古事記序には、続いて、
〝然天時未臻。蝉蛻於南山。人事共洽。虎歩於東国。皇興忽駕凌渡山川。六師雷震。三軍電逝。杖矛挙威。猛士烟起。絳旗躍兵。凶徒瓦解。”
と。
近江の大津宮にいた「天武」は夢のお告げで、次の天皇になると知らされますが、天皇が未だ存命だったものですから、「天時未臻」時は未だ至らずと吉野に逃れます。それが「蝉蛻於南山。」です。しかし、翌年、天智天皇が亡くなられると、自分の身が危うくなるのではと、軍を興して伊勢の国で戦闘準備に入ります。周りから多くの援軍が天武の軍に加わり、一面に天武の軍の象徴たるの旗が翻り、敵軍は一機に屋根の瓦のように崩れ散ります。
敵軍とは天智の皇子「大友皇子」の軍です。天武の甥の軍ですが、その軍勢を「太安万侶」は、こともあろうか「凶徒」と書き表しています。あまりにも、見方が偏りすぎているのではないかとも思い
「ひどい。何故ですか??」
と、いつも安万侶に尋ねたい様な心持にすらなるのですが、どうでしょうかね。忖度も何もあったものではないようにともと・・・
これが「壬申の乱」です。
今までは、私は、この乱も歴史上に見られる普通の継承争いの一つだと軽く考えていたのですが、もう一度、この壬申の乱を読み直す必要があるようにも思えます。この中にあの大津皇子の名も出てきますので余計にです。歴史って何でしょうかねといつも・・・・・・
〝然天時未臻。蝉蛻於南山。人事共洽。虎歩於東国。皇興忽駕凌渡山川。六師雷震。三軍電逝。杖矛挙威。猛士烟起。絳旗躍兵。凶徒瓦解。”
と。
近江の大津宮にいた「天武」は夢のお告げで、次の天皇になると知らされますが、天皇が未だ存命だったものですから、「天時未臻」時は未だ至らずと吉野に逃れます。それが「蝉蛻於南山。」です。しかし、翌年、天智天皇が亡くなられると、自分の身が危うくなるのではと、軍を興して伊勢の国で戦闘準備に入ります。周りから多くの援軍が天武の軍に加わり、一面に天武の軍の象徴たるの旗が翻り、敵軍は一機に屋根の瓦のように崩れ散ります。
敵軍とは天智の皇子「大友皇子」の軍です。天武の甥の軍ですが、その軍勢を「太安万侶」は、こともあろうか「凶徒」と書き表しています。あまりにも、見方が偏りすぎているのではないかとも思い
「ひどい。何故ですか??」
と、いつも安万侶に尋ねたい様な心持にすらなるのですが、どうでしょうかね。忖度も何もあったものではないようにともと・・・
これが「壬申の乱」です。
今までは、私は、この乱も歴史上に見られる普通の継承争いの一つだと軽く考えていたのですが、もう一度、この壬申の乱を読み直す必要があるようにも思えます。この中にあの大津皇子の名も出てきますので余計にです。歴史って何でしょうかねといつも・・・・・・