もはや、この地上に於いて、二人して歩んでいく希望の道は何処を探しても見つけることはできません。海の上に描き出された落暉から伸びる一条の光の帯が、今の二人の歩み進むことの出来る唯一の道であるかのように、「おいでおいで」をするように、水平線の永遠の彼方から、阿比泥の浜辺まで延びて、二人への天からの贈り物でしょうか、希望の道を造り出してくれております。天からのその優しい誘惑の中に、二人は、引き入れられるように、堅く堅く手を取り合ったまま、ゆっくりと歩みを進め、その大きな影法師は光の帯の中に伸びていき、ついには、その中に静かに沈むように小さくなっていきました。まんまるだった夕日が二つに折り重なるような影を造りだします。そして、それも又半分になり、やがて、そのすべては西の空の彼方に消え入り、それと共に、今まで伸びていた一条の光の帯も、その中に描き出されていた二つの真っ黒い影法師も、かき消されるように見えなくなります。そして、再び、元の静かな水平線は西の海に一本の線になって、まだ、うす明りを残して左右に長く長く伸びております。その空へむかって一群の鳥の群れが流れるように飛び去って行きます。浜を洗う海の波がのんびりと、再び、行ったり来たりしております。
古事記に歌う
“共自死”
は、このような風景をその背後に描き出しているのではないかと思います。何処で、どのように自ら死ならしめたのか詳しくは記されてはいませんが、私はそのような二人の最期を頭の中に描きながら、此のたった3字を想像してみました。ご批判をお願いします。