私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

怒る団右衛門

2016-07-31 11:02:56 | 日記

 松田左衛門に屈辱された団右衛門は激怒して、その場にすくっとたち上がり言います。

 「それがしの素姓は、貴殿の言うように船頭じゃ。お好みに侯へば船歌一番歌て聞せ申そう。」

 と言うが速いか、側にあった槍を取り上げ、更に、言います。

 「船上のまねごとであるので、貴殿に願いがござる。仰向けになっていただきとうござる。その腹を船に見立てて、この槍を櫂として、その上で舟歌を歌ってしんぜる。」

 と。それを聞くなり左衛門は、かっとばかりに目を見開き、怒りをあらわにして

 「我、腹上にて歌を歌うだと。歌えるもんなら歌ってみろ」

 刀を取持ち、仁王立ちに立ちあがります。それを見ていた側にいた鳥越や林等の毛利軍の将兵達がこれを宥め。団右衛門を、別の部屋に連れて行き、その場は一応収まるのです。でも、団右衛門は、今、受けた左衛門からの屈辱を忘られず、大層恨んでいたのです。

 「きっといつかは」と心に誓うのです。

 


冠山城の落城後は

2016-07-30 09:38:55 | 日記

 華々しい清正と竹井將監との一騎打ち等の戦いの後、さしもの冠山城も、たやすく落城してしまいます。清正はその戦況報告のため、毛利軍を寝返った黒崎団衛門を連れて、太閤の前に出てその戦いについて報告します。

 話が前後しますが。この黒崎団右衛門について少々。
 この人は、元々藝州吉田の出身者です。妹と弟の3人姉妹だったのですが、その妹が毛利家に宮仕えし、大変な美人だったため毛利輝元の眼にとまり寵を受けます、その為に兄である団衛門も足軽頭までに取り立てられ出世しており、そして、この時の秀吉軍と戦うべく冠山城に毛利軍の一人として立て籠っていたのです。

 その前夜です。明日にも、秀吉の大軍が、この城にも押し寄せるだろう事を予想して、城将林三郎左衛門など総ての兵士が集まって、明日からの戦勝祈念のための酒宴を開きました。夫々の兵士は、夫々に謡を歌い舞いを舞います。しかし、団右衛門は足軽頭ですが、出が土民ですから、歌は、勿論、踊りも出来ず、その上、打つ手拍子すらはずれてみんなと揃わず、何て無粋の輩だろうかと疎んじられていたのです。
 中でも、城の大将格の一人、松田左衛門は、日頃から、これと云った戦功もなく、ただ妹のために足軽頭までに出世したこの団右衛門を少なからず憎々しく思っていたのです。また、その時は少々酩酊していたと言うこともあって、
 
 「やいやい、そこの団衛門とやら。貴様、先程から酒ばかり飲みやがって、何にも云わんで、手拍子だって間抜けで調子ぱずれじゃあねえか。聞いた所じゃあ。貴様は船頭上がりと云うじゃあねえか。ほんなら、舟歌ぐれは歌えるじゃろうが。どうじゃ。肴に一声歌わんか」
  
 と、さも小馬鹿にしたように、みんなに聞えよがしに、大声を張り上げます。事がそれだけだったらすんなりと終わる所でしたが。団右衛門も足軽頭です。すくっと、その場に立ち上がります。


冠山城の戦い

2016-07-29 09:19:27 | 日記

 一端宮路山城まで退却した秀吉の軍勢は、その夜、冠山城からもくもくと黒煙が頻りに雲中に立ち上るのを見つけます。

 それを見た加藤清正は
 「すは城中に異心ある者ありて、火をかけて味方を呼ぶぞ。進め進め」
 と、再び、冠山城をめがけて鬨の声を上げ、先頭に立って攻め込みます。門前に至ると、昼間、あれほど頑なに、難攻の城門を閉ざしていた扉が、何の抵抗も無く、するすると、内から開くのです。そして一人の兵が、「降参。降参」と走り寄ってきます。そこへ、大声で、
    「己れ小癪な。裏切りやったな。黒崎団衛門めが」
 と、口々に叫びながら五,六十騎の城兵が押し掛けて来ます。その先頭にいた武者が武井將監です。
 その時、清正は、懐に入った窮鳥とばかりに
     「降参の者を撃たすな」
 と、敵軍の前に立ちはだかります。それを見た、追い掛けてきた城兵が、一度に、清正に挑みかかろうとのしますが、その時、將監が前に進み出て、大勢の城兵に言います。

 「待て!!!敵将一人に大勢の者で立ち向かうとは卑怯なり。私が一対一で戦うから、みんなは手を引け」

 と。そして、将監と清正の一騎討の戦いになります。二人とも力は互角です。でも、暫らく戦いは続いたのですが、結局は、清正の薙刀に勝利の女神がほほ笑みます。最後に馬上から投げ出された將監は

 「汝と正々堂々と討うことが出来、幸せであった。礼を云うぞ。」

 と、刀を腹に、武士として見事な最期を迎えるのでした。それからも、この城では各所で両軍相入り交じり、戦いが続きますが、多勢なる秀吉軍は、この後、この城にあった火薬小屋に忍者が火を放ち、大爆発し、頑丈で不落だと言われていたさしもの冠山城も、遂に、落城します。
 なお、「清正」ですが、この時は、まだ、「加藤虎之介」と名乗っていたのですのでが。

 こんな話って聞いたことがありますが???これも秀吉の高松での、水攻めでない戦いの一つでもあったのです。


また、ちょいと横道へ

2016-07-28 10:11:55 | 日記

 メロンと云うことで「足守」を紹介しましたが、此の足守に築城(山城)していた毛利方の城に、高松城の水攻めの前にも秀吉軍は攻撃を仕掛けております。この城を攻撃したのがあの加藤清正(虎之助)です。そんな話は、余り、この地方でも、語られてはいないのですが、残っておりますので、それを「足守のメロン」を紹介したついでに、是非、お知らせしたいと思います。

 この城は、当時、毛利軍の支配地である備中に設置していた七つの城がありました。その一つが高松城です。其の七つを地図で紹介します。

 地図の上から二番目の城「冠山の戦」です。岡山に到着してから秀吉軍は、まず、一番備えの貧弱な宮地山城を攻めます。この時、この城を守っていたのは数百名の兵士でしたので、秀吉軍に破れます。次に向かったのが「冠山城」です。此れも簡単に敗北するだろうと思って攻撃を仕掛けたのですが、二千騎余りの軍勢が籠城していたのです。訳なくと思っていたのですが、地理に疎い秀吉軍は攻めあぐねます。戦略を整えるために、いったん軍勢を、その時の將「加藤清正」は、一端、城を取り囲んでいた兵を後方へ引きます。この軍が後方に引き上げている時に、意味は分からなかったのですが、冠山城がら、煙が立ち上り、激しい爆発音が起こります。

 この冠山城がある場所が「足守」です。そのお話も、例によって、はゆっくりとしますので、よろしかったら、お付き合いください

     


メロン派です

2016-07-27 11:16:53 | 日記

 「私の町吉備津」の隣町に、昔の余情を存分に残した、緒方洪庵や木下利玄の出身地である「木下家の城下町足守」がありますが、この町の特産品が「メロン」です。だから、よけいに「スイカ」より「メロン」に心が引かれます。但し、それらを口にすると、どちらも同じようにおいしいのですが。でも、「どちらかを選べ」となると、やはりメロンに手を上げたいのが人情と云うものではないのではないでしょうか???