私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「大祓」を済まして・・・

2019-11-30 09:16:45 | 日記
 筑紫の国にある種々の「穢、悪行、災」の禍事を「大祓」して国内から取り除いた後に

     “建内宿禰居於沙庭。請神之命”
   <タケノウチノスクネ サニハニヰテ カミノミコトヲ コヒマツリキ>

 建内宿禰は大層清めた庭で、神の御心は如何ならんと神託します。すると、神のは

  「すべて此の国は、今大后の腹に宿している御子が統治するだろう。」

 と云われたのです。
 
 なお、この“請神之命”の時には、太古では、必ず、「琴頭尾」の両端に「繒<ハタ>」(絹織物)を置いていたのです。この繒を通して「神之命」が伝わってくると考えられていたのです。その起源は、やはり「天の岩戸」にある
    “白丹寸手青丹寸手<シロニギテ アオニギテ>”
にあるのではと思われますが????????
 

「大祓<オホハラヒ>」について

2019-11-29 09:48:50 | 日記
 大宝律令「神祇令」に「大祓」についての規定があります。それによると

    “凡六月十二月晦日大祓・・・・”

 とあり、七世紀には、既にこの「大祓」が国家的神事になっていたのですが、「大祓」が文献に出てくるのは、この建内宿禰が行ったのが最初です。しかし、記紀などの資料から見てみると、このような禊など神事は日本建国以来、各地で行われていたのは確かです。イザナギイが筑紫の日向之橘の小門之檍原<オドノノアハギハラ>で禊をしたことや、書紀に見える「天武天皇記」にある“四方為大解除<ヨモノクニ ホハラヒ せよ”とあるのを見ても分かります。

 (日本書紀、古事記伝、大宝令、年中行事記、山井四季之詞より)

上通下通婚。馬婚牛婚鶏婚犬婚之罪類

2019-11-28 08:51:48 | 日記
     “上通下通婚"
 これをどう読んだらいいのでしょうか。解釈書の総てに

       <オヤコ タハケ>

 と読んでおりますが、宣長先生によると、この「たはけ」は「婚」で、親子で交合することを意味し、上通は「子が母を犯す罪」で、下通は「親が子を犯す罪」を云うのだそうです。次にある
   “馬婚牛婚鶏婚犬婚”
 ですが、これら等の「罪類」が実際に有ったのかどうかわ分からないのですが、そのような罪を犯した人を国内から
       “種種求<クサグサマギテ”
 探し求めたのです。どのような方法で探し求めたかも何も書いておりませんので分かりませんが、とにかく求めに応じてそのような罪を犯した人が集まったのでしょう。それについても宣長先生は

 “古ヘ人は、心直かりしかば、身に犯シある人は、大祓には、大方隠さず顕はし申せしな  り、顕し白せば、其罪祓ヒに除こり清まり、顕さざれば、清まらざればなり”

 と説明してあります。

 これが上代の「大祓<オホバライ>」です。その国にあるすべての「穢」「悪行」「災」を一緒に、国の安泰を含めて、清め祓ったのです。

 この時行われた「大祓」は後の世にまで続けられ、その一つとして、先日あった「大嘗祭」のお祭があったのではないかと思われます。ただ天皇の新たなる即位を天照大神などの神に報告するだけの事ではなく、この国の安泰をも兼ねてお祷りする伝統的な儀式なのです。大昔から続けられてきたお祭なのです。それもまた意味のあることではないでしょうか????????

 


「生剥逆剥・阿離溝埋屎戸」の罪

2019-11-27 09:51:53 | 日記
 建内宿禰が行った

         “大奴佐”

 ですが、これが宿禰独特の他では見ることができない「もの」です。それを古事記には

   “生剥逆剥。阿離溝埋屎戸。上通下通婚。馬婚牛婚鶏婚犬婚之罪類”

 と書かれてあります。
 このようなものを筑紫の国の中から“種種求<クサグサマギテ>”「ことごとく求めて」「大奴佐」をしたのです。此処に書かれているもの総てが、どのようなものか、私には理解しがたき物ばかりです。そこでまたもや宣長先生です。それによりますと・・・

 まず「生剥逆剥。阿離溝埋屎戸」ですが、天界では、あのスサノヲが天照大神に対して数々の悪行がすべて「罪穢」となっていたのです。そんな「罪穢」を筑紫の国から選び出したのです。
 それが、先ず「生剥逆剥」です。あの天照大神が機織りしている所へ「天班馬<メノフチコマ>」を逆剥にして落とし入れ、それに驚いた「天衣織女<アメノミソオメ>」が、恐ろしさのために亡くなる事件がありましたが、それと同じような悪行が「生剥逆剥」です。
 次の「阿離溝埋」ですが、アマテラスの田の畔や溝を蹴散らして壊した悪行いです。
 また、「屎戸」も同じく「大嘗之殿」(その年に出来たお米を神に捧げまつるために特別に設えた神聖な御殿)に大小便を撒き散らした悪行です。
 そのような人の迷惑も考えないで、独りよがりな行いを平気でするような平和を乱すような「罪穢」を持つ人達です。これだけではありません、此の他にも・・・

 長くなりますので、また、明日にでも・・・・

「大奴佐」ですが・・・それが吉備津神社の「七十五膳据」に

2019-11-26 09:05:10 | 日記
 「大奴佐」ですが、それを先日<ダイヌサ>としていましたが、それは<ダイ>ではなく<オホ>が正解でした。仲哀天皇の神に対する不敬を除き清よめるためのお祓いで使用する特別に<ヌサ>を祭殿に設えます。
 (現在、神社などで一般に行われている紙や麻を榊に付けてお祓いをするために使われている「幣」より違ったものだそうですが、その実態はどのようなものであったかははっきりとは分かってないのです・・・????)
 では、此処で言う「大奴佐」とはどのようなものなったのでしょうか??
 それは、多分、筑紫の各地から上がってきた米・麻・綿・塩・木綿・刀・矢・鍬・酒・魚・塩・海草・猪の毛皮などの特産物を、先ず、祭殿に並べたのです。それを古事記には

    “更取国之大奴佐而<サラニ クニノ オホヌサトリテ>”

 と書いております。
 なお、この時、建内宿禰が行った神事が、現在まで続けられているのは、日本広しといえども、我が町「吉備津神社」で執り行われている春秋の大祭の時に行われている「七十五膳据」のみであるのです。この説は私だけが持つ説せすが???