私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

もう一つの吉備津の5月

2019-04-30 09:18:17 | 日記
 昨日は令和を迎える吉備津神社の鳥居をご紹介したのですが、今日はもう一つの夏を告げる吉備津の妖婉なる美をご紹介します。

            

            

            

            

            

  29,30日に吉備津神社でボタン祭りが行われています。大型連休の必見の場所でもあるのです。

           是非、どうぞ御足を・・・・

私の町吉備津の知られざる名所を・・・

2019-04-29 11:25:35 | 日記
 今日もまた例の如く、横道へ!!!      私の町吉備津の知られざる名所をご紹介します。

 先ずは写真を・・・

                  

                  

                  

                  

  此の堂々たる鳥居は吉備津神社の参道に設置されている平成天皇のご降誕を記念して立てられた、多分、日本国内にはそんなに沢山あるものではないと思われます石造の鳥居です。その柱に刻まれているの

           “天壌無窮”

 と云う字の素晴らしさに、いつも、心が洗われる思いで私は見ております。

 明日で平成も最期です。此の字を、是非にも、新しい令和の時代の幕開けにご覧ください。
  
    何をあなたの心に刻みつけるでしょうか。

 鳥居と松と吉備の中山と五月空の調和した令姿を通して・・・・これぞ新しい「令和」の世界を代表する景色です。

  どうぞ存分にあなたの瞳でご覧ください!!!!!!!!             

又古事記へ・・・

2019-04-28 09:31:47 | 日記
 神倭伊波禮毘古命は高千穂ノ宮から

       “坐何地者平聞看天下之政”
 <イズレノトコロニ マサバカ アメノシタノマツリゴトヲバ 
                          タヒラケク キコシメサム>

  と兄“五瀬宮<イツセノミヤ>”と相談して、東を目指して出発し、
 
 「・豊国宇沙⇒・竺紫<ツクシ>之岡田宮(一年)⇒・阿岐国之多祁理宮<アギノクニ    タケリノミヤ>(七年)⇒・吉備之高島宮(八年)」

 に至ります。
 「阿岐国<アギノクニ>」ですが、これは「安藝国」です。
 なお、夫々の地にいた期間について、日本書紀には

 「高千穂を出発した時は“太歳甲寅<ホシキノエトラ>”としてあります。神武天皇即位前七年だそうです。そして、その年の十月五日に宇沙に、そこから今度は北へ進み、その年の十一月八日に筑紫の国の崗の水門<オカノミナト>に、その年の十二月二十七日に安藝国埃宮<エノミヤ>にお着きになられます。」

 と書かれてあります。
 すると、筑紫の崗水門に滞在した期間を古事記には「一年」と書かれたありますが、書紀によると、たった四十日間しか滞在していなかったように書かれておりますが、どちらが正しいのでしょうかね???



  

三種の神器の由来を 再度・・・

2019-04-27 09:15:39 | 日記
 書かなくてもいいのですが、私の記録の再整理のために、いわずもがなですが、この「三種の神器」に付いての由来を見てみます。
 まず、「八尺勾璁鏡」ですが、この二つの神宝は、思金命たちが、アマテラスを例の「天の岩屋戸」から出ていただく為のお祭に使うために、
 「天の金山の鉄<マガネ>を取り出して、イシコリドメドメノミコトに鏡を、タマノヤノミコトに八尺勾瓊を」
 造らせたものです。
 また、「草那藝劔」ですが、あの須佐之男命があの八俣遠呂智<ヤマタノオロチ>の尾から取り出してアマテラスに奉った大刀です。

 なお、「鏡」ですが、古事記には「八尺鏡」とあり、これを「八阿多<ヤアタノカガミ>」と読ましております。
 この鏡はアマテラスがその御孫

 “邇邇藝命将天降之時<ニニギノミコト アモリマアムト スルトキ>”

 に

  “此之鏡者。専為我御魂而。如拝吾前伊都奉”
  
  <コレノカガミハ モハラ アガミタマトシテ 
          アガミマヘテ イツクガゴト イツキマツリタマヘ>。

 と云われて、直接、手渡された「鏡」です。 
  

三種の神器③

2019-04-26 09:08:40 | 日記
 天皇の侍従が持つ箱二つについてですが、この中には「大宝令」に記されているように

        “忌部上神璽之鏡剱”

 だと思われます。
 これをそのまま読むと
 「忌部が天皇の御印としての鏡と剱を奉る」
 ということで、そこには「勾玉を奉る」とはしてないのではと私は読んでおります。どうでしょうか???
 また、古語拾遺にも

    “即以八咫鏡及草薙剱二種神寳授賜皇孫永為天璽。矛玉自従”

 とあります。鏡と劔を皇孫に持たして、矛や玉はそれほど大切な神寶物ではなく、何となく付け足す位のものであるということを意味していると思われます。
 だから、今回の平成天皇の伊勢神宮参拝時の侍従の持っている二つの箱には

       “八咫鏡と草薙剱”

 が入っていたのではと思われますが、どうでしょうか??????