私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“如取若葦”

2018-07-31 09:33:07 | 日記
 今日も、又、安倍流に・・・・

 昨日「搤+扌此」という字を説明したのですが「引っ掴む」という意味ですが、其の形容を

               “如取若葦”

と書いております。あの誰よりも力持ちの手をです、恐れも何もしないで、平然と、あたかも春になり燃え出たばかりの柔らかな葦でも引き抜くようにです。その力を問題にもしていないようにです。ここにも天界に住む者と地上に住める者との力の断然たる優位を間接的に表現したのです。いくら頑張って見たって、所詮は、勝ち目がないと言うことを暗に示しているのです。神の力の絶大さを現わしております。それが日本国なのだ、天の御子である天皇には、決して、逆らってもどうすることも出来ないほどの力が開闢以来備わっているのだと言う事を、暗に、指示しているのです。
 そなん事を主張しているのが古事記なのです。単に日本の歴史を傳誦しただけのものではなく、この書物で以って天皇自身の中央集権力を確かにするために書かれた必要かつ十分なる日本歴史書でもあるのです。

 それが、“如取若葦”で、
             <ワカアシヲ トルガ ゴト>
 引っ掴むのです。

“搤〇”

2018-07-30 10:08:13 | 日記
 古事記を読んでいけば、辞書にない文字に時々出会います。この場面でもそうです。

          ◌“搤に手偏に「此」”

 と云う字にです。「手偏に此」と云う字は辞書にもありません。古事記には「ひしぐ}とルビがふっております。「ひしぐ」と読むとするなら「拉」と云う漢字が思い付きますが、前後の関係からその意味する処は、「ひっつかまえてとらえる」と云うことです。
 ということは、その前は「建御名方神」か「建御雷神」の手を取ろうとしたのですが、今度は

                “乞帰<コヒカエス”

 最初は、<御名方>が相手の手を握ろうとして失敗しますが、次は、そのお返しをと、今度は<御雷>が相手の手を握ろうと言うのですから、「遣り返す」です。それを、今度は、おれがお前の手を握ってやりこめてやるぞという強い強い怒りをこめた言い方でなく、柔らかな返礼的な意味を含めた「返す」で、そんな意味を含めて「帰す」と云う字にしたのではないかと思います。
 そうです、千引石を片手の指先で持ち上げて歩くとうな御名方神の手を、「建御雷神」は、「はたと」、この言い方が一番この場にふさわしい様な、握りしめ方をするのです。それが

               “搤に手偏に「此」”

 という熟語の中に込められている意味なのです。???毎度ですが、此の度も、くだくだといらないことばかりを記しましたがお笑いください。何だか安部さんに似て来たような気もしますね、本論が無くて不必要なことばかり書きなぐって。   

“剱刃”の安倍政権が・・・

2018-07-28 10:14:38 | 日記
 「立冰<タチビ>」になった建御雷神の御手は、それでは危ないと思われたのでしょうか、次の瞬間に

            “剱刃<ツルギノハ>”

 に代わります。其の相手の手の変化を見た建御名方神は、握りつぶしてやろうと思ったのに、剱の刃ですから掴むと自分の手が切れてしまいます。掴む事ができません。その驚きの顔を漫画家なら、きっとこの上なく上手に描くことができると思いますが、誰か、この場面を絵にしてくれませんかね。恐怖のどん底の顔です。きっと傑作な絵が出来あがるのではないかと思われますが。

 さて、この神話を古事記に、敢て、書き記したのは、稗田阿礼を始め、この事業に携わった人達です。彼等はこの話を後世に伝え、天照大神など天にまします神の力は、絶大にして、誰の力で以ってしても逆らうことがでいない、それこそ「神聖にして犯すべからざる」ものであると言いたかったのではなないかと思います。奈良時代の天皇中心の中央集権的政治を不偏化させるための物語だったのです。
 でも、其の構成の巧みさには何時も舌を曲くばかりです。

 この物語を読んで思うことが、一つ頭に浮かび出ます、それは、「力に対抗するには力ではなく頭を使へ」です。沖縄の翁長知事もそこら辺りの事を考えあらゆる知恵を巡らせているようですが、其の戦術を、「政府と云う強権」と「無視の一手」という剱刃<ツルギノハ>で立ち替わそうとして一向に立ち向かて来ない安倍政権ですから困ったしまって為す術のないのが現状だと思い、大いに同情しております。

 がんばれ沖縄の知事殿!!!!

  

立冰<タチビ>

2018-07-27 11:41:37 | 日記
 冰は<コオリ>です。下の方から凍って立ちあがった氷の柱です、上から垂れ下がった「つらら」ではありません。
 建御名方神が、建御雷神の手を握りつぶそうとしたのでしょうか、ぐいと掴みます。千引石を軽々と持ち上げる力で掴みのです。どうなるかは火を見るより明らかです。

 「あっ!!!もうこれで、タケミカヅチも終わりだ」と思いますが、さに非ずやです。どうのようなシナリオを稗田阿礼は考えたと思いでしょうか。その結果を

          “取成立冰”

 <タチビニトリナシテ>です。タケミカヅチの手が瞬間に氷の柱に代わります。と思う間もなくですその御ては・・・

「然欲為力競」と言うタケミナカタ

2018-07-26 11:58:18 | 日記
         “然欲為力競”

 <シカラバ、チカラヲクラベ セム>。「国を譲る譲らぬと言う話より前に、先ず、あなたと私で力比べをしましょ う。」

 と、建御名方神は言います。千引石を軽々と指先で持ち上げている自信満々の神様です。もし負けるとどうなるのでしょうか。
 しかし、建御雷神も、又、相当力自慢の神様だったのでしょうか???其の提案を受け入れます。此処ら辺りの駆け引きがうまいですね

 このような途方もない超力自慢の二人の対決どうなりましょうや???と、手に汗してオホクニハ見つ目ていたことでしょうにね。
 そこら辺りの展開にこの説話と作った人はあらゆる自分の想像を尽くした力持ちを作り上げたのです。誠に持って現在の漫画の主人公のようにです。人の体の中に秘めている思考の膨大さに驚かされますよね。

 話は違いますが、我が町吉備津で生まれた栄西禅師はその著書「興禅護国論」の中で

        “大哉心乎”

 と、人の心の広さについて語られております。この建御雷神と建御名方神の対決話も、将に、その「大哉心乎」を存分に持っている人の作りだした説話だと言う事が感じられます。!!!!!!