニ オオミヤニ チカツイテ> 昼夜相続欲視陛下之威儀<ヒルヨル アイツイデ キミノ ミヨソオヒヲ ミマクホリス>”

 とあります。「貴方のお側にいて、昼夜別なく、いつも、あなたの堂々と活躍されているお姿を見とうございます。」ぐらいの意味です。もう、一夜寝ただけで、天皇を慕う心に変っているのです。まだ2月で冬の真っ只中ですが、心はもう秋の空に変っているのですね。

 おっと失敬。違ったかな???????


“波椰区波梅涅孺<ハヤクハメデズ>”

2016-06-25 11:32:40 | 日記

 一夜、衣通郎媛と過ごされた天皇は、その素晴らしさを歌に詠まれます。

    “花細(ぐはし)し 桜のめで ことめでは 早くはめでず 我がめずる子ら”

 「花細し」は桜の枕詞です。桜の花を見るように、同じように早くから愛すべきだった。惜しい事をした 我が愛する人よ。

 「こんなに素晴らしい、貴方と一緒に過ごせる夜の何って素晴らしいことでしょう。もっと前から、あなたと一緒に過ごしかったよ、わが恋する人よ」と、歌にしたのです。こんな歌のやり取りがあったと言うことを、皇后は、誰からか分からないのですが、直ぐに、耳においれになられます。天皇は、この衣通郎媛との情事が、皇后の耳に入ったらならば、どのような結果を招くかということは、十二分にご承知のはずです。内密に事を進めたことだろうとは思われますが、でも、それを皇后は、直ぐに、お知りになられます。

 どうして知ったのでしょうかね????是も私の推理ですが、皇后は、昨年の12月の「朕過也」事件後に、誰か内密の探偵人を衣通郎媛の近辺に置いて、その行動について、逐一、観察させ、報告をさせていたのではないでしょうか。でなっかたな、こんない早く、二人の様子が分かるはずがありません。

 さてと。二人の関係をお聞きして知った皇后は、この後、どうなさいましたでしょうか???まさ、自殺をしたのではないでしょうね???