私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

古事記序(8)歴史って何????壬申の乱から

2020-11-30 09:52:18 | 日記
 古事記序には、続いて、
    〝然天時未臻。蝉蛻於南山。人事共洽。虎歩於東国。皇興忽駕凌渡山川。六師雷震。三軍電逝。杖矛挙威。猛士烟起。絳旗躍兵。凶徒瓦解。”
 と。
 近江の大津宮にいた「天武」は夢のお告げで、次の天皇になると知らされますが、天皇が未だ存命だったものですから、「天時未臻」時は未だ至らずと吉野に逃れます。それが「蝉蛻於南山。」です。しかし、翌年、天智天皇が亡くなられると、自分の身が危うくなるのではと、軍を興して伊勢の国で戦闘準備に入ります。周りから多くの援軍が天武の軍に加わり、一面に天武の軍の象徴たるの旗が翻り、敵軍は一機に屋根の瓦のように崩れ散ります。
 敵軍とは天智の皇子「大友皇子」の軍です。天武の甥の軍ですが、その軍勢を「太安万侶」は、こともあろうか「凶徒」と書き表しています。あまりにも、見方が偏りすぎているのではないかとも思い
     「ひどい。何故ですか??」
 と、いつも安万侶に尋ねたい様な心持にすらなるのですが、どうでしょうかね。忖度も何もあったものではないようにともと・・・
 これが「壬申の乱」です。
 今までは、私は、この乱も歴史上に見られる普通の継承争いの一つだと軽く考えていたのですが、もう一度、この壬申の乱を読み直す必要があるようにも思えます。この中にあの大津皇子の名も出てきますので余計にです。歴史って何でしょうかねといつも・・・・・・

古事記序(7)  潜龍・洊雷とは・・・

2020-11-29 10:07:03 | 日記
 古事記には書なれてない「天武天皇」の即位までを、安万侶は「古事記序」ではこのように書いています。
  〝曁飛鳥清原大宮。御大八洲天皇御世。潜龍体元。洊雷応期。
   聞夢歌而想纂業。投夜水而知承基”
 「潜龍」の龍とは天武天皇のことです、飛鳥の清原に大宮を定められた天武は、一時、吉野にお隠れになっていたのですが、時が到来して、ある夜聞いた夢の中の歌の通りに自分が天皇の位に着くということを知ります。なお、「投夜水」とは占いをするという意味だそうです。



古事記序(7) 忖度は大昔から・・・・

2020-11-28 09:52:51 | 日記
 安万侶の序はまだまだ続きます。これ以上どうでもと思うのですが・・・たまたまですが思いついて書きだしたのですから、最後まで書き続けたいと思います。その前に、ちょこっと、これまたいつもの通り
     「どうでもええんですが・・・」と
 
 考えてみますと、古事記は「推古天皇」で終わっているのですが、「序」には「天武」や「元明」まで、古事記が出来上がる過程に係わった天皇についても書かれております。当たり前だとも思われますが、その書きぶりはこの二人の天皇への「忖度」から始まっております。古事記成立時の天皇「元明天皇」についての説明ですが、次のように書いています。
 「天地人の三つの徳に通じ、その光は宇宙の隅々までに行き渡り・・・」
 と臆面もなくよくこんなことがと思えるような褒め言葉が続いています。
 私が学校時代に習ったのは、確か「元明」という字は奈良時代の中で目にしたことがあるが、この天皇が何をしたかまでは記憶には残っていないのです。その天皇を安万侶はこのように最大の褒め言葉を使って書いています。忖度そのものですよね。まあこの辺りが、組織人として生きる人の古代から累々として現代まで、いや未来までも続く、人間という動物の共通して持っている特性だと改めて思い、「前川が」とという言葉が、今年、国会あたりで、盛んに飛び交ったのですが、それもよく考えてみると、今の時代でなくても、大昔から常に起きている日常茶飯事の出来事で、特に、驚くに値しないようなことで、政治が混乱しなくてもいいようなことではなかったかとも思うのですが???

古事記伝序(6)   「莫不・・・・於欲絶」とは???

2020-11-27 10:04:08 | 日記
 続いて古事記伝序には
  
 〝即覚夢而敬神祇。所以称賢后。望烟而撫黎元。於今伝聖帝。定境開邦。于近淡海。正姓撰氏。勒于遠飛鳥”

 「賢后」ですから、神功皇后のことかと思ったのですが、宣長は『「后」は「君」なり』と書いておりますから、女性ではないのです。これは崇神天皇のことです。聖帝とは、家々から立ち上る煙を見て税を安くした仁徳天皇のことです、更に、成務天皇の時代には近江の国で、境を決めて国々を定められ、また、允恭天皇の時代には飛鳥に宮を建て、氏と姓を制定されます。
 それを、それまでと同様に、このようにごく簡単に、歴代の天皇の中で、特記すべき特色のある仕事を為した天皇だけを、特に、挙げて説明しています

 そして、これらを通して日本の有史以来の天皇の歴史を次のようにまとめて、例の通り短い文章で言い表しております。

 〝雖歩驟各異。文質不同。莫不稽古以縄風猷於既頽。照今以補典教於欲絶”

 とです。これを
「このように政治のやり方は緩い時も速やかなる時もあるが、それぞれにその方法は、決して、同じではないのですが、古のことを考えて、風教道徳の廃れる所を正して、今の時代を明らかにして、道徳の廃れたのを補って復興する以外にはなかったのでした。」
 と訳してみたのですがどうでしょうかね???「莫不・・・・於欲絶」をいかに読むべきでしょうか???

古事記伝(5)

2020-11-26 10:23:42 | 日記
     ”化熊出爪。天劔獲於高倉。生尾遮径。大鳥導於吉野”

 ジンムが大和に入られる時の過程をこれだけで表現しております。
 「ジンム達の一行はナガスネビコなどの敵に遭遇して、南へ下り熊野に到ります。ここでも激しい敵に逢い、その毒気にあってジンム達は正気を失い寝込んでしまいます。そこにタカクラジが天から授かった剣を持ってジンムたちを救います。そこに天から八咫烏が舞い降りてきてジンムたちを誘導して進み、途中、尾の生えた人が径を遮りもしましたが、どうにか吉野まで辿り着くことができるのです。]


    〝列儛攘賊。聞歌伏仇”

「その吉野までの途中でも、ジンム達は穴に住む勇猛な土雲一族を宴会を開いて歌を合図に滅ぼしたり、また、先に兄イツセノ命の命を奪ったナガスネヒコを退治してジンムが歓びの歌を謡ったりしながら橿原の宮に到着されます。

 長い長いジンムの高千穂から出発して橿原宮に到るまでの旅の模様をこれだけの短い文で書き表しています。