私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

古事記の面白さです!!!さて、越の結論は??

2017-11-30 08:03:07 | 日記

 出雲の軍勢に下ることは、越の国にとっては、大変な屈辱なことではありますが、その勢力には如何ともしがたしです。ついに、降伏文章を送りつけます。
 「準備も色々とありますから、明日になったら、あなたの兵力を我々越の国に受け入れましょう。どうぞそれまで、明日の夜までお待ちください。」
 と。そして

            “阿和由岐能 和加夜流 牟泥遠 曾陀多岐 多多岐 麻那賀理” 

 「沫雪の 若やる 胸を、素手抱き 手抱き 抜がり」と書いてあります。
 「沫雪のように、若々しい、これから栄えていくだろう我が国を、どうぞ、ご自由に支配してくださいな。お願いですから、そんなにワイワイと吼えたてて越の人達を驚かさないでくださいよ。私たちは従順にあなたたちに従いますから、八千矛の神の命様よ」 
 と。
 遂に、オホクニに降参しております。出雲の勢力が次第にその力を延ばし、日本海一帯を支配していく過程を、如何も物語風に、書いているだけで、此処の主人公である「沼河比売」も、此処だけの記述で、後々のことは何も書かれてはありません。
 
 それはそれとして、古事記と云う書物は読んでいけばいくほどその内容の深さに驚かされますよね!!!! 

      


賛否両論とは

2017-11-29 09:17:39 | 日記

 越の国では、オホクニの出雲軍に対して徹底抗戦が、それとも和平交渉かの賛否両論がしばらく続きます。それが沼河比売の歌として間接的に言い表されているのです。それが

                  “其夜者不合而<ソノヨハ アハサヅテ>。明日夜為御合也”

 です。
 一日かけて、和戦の両論の議論が続きます。でも、それは「小田原評定」ではなく、その結論は一日で決まります。
 
 「我越の国は、「萎え草」、「浦渚の鳥」などと同じで、あの強力な出雲軍の前には、すぐにも潰れそうな弱々しい力しかない。闘えば立ちどころに

                   “伊能知波<イノチハ>那志勢多麻比曾<ナシセタマヒソ>”

 命が無くなりますよ。でも、決して、死んではなりません。「時に、范蠡無きにしも非ず」で、その時を待ちましょう」
 と。

 なお、この「な死せたまひそ」ですが、これは日売がオホクニに言った言葉と一般には解釈されていますが、それでは少々意味が通じないのではと思います。家の中に入る女性が、これから夜撃ちを仕掛けるようたしている身も知らずの男に対して言えることばではありませんもの・・・・・。

 と考えると、この歌は、比売が、この作戦会議の中で、そこにいる「越」の人達に言った言葉だったのではないでしょうか。この歌の最後にある「いしたふや あまはせつかひ」は何のことかよく分かりませんが、わたしは「そこにいる人達に、敢て、自分の心を強く伝える時に言う言葉」ではないかと思いますが、如何なものでしょうかね???そう考えると、その前に、日売にオホクニが呼びかけた歌の中にもめ見える「いしたふやあまはせつかひ」の意味もはっきりと分かるのではないかと思うのでっすが。

 


山の鵼・野の雉・庭の鶏の声とは

2017-11-27 09:02:21 | 日記

 越の国に進軍してきたオホクニの軍勢を取り囲むようにその四方から「鵺、雉、鶏」が鳴くと言うのです。これはオホクニの出雲の軍勢を遠周りに取り囲んで監視でもするようにと見守っていたのででしょうが、大変おびえていたのは確かです。そのような越の国の対出雲への布陣を見て、オホクニは高らかに言います。

                  “宇知夜米許世泥<ウチヤメノセネ>” 

「打ち止めこせね」です。
 「私の兵力なら、あなたの軍隊、そんなものは簡単に打ち破ることがで来ますよ。一旦、戦いになれば、あなた達の軍勢なんて私の敵ではありません。すぐに総ての者を打ち殺してしまいますよ。それくらい私の軍隊が強い事をあなたたちは知っているでしょう」
 と。
 多分、此処には書かれてはいないのですが、オホクニの軍隊は、一斉に、当時の社会に置いては最強な武器「鉄剣」空に向けて高く掲げ、雄たけびの声を張り上げさせたのではと考えられます。その勢いに押されたのでしょうか、その時の声のすさまじさからでしょうか、越軍が怖気づいてしまいます。周りを取り囲んだ越軍は鳴りを潜めます。

 此処まで書いて、現在の世界情勢の事がふと心を横切ります。丁度、北朝鮮が此の時の越軍で、オホクニがUSAのトランプ軍だと思います、なんだかんだと威勢のいい事を云っていますが、北朝鮮は、もし、戦いになればアメリカの敵ではありません。空母3隻を日本海に展開させて、その威力を見せ付けています。このような兵力には如何に威を張ろうが、北朝鮮の敵ではありません。それこそ徹底的に北朝鮮は打ち負かされること間違いなしです。原爆もその敵ではありません。即座に“宇知夜米許世泥” になること間違いありません。だから北朝鮮は結局、アメリカに負けるのは目に見えています。でも、北朝鮮にも立場があります。しばらくの間、まだこのような状態は続くだろうと思われます???

