雄略は政敵をすべて殺害することによって天皇の位に付きます。その妃の一人葛城の円大臣の娘「韓姫」が生んだ皇女に拷幡娘姫皇女<タグハタイラツメノミコ>がいますが、この皇女は伊勢大神の祠(斎宮)になられます。
ある時、その原因は書かれてはいないのですが、阿閇臣国見と云う人が、この皇女が盧城部連武彦に侵されて妊娠したと讒言して、その噂を広めます。その噂を聞いた武彦の父「枳莒喩<キコユ>」は災いが自分に懸かると思って息子を殺してしまいます。また、その噂を聞いた雄略天皇は使いを遣わして、皇女に「本当か?」聞きます。皇女は「不識=知らない」と答え、そのまま、伊勢神宮の神宝「神鏡<アヤシキカガミ>」を取り出して,五十鈴河の上の誰も知らない所に埋めます。そして「経死<ワナギシンダリ>」
これからも分かるように、当時の祭礼の道具、「銅鐸・銅剣・銅鏡」は、それを使った人とともに人知れず、人目の付かない山奥の何処かに埋められていたのです。
この場合は、鏡を使っていたのは、雄略の皇女「拷幡<タグハタ>皇女」は伊勢神宮に仕える斎宮です。「拷幡<タグハタ>娘姫皇女」と、わざわざ「娘姫」を入れて彼女の神聖さが強調しております。伊勢神宮に仕える巫子です。その神聖さを疑われたのです。皇女がとっさに自分の死を考えたのでしょう、それしか身の潔白を証明する手段がなかったのです。そこで今まで使って神に仕えていた鏡と共に命を終えようと考えます。そして、神宮の辺を流れる誰にも知られない五十鈴川上流に鏡を埋め、そこで自分の首をくくって死んでしまいます。
誠に悲劇で終わっております。天皇の「大悪」を一人で背負って、父、雄略の天皇という地位の安泰を願って自らの命を立ったのかもしれませんね。此の続きはまた明日にでも、