私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

ちょっとまた、へんてこりんなことを???

2020-02-29 09:38:29 | 日記
 難波津で、日向から来た顔容美麗<カオヨシ>髪長日売を見た大雀命のことを

                   “太子<ヒツギノミコ>”

 と書いてあります。即ち、次の天皇になられるお方であるということです。ところが、先に応神天皇は

           “宇遅能和紀郎子所知天津日継也”
          <ウジノワキイラツコハ アマツヒツギ シラセト ノリワケタマヒキ>

 「ワキノイラツコが天津日継(天皇)となって天下を治めなさいと言われた。」のです。すると、ここにある大雀命を「太子<ヒツギノミコ>」としたのは間違いではないだろうかと思うのですが・・・・これについて宣長は、
 「上古には、ヒツギノミコは一人と限られてはいなかった。従って、大雀命もヒツギノミコだったのだ。」
とあります。でも、他の学者によると
 「後世の人が、元来は『御子』と書かれているのを誤って『太子』と写し誤ったのでは??」
 と主張する人もいるようですが、私は「写し間違った説」に賛同したいのですがどうでしょうかね???

誂告

2020-02-28 09:56:19 | 日記
 “誂告”と書いてあります。これを<アトラヘタマワク>と読むのだそうです。即ち、難波の港に着いた日向国の髪長比売があまりにも美しかったので大雀命<オホサザキノミコト>は
 「この女性をどうしても自分の妃に・・」
 と思われ、その思いを建内宿祢に相談します。それを「誂告」と書き表しているのです。
 宿祢は、早速、天皇のもとに出向いて
 「どうでしょうか。太子<ヒツギ>の御子が、今度、日向国より召された髪長比売をご自分の妃にとお考えになっておられますが??そのようにさせてあげてはいかがなものでしょうか」
 とお尋ねになられたのです。、天皇は

         “天皇即以髪長比売る賜于其御子”

 「天皇は髪長比売を御子に賜った。」と、古事記には、いとも、簡単な記述で終わっています。
 これからも分るように、天皇も、それほど、この度日向の国から来た髪長比売に関心がなく、新しく「采女」としてやって来た一人の地方の娘ぐらいにしか思っていなくて、簡単に息子に与えることに同意したのだろうと考えられるのですが???

ところがです・・・・・

2020-02-26 11:05:39 | 日記
応神天皇は日向国に住む女性
            “髪長比売”
 が「大変綺麗だ」という評判をお聞きになって、この女性を“喚上<メサゲ>”たまう(召し使おう思われて都へお呼びになりました。)
 ところがです。その女性が難波津に来た時、たまたま、そこにいたのでしょう

            “大雀命<オホサザキノミコト>"

がそのあまりにも美しさを見て、一目ぼれです。どうにか彼女を自分の妃にできないものだろうかとお考えになり、建内宿禰に相談します。

  さてさて、その結末はいかに???

応神天皇の時代の日本の政治体制が・・・・・・・・・

2020-02-25 10:13:05 | 日記
 応神天皇の御子は全部で二十六柱でした。従ってその妃も高木之入日売のほか十一人の名が古事記には記されております。
 その中で「宇遅能和気郎子」の母「矢河枝比売る」は古事記に記られている妃から言えば第5番目の妃なのですが、その御子が

             “天津日継<アマツヒツギ>”

 に指定されたのです。よほど矢河枝比売が気に入っていたのでしょう。歌を歌ってまでして妃にした女性だったからでしょうか。
 それぐらい気に入っていた女性だったのですが、この応神天皇は、それでも又も、次なる女性を妃に迎え入れております。今度は遠い日向国の女性“髪長比売<カミナガヒメ>”をです。この人もまた

             “其顔容麗美<カオヨシ>”

 とかいてあります。
 この史実から推定できることは、この時はまだ倭の国は、天皇の独裁的な中央集権の時代ではなく、地方の豪族たちとの連合体制による政治が行われていたということ如実に表しているのではないでしょうか。各地の首長との結び付きを強固にするための対策として婚姻政策がとられていたのです。ということは、采女の制度が、既に此の時代から政治体制の中に組み込まれていたのです。

ジンムが詠った求愛の歌

2020-02-21 10:59:17 | 日記
     この蟹や いずくの蟹 
     ものずたう 角鹿の蟹
     横去らう いずくに至る
     いちぢ島 美島にとき(速来)
     ミホドリ(鳰鳥)の 潜<カ>づき息づき
     しなだゆう 楽浪<ササナミ>道を
     すくすくと 我がいませばや
     小幡の道に 逢はし乙女
     後手は 小楯ろかも
     歯並は 椎菱なす
     檪井<イチヒイ>の
     丸邇坂<ワニサ>の土<ニ>を
     端土<ハツニ>は 膚赤らけみ
     底土<シハニ>は に黒きゆえ
     三栗<ミツグリ>の その中つ土<ハ>を
     頭<カブ>衝く 真火には当てず
     眉<マヨ>画き濃に 画き垂れ 
     逢<ア>はしし乙女<オミナ>
     斯もがと 我が見し子ら
     斯くもがと 我が見し子に
     宇多気陀邇<ウタダケニ> 
     向かい居るかも い副ひ居るかも

 です。

 どうです!!!!
 「こんな美しい乙女にやっと会うことができた。今、私の目の前に居り、このようにお酌をしてくれている乙女よ。」
 と詠ったのです。

 さ!、もう一度,声に出して読んでみてください。全体を通して、流暢なる何か川の流れのような優しい響きが相手の人に深く伝わる歌です。うっとりと、聞く人をして感動のるつぼに吸い込めてしまうような歌ではないでしょうか。