私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

長恨歌が終わりましたが

2016-01-31 15:40:51 | 日記

 2ヶ月の間に渡って、長編の「長恨歌」を、ほとんど毎日と言っていいほど、私流に少しづつ読んできましたが、ようやく、昨日で最終回に至りました。やれやれ、是から、又、「古代吉備国の3大美女」の続きを書こうと思ったいた矢先です。
  またまた、例のお方からメールが届きました。

 「なげえこと くだらん いらんことばあが ぎょうさんあったんじゃが まあ そげえに なごうは つづかんじゃろうと おもようたんじゃが ごくろうさんのことじゃったなあ。まあ いちおうは ほめてやる だけえど おめえ ようかんげえてみいや。」
 と。続けて彼は言います。
 楊貴妃の「此恨」みというのは「いってえ なんでなあ」。あれほど、国民を蔑ろにした政治しかしなかった「楊国忠」の専制政治を考えてみると、楊貴妃の「此恨」とは、一体、何だったんだろうか。恨みも何もないはずだと。
 
 「白居易は、どうしてあげえあもんを けえたんじゃろうかなあ。まあ、そりゃあそうとして 楊国忠が どげえなことをしたんか おめえはしっとんか しりゃあへんのんじゃあ ねえかのう。」 

 まあ、そんな事をくどくど書いて寄こしました。この「長恨歌」を、よりよく理解するためには、更に、この上に、「杜甫の詩;麗人行」を読んでみる必要があるのだと教えてくれます。
  
 

 早速、本棚を探しました。偶然にも、その「麗人行」がありましたので、又、しばらく、「吉備の美女」のお話は置いといて、これはあまり、長くにはならないと思いますが、ご紹介していきます。お付き合いください。


 どうして「漢皇」なのか

2016-01-30 09:38:09 | 日記

 初じめに書かなければならなかったのかもしれませんが、白居易は「長恨歌」の最初に“漢皇重色思傾国”の七字を持って書き出しております。しかし、玄宗皇帝と楊貴妃の出会いは開元十一年だと説明がしてあり、唐の時代の物語です。だから、本当は「唐皇」と書かなくてはいけないのですが、それを、敢て「漢皇」として書き出しております。どうしてそのような矛盾が生まれたのでしょうか???それに付いて歴史的に多くの学者たちが説明しておりますのでここでは省きますが、現代、我々が読むにあったて、そこまでの歴史的考慮が必要かどうかは分かりません。「漢だ。いや、唐だ」という時代的な差異を配慮して読まなくても、結構、「漢皇」であっても、楽しく読む事が出来、なんら異質なものとしては映らず、案外素直に受け入れられます。

 「古文前集」には、「長恨歌」の補足説明として「不敢斥言唐君借漢為喩」とあります。「喩<ユ>」とは(それとなく言いふくめる)という意味です。

 それにしても、長い長い楊貴妃と玄宗の恋物語を1句七言の120句の名句で(総字数840字)綴った超一級の詩です。

 

 私の一番好きな歌を最後に書いておきます。

 ○驪宮高處入青雲、仙樂風飄處處聞
  緩歌慢舞凝絲竹、盡日君王看不足

 ○夕殿蛍飛思悄然、孤燈挑尽未成眠
  遅々鐘鼓初長夜 耿々星河欲曙天

 ○在天願作比翼鳥 在地願為連理枝
  天長地久有時尽 此恨綿々無絶期

長いことお付き合いくださってありがとうございました。

 


「なんかしらんけえど・・・」

2016-01-29 10:24:39 | 日記

 また、彼氏から、昨日ご批評を頂きました。彼氏曰く;

 「なんかしらんけえど おめえも わかっとるとおもうんじゃが そげえな 理屈っぺえこたあ どうでもえんじゃ、”此恨”というのはな、人が 生まれてから死ぬるまでのええだに ぎょうさん あれもこれもと 胸の奥で おもよおる ことがあるのに、ひとっつも 思い通りに いかんことをいうんじゃ。せえで えんじゃ」

