私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

田狭は息子に語ります。父親ですね!!!

2016-08-31 16:24:38 | 日記

 新羅征伐の長官に任じられて、大勢の“衆<いくさびと>を引き連れて朝鮮半島にやってきた息子の“弟君”が、そのまま新羅と戦いを交えることなく百済にと止まったと言う事を聞いて田狭は喜び、密かに、使いを弟君の所に使わして云います。

          “汝之領項<イマシガクビ> 有何牢錮<ナンノカタキコトアリテ> 而伐人<ヒトヲウツヤ>”

 と書かれてあります。「領項」ニ<クビ>とルビがふって有ります。元々「領」も「項」も<クビ>を意味すろ言葉です。
 田狭は息子に云います
    「どうして、お前は、そんなに武力も腕力もないくせに、戦いをすれば、すぐにお前の首なんかとられてしまうような弱々しい男だ。それなのに、どうして人様を討つ事が出来るのか。」
 と云うのです。父親です。子供の実力ぐらい知っています。

 どうでしょうか、初めから余り、朝鮮半島の強国「新羅」との戦について自信がなかったのでなないでしょうか。自分の命がどうなるか分からない戦いなどしたくないのが当然です。だから、新羅の神様の話なんか持ちだして。戦いを回避したのではないでしょうか???

 ちょっと深読みし過ぎかな???


また、弟君に

2016-08-30 06:53:25 | 日記

 田狭の子「弟君」が「新羅征伐の長官」に任じられて、衆<イクサビト>を率いて、百済に入ります。その時、「国ツ神」と云いますから朝鮮の神様でしょうか、

               “国神化老女性”

 老いたる女性が弟君が進んでいる時、突然に、道に現れます。何故、ここに老たる女が現れるのかは分かりませんが、それまでにも、行く道すがら多くの百済人とあっているはずですが???   その時弟君はその老女に

                “就訪国遠近”(新羅まではどれほどあるか?)
 
 と尋ねます、すると、老女は「まだ一ケ月はかかるでしょう』と答えます。それを聞いた弟君は、
 「まだ一ケ月も???」
 と思って、新羅を討たないで帰ります。百済の国が集めてくれた天皇から命令あれていた「今来才伎<イマキノテビト>」(最新の技術を身に付けていた職人)を連れて帰国する用意をして百済の「大嶋」に集合して、

               “託稱<イツワリテ>候風<カゼマツ>淹留<ヒサシク>数月<ツキヲコエタリ>”

  ここに至って、田狭の子「弟君」が新羅征伐の長官を素直に受け入れたのかはっきりと分かります。新羅征伐と云えば、父親がその恨みを果たすために援助を申しこんでおる国です。その国を討つと言うことは、即ち、父親と相対することになります。それで“国神化老女性”を弟君はでっち上げ、新羅を討つ事を中止したのだろうと思われます。


久しぶりに、涼風がすーっと飛びこみ、風鈴をちりんとならしております。

2016-08-28 06:59:32 | 日記

 「好きな俳句」その2

 昨日は蕪村の句について書いたのですが、近頃の猛暑で、つい、忘れていたのですが、夏の句として芭蕉にも、私の好きな句があります。先ず、これをご覧ください。私の持っている安永七年製の「奥細道  菅菰抄」の本です。

                 

 その中に見える

                   “暑き日を   海に入たり   最上川”   

            です。

              

            

 芭蕉の夏を詠んだ清々しい名句だと思うのですが。

  夏のじりじりと万物を焼き尽くすほどの太陽が、ようやく目の前に広がる雄大な静かなる日本海に沈みこもうとしているせつな、その太陽を堂々と包み込んでいった海。その海に滔々と流れこんでいる大河「最上川」から一条の涼風がさっと吹いてきたのでしょうか。猛暑の中に、それこそ、あるかないかのような、誠に、小さな小さな幸せをその中に読みとり感じて、今を生きている瞬間の自分の命の大切さに、感謝の気持ちを込めて歌い上げた芭蕉ならではの句だと思うのですが。

 このところの猛暑ですが、一昨日の慈雨によって、吉備の中山から吹き下ろす涼風に、芭蕉のその涼しさを重ねて、生きている事の有難さをつくずく感じながら、この句を読んでおります。


何と云ったて蕪村です

2016-08-27 07:10:50 | 日記

 私はこんな軸を持っています。

          

                “堂守の  小草の露の 夏の月” 

 と書かれてあります。なかなかの書(軸)だと感心して大切に持っております。でも、この句、何処かで聞いたこと有りません???何時だったかは分かりませんが、かって、何処かで、見たようでもあります。
 ところが、数年前の事になるのですが、これも、私の持っている「蕪村句集」(天保年製)と云う本を何気なく開いておりますと、

 

                        

 

          

 
              “堂守の 小草ながめつ 夏の月”
  があります。そこで初めて、この軸を書いた人が蕪村のこの句を盗作して、“小草ながめつ”を“小草の露の”にしたのだと気がつきました。それ以後、此の“小草ながめつ“の句が理由なしで、ものすごく好きになりました。

 でも、毎年、夏になると、この“小草の露の”軸をつるして、私一人で楽しんでおります。

 以上、私が、一番、好きな俳句です。芭蕉も山頭火も好きですが、やはり、私は蕪村派です。

 

         

          


弟君百済に到たる

2016-08-26 08:25:23 | 日記

 天皇の命<ミコトノリ>を持って「弟君」は

         “率衆行到百済”

 「率衆<モロビトヲ ヒキイテ>」、百済に当到着します。
 なお、これも、どうでもいいことですが、この“衆”を<モロビト>と読む本と<イクサビト>と読んでいる本が有りますが、<イクサビト>の方に私は軍配を上げたいのですが、どうでしょうか???  彼の目的は新羅征伐ですから、引き連れて云った人達はやはり軍人ではないかと思いますから、<イクサビト>の方がよいのではと思います。多くの軍人を連れて行ったのですから“衆”ではないのでしょうか
 そして、一行は百済に上陸します。その時、弟君の前に不思議な人が現れ出ます。