私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「古事記の買い方に誤りが」と

2017-03-31 09:13:11 | 日記

 昨日の「奴那登母母由良爾<ヌナトモモユラニ>」について、古事記伝の中で、本居宣長は次のような説明をしております。

 『書紀にも「瓊響瑲々」と書かれているが、アマテラスが「玉の音を響かせた」と言うのは、どうも此の事には大いに疑わしき所がある。
 「スサノヲ」が「マテラス」の髪に飾ってある「美須麻流珠」を借りて天之真名井に滌<スス>がれるのですが、その時は、その珠がお互いに触れ合って美しい音が出たのは確かですが、アマテラスは弟の剣を三つに折って滌ぐのですから、その剣には珠が付いているはずもなく、音が出るのはおかしいことである。だから、アマテラスが弟の持つ「十拳剣」を滌ぐ時に出たと書いているのは

                                  “誤りだ”』

 と、断じております。更に、書紀には、「スワノヲ」が滌がれる時だけ、「珠の触れあう音がした」と書かれていると説明があります。
 なお、蛇足ですが「古事記」には

              ”奴那登母母由良爾振滌天之真名井而佐賀美爾迦美而於吹棄気吹之狭霧”
 
 と、全く同じ文字を使って、姉弟の神に誓う場面(宇気比)を説明しております。


「奴那登母母由良爾」

2017-03-30 12:49:12 | 日記

 「奴那登母母由良爾<ヌナトモモユラニ>」とは何を云っているのでしょうか???姉弟二人が神に「宇気比<ウケヒ>」をしてもらう時、先ずアマテラスから、次にスサノヲですが、姉は弟の「十拳剣」を、弟は姉の「八尺勾璁<ヤサカノマガタマ>を貰いうけて、二人とも「奴那登母母由良爾」をしながらとあります。この「奴那登<ヌナト>」ですが、辞書によりますと、奴<ヌ>は玉で、那<ナ>は「の」で、登<ト>は音という意味があるのだそうです。「奴那登母母由良爾」は「きれいな玉の音がしている間に」という意味なのであそうです。

 でも、「ちょいと待った」という感じがしないでもありません。というのは、アマテラスが受けたスサノヲの剣にはそんな音が出るような玉が付いていたとは思えません。古墳等から出る刀に美しい玉が付いているようなものは、今までっ見たことがありませんからです。

 そこら辺を、福永武彦はアマテラスの腕に予め玉が付いている服を着ていたからなったのだと書いてありますが、アマテラスとスサノヲは古事記には全く同じ行動をしています。「アマテラス」は、その時、戦闘体制を敷いていたのですから、服に玉飾りを付けている何でおかしいですよね。・・・・あの本居宣長はそこら辺りに付いてどのような説明がしてあるのでしょうか。それはまた明日にでも


姉弟の天安河での「宇気比<ウケヒ>」

2017-03-29 09:28:20 | 日記

 さて、スサノヲが誓った「清明」」で、高天原に、再び、平和が訪れたのではありません。次なる事件の始まりなのです。それが「天石屋<アメノイワヤ>」事件に発展していきます。そこら辺りをもう少し詳しく見て行きたいと思います。

 さて、スサノヲは己の「清明」を証明するために、「天安河<アマノヤスノカは>」で、姉と弟は、神に祈り善悪を判断してもらう「宇気比<ウケヒ>」をします。
 まず、アマテラスは、弟の持っていた「十拳剣<トツカツルギ>」を貰い受けて。三つに折り、それらが美しい響きを立てている間に、「天之真名井<アメノマナヒ>」に浸して口に噛み、そっと息を吹きかけます。すると、それが狭霧<サギリ>になって神が現れます。

                    “多記理毘売命<タギリヒメノミコト>”

                    “市寸島比売命<イチキシマヒメノミコト>”

                    “多岐都比売命<カギツヒメノミコト>”


古事記「清明」と書紀の「赤心}

2017-03-28 12:47:14 | 日記

 古事記にも、「スサノヲ」が高天原に来て、何も悪事を働かない証拠となる心を示すようにアマテラスが要求しますが、それを「清明」という言葉で言い表わしております。それに対して、日本書紀ではどのような言葉を使って書いているのか調べてみました。そこには

   “遠自來參。不意、阿姉翻起嚴顏。于時、天照大神復問曰「若然者、將何以明爾之赤心也。」”

と出ております。
 “「遠くからやってきた私は思いがけなく姉上の厳しいお顔を拝見して、大変、驚いております。」と、スアノヲは言います。それに対して、アマテラスは言います。「しからば、高天原に来ても、決して、悪事は働かにという、お前の赤心<セキシン>は何を持って証明しますか」と。”

 「將何以明爾之赤心也。」です。ここに書かれている「赤心」とはどんな心でしょうか???・古事記の「清明」とどう違うのでしょうか。「赤心<セキシン>」とは、辞書によると
              「まごころ。誠意。丹心。赤誠」
 とあります。

 記紀にあるこの二つの言葉を比べてみますと、この時の予期せぬ、姉「アマテラス」からの言葉やその厳しい顔つきから、スサノヲの驚きの心を推し量ってみますと、書紀の言葉「赤心」の方がより的確その場の雰囲気を言い表しているのではないかと、私は書紀に軍配を上げたいと思うのですが???どうでしょう。


スサノヲの不平から「清明」へ

2017-03-25 09:39:37 | 日記

 スサノヲに、お前は 「海原を治めよ」と、命令されたのですが、それが嫌いだったのでしょうか、誠に大きな声を上げて泣き喚めきます。其の姿に驚かれたイザナギが起って

  『もう、お前みたいな親の云うことが聞けない子は知らない。好きなようにするがよい』

 と。

 そこで、大津皇子が大伯皇女を訪ねて伊勢神宮まで尋ねて行ったように、スサノヲは姉を訪ねて「高天原」に行きます。父親の手に負えない弟が来ると言うことを聞いたアマテラスは、弟はきっとよからぬ事を思ってこの国に来るに違いないと思われたのでしょうか、その対策を色々と講じます。丁度、現在の北朝鮮のような、国際世論なんてどこ吹く風と知らん顔して、勝手気ままな戦闘準備ともとれる用意をしております。これと似ていたのでしょうか。やられてしまった後ではどう仕様もありませんものね。

 まあそれはともかくとして、姉が弟と対談した時、弟が  

                “無異心”

 と。それに対して、姉は弟に尋ねます

               “然者汝心之清明何以知”

 と言います。

  ここにある“清明”から、なんだかんだと、あちらの本こちらの本と飛びあるき、終には、「史記」にまで飛び火してしまったのですが、もう、それ以上何も出て来ませんので、又、元のお話に戻ります。