私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

 “伏惟皇帝陛下、得一光-宅、通三帝-育”

2021-01-21 10:04:51 | 日記
  " “伏惟皇帝陛下、得一光宅、通三帝育”

 如何に読むのでしょうか、又、その意味するところは何か、これもさっぱり雲を掴むような言葉です。
宣長によると、
  「得一光宅」とは、老子にある「王侯は一を得て以って天下の貞と為る」から取られた言葉で、「光宅」とはて天下を家とする、即ち、帝位について徳を天下に広められ、「三に通じる」宇宙も根源である天地人の徳を身に付けられ、民を化育されて、世の中が大変安定して平和になった、という意味だと説明しています。

 これも、又、先の天皇である天武と同様に、時の天皇である元明天皇に対する忖度した文ですが、この文を宣長は、

 “これより又例の漢語<カラコトバ>どもを多く引出て賛申せり”

 と、少々大げさに、太安万侶のこの言葉に対して、やや批判的に、そこまで、わざわざ中国の言葉を持ってきて言及しないのでもいいのではないかと、と書き足しております。

 この言葉を素直に読まれて、皆さんはどう思われますか???ご意見があればとも・・・・

次の文も、亦、読むには読めますが・・・・

2021-01-19 10:01:05 | 日記
 “然運移世異、未行其事矣”
 <シアレドモ ヨハ ウツリハコビテコトニシテ イマダ ソノコトハ オコナヒ タマハザリキ>

 天武天皇はご逝去され、天皇の申された「既違正実、多加虚偽」の帝紀及本辞は、未だ、未完成のままで終わって、ただ、その正しい歴史は「稗田阿礼」の口に残るだけになってしまっていました。

 「やれやれこれで・・・」と、思った途端です。次に続く文字を見ます。どうでしょうか???皆さんはどうお読みになられますか。

  “伏惟皇帝陛下、得一光-宅、通三帝-育”

 「惟」、「これ」「ただ」としか読み方はないと思ていたのですが、辞書に依ると「おもう」とも読むのだそうです。これも目から鱗です。この文の解釈には宣長先生無くしては、私には、決して、読み解くこと能わずです。
 「伏惟」を、<フシテオモフニ>と読んでいますす、辞書には<オモンミル><フシテ>とあります。

 その次の「皇帝陛下」とは???これからも何やら込み入ってきそうで、何が何やらラなくなりそうです。これだけで1時間は経過しています。これ以上は私の心では読むこと能わずです。 また、続きは明日にでも・・・・

「度目誦口、払耳勅心」なる稗田阿礼は・・・・・・

2021-01-18 10:42:17 | 日記
 ここに来て、初めて“稗田阿礼”の名前が出てきますが、。此の人物の特色を。

     “時有舎人、姓稗田名阿礼。年是廿-八、為人聡明<ヒトトナリ ソウメイニシテ>、度目誦口、払耳勅心”

 と書き表しております。奈良期の最高の博学者だったのでしょうか。彼の人となりについて更に」
   ・「度目誦口<メニワタレバ クチニヨミ>」・・・彼が一度目にした書いたものは総て記憶して諳んじることが出きる。
   ・「払耳勅心<ミミニフルレバ ココロニシルス>」・・一度聞いたことは、決して、忘れることない。
 と。この二十八歳の青年「稗田阿礼」に天皇は “即勅語阿礼” して「帝紀日継、及先代旧辞”」を、”令誦習”。  
  
 この「令誦習<ヨミナラワシム>」について、一般には、
 ただ単に「帝紀の日継や先代の旧辞」を読んで、それを稗田阿礼に覚えさせるだけはなく、「習わした」としてありますが、宣長は
「抑直に書には撰録しめずして、先ずかく人の口に移して、つらつら誦み習はしめ賜うは、語(ことば)を重みしたまふ故なり。」
 と古事記伝で説明しております。

“王化之鴻基焉”

2021-01-16 09:58:00 | 日記
 又、小難しい漢語が並んでいます。

 “斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉、故惟撰録帝紀、討覈旧辞、削偽定実、欲流後葉”

 です。何と小難しい漢字が、こうも、次から次へと並ぶもんだと、驚くやら感心するやらです。まず、「経緯」「鴻基」「討覈」「後葉」とは何ぞや???です。そこで、又、また、マタ・・・宣長です。
 なず、経緯ですが、「織<ハタ>の経緯<タテヌの糸にたとえた。」、鴻は「大なり」、討覈<トウカク>は、「深く実を尋ねて考へ究めること」、後葉は、「後世」なり」と。

 要するに、太古の昔から日本に伝わっている「帝紀」や「旧辞」に書かれていることが真実であるかどうかを調べ、偽りの部分を削って、後世に伝えようとお考えになられた。最後にある「欲流後葉」を
      <コウヨウニ ツタエントホッス ト ノタマフ>
 と読んでいます。

聡明なる天皇は・・・・

2021-01-15 10:34:16 | 日記
  “当今之時、不改其失、未経幾年、其旨欲滅”
 と。
 ここに記されている太安万侶の十二字は、この「古事記序」の中で、唯一、辞書も何もいらないで読める数少ない部分で、天武天皇の日本の正しい歴史を後世に伝えようとするその深慮なる思いが伝わってくる場面です。

 この言葉に対して本居宣長は、その解説として次のように書き表しております。

 「然るに後の世人の学問は、正実の処をばなほざりにして、ただ漢<カラ>めきたる虚偽の文をのみ重くすめるはいかにぞや。」

 と、当時の日本に於ける古事記の研究の在り方に苦言を呈いています。