 このような北朝鮮とアメリカの関係がオホクニと越の間にもありました。でも、その期間が、オホクニと越の間では、たった1日だけで終わっております。賛否両論が激しくあったことには間違いありませんが。

 その賛否両論は、例の通り明日にでも????


これは「オホクニ」と「越国」との和平交渉では???

2017-11-26 09:40:28 | 日記

 今まで累々と述べてきたのは、出雲のオホクニが「越」の美女「沼河比売」への求婚への様子を二人の間で交わした歌についてです。でも、ここで云い表わされておるのは、ただ単に、一人の男が美しい美女を我がものにしようとして旅して、遂に、自分の妻とすることができたと言う単純な恋愛小説的な物語ではありません。その奥にあるものは、日本の歴史的な経緯の一断面を言表したものではと私は思いますす。

 まだ、当時は、日本には、大和を中心とした勢力や、オホクニを中心とした出雲や、その外、筑紫や吉備の勢力がお互いに覇権を争って、それぞれ王国を作っていた時代です。だから、当然に、出雲の勢力もその権力の及ぶ範囲を拡張させていた時だったのです。
 
 当然、アホクニを中心とした出雲勢力も、日本海王国を目指して伯耆但馬、更に、北へ越の国まで手を拡げていたのです。このオホクニは、先に、八十神の兄達をその武力でもって完全に征服しておりますすから、当時の社会では相当の戦力を保持していたはずです。それは、オホクニの父「スサノヲ」が八岐大蛇から取り出したと言われる刀に象徴される強靭な「鉄製の武器」を使った兵器だったと思われます。だから、此の武器を使えば越の国等、案外に簡単にと思われるかもしれませんが、「大黒様」の愛称で親しまれているオホクニです。あくまでも、その戦略は平和的外交だったのです。
 あの北朝鮮に対するトランプのような強硬作戦でなく、あくまでも話し合いによる平和外交による「親和」を主体としたものだったのです。その方法の一つが、戦国大名間でしばしば見られるような縁戚関係を結ぶことによって生じさせる対策だったのです。それが「沼河比売」外交だったのです。「

 でも、オホクニはこの戦いを始める前に

                    “太刀が緒も 未だ 解かずて。 襲<オスヒ>をも 未だ 解かねば”

 と云って相手方を恐怖に追い込む作戦をとります。
       「和平の交渉を拒否するならば、何時でも強靭な武器を持って、お前たちを攻め滅ぼす用意は出来ているが、どうだ。」
 と言わしめたのです。面白いと思いませんか??? 


許遠婆<コヲバ>

2017-11-25 11:53:51 | 日記

      「そんなに騒がしく大声で喚かないでください。お願いします。」

 と、沼河比売の家の中から聞こえてきました。その終わりを告げる言葉が

              “許遠婆<コヲバ>”

 「以上です。」 
 此の言葉はオホクニと沼河比売と歌で問答した中に3度使われております、最初は、オホクニが比売に大声で呼びかけた時です。次は、日売がオホクニに対する返歌の時です。3度目は大変な淫乱な意味深な歌を歌った姥か誰かの歌った言葉にあります。
 
 この「許遠婆」で、オホクニと比売との歌のやり取りは終わります。此の後は

            “其夜者不合而。明日夜 為御合也”

 <ソノヨハ アワサズテ クルヒノヨル ミアヒシタマヒキ>で、二人の歌での問答は、凡て、終わっております。その夜は、遂に、そのまま二人は合う事がなく

   ”毛毛那賀爾 伊波那佐牟遠<モモナガニ イハナサムヲ>”(足を延ばして、一緒に寝ましょう)

 と云う約束事は果たすことができなかったのです。、だから、「会」でも「逢」でもなく「合」と云う字を使ったのが、やっとのことオホクニの思い通りに事が運んだのは次の夜の事だったのだと、わざわざ、説明が御丁寧にも付け加えられているのです。すぐにその時でも家の戸口ぐらいは開けられたのではと思うのですが、どうしてだったのでしょうかね????????