 と。

 特に、楊貴妃にはあれほど堅い約束事を玄宗と誓い合ったのですが、それが、今、反故同然のものになって消えてしまいそうになっておることへの恨みなのです。悔やんでも悔やみきれない人の存在の薄さに対する悩みだと。だからこそ、“天長地久有時尽”でも、“此恨綿々無絶期”なのだと、ご丁寧に説明しおられました。
 
   これこそ「どうでもえんじゃ」で いいことだとは思うのですが。おっと、これは失言です。

 まあ、兎に角も、 “漢皇重色思傾国”から始まって“此恨綿々無絶期”までの本当に長い恨みの歌『長恨歌』でした。
 白居易は、この玄宗皇帝と楊貴妃の愛の物語を 七言の120句で、字数は、なんと、840字で綴っております。なお、この詩が出来た時のは西暦805年です。

 最後に、是も言い尽くされてはいることで、「どうでもえんじゃ」が」ちょっと云い忘れていることがありました。それは・・・・・


「恨み」とは

2016-01-27 18:27:45 | 日記

 辞書によりますと、「恨む」とは「何かの仕打ちに対して、何時までも忘れずに、心に持ち続けること」とあります。すると、楊貴妃の「此恨綿々無絶期」という「恨み」は何でしょうか。馬嵬駅での事件でしょうか。それとも、安禄山の襲撃のことでしょうか。それとも、今までの楊貴妃自身の生き様総ての事に対する禍根でしょうか??

 白居易は、この人が誰でも持つであろう己の人生に対するその恨みを、楊貴妃に重ねて、人がこの世に存在するための苦しみが夫々の人の心の中に奥く深く潜んでおり、それを解決するための苦悩を「恨み」と呼び、その恨みをどうすることも出来ない人としての有形の宿命とはせずに、永久に消え去ることが出来ない無形な物質として捉えているのではないでしょうか。だからこそ白氏は、「無絶期」の前に、“天長地久有時尽”という詩を、特に、意図的に刺しこんだのではないかと思います

 今日は、少しばかり小理屈っぽく書き綴ってまいりましたが、どうでしょうかねが??????


「長恨歌」も、いよいよ最後に・・・・・。

2016-01-26 15:42:08 | 日記

 「比翼の鳥」、「連理の枝」と、お互いに、「作」・「為」<ならん>と誓ったのです。此処までは、楊貴妃は誇らしげに、堂々と、地上から来た玄宗の使いの方士に、さも楽しそうに言葉を弾ませながら語りかけます。それからです、一呼吸も二呼吸も置いて、深いため息をつきながら、今まで地上の方をじっと見つめながら話していたのですが、何か急に、とげが突き刺さるかのよな厳しい表情に変わり、語意を高めて言います。目は、遠く、天の方に向き直って、

     “天長地久有時盡”
               <天は長<トコシ>へに 地は久しきも 時有りて尽く>、
     “此恨綿綿無絶期”
               <此の恨み綿々として 絶える期無からん>  

 「今、自分がいる天上でも、陛下の入らっしゃる地上も、永遠に滅びないものはあり得ないのです。何時かはきっとその終わりが来るのです。天地さへも決して永遠なものではありません」と。さらに続けて、なおも、楊貴妃は言い切ります。「しかしながら、私の心の奥底にまで占め尽している此の恨みは、例えこの天地が滅ぼうとも、決して絶えることはないでしょう」
 と。

 さて、此の楊貴妃のそれほどまでに心にある「恨み」とは一体何でしょうかね。また、白居易の「長恨歌」の「恨み」とは何でしょうか??。あなたなら、どうお答えになられますか。

 まあ、普通ならこれで総てがエンドになるのですが、12月から約2カ月も続けて来ましたので、あまりにもこの物語をおしまいにするのが惜しいようにも思えますので、今月いぱいまで引き伸ばしたく思い、あちらこちらへと引っ張っていこうと思っております。それにしても、中国の歴史を見ますと、何時の時代であったとしても、中国人って素晴らしい能力の持ち主がいっぱいいたものですね。現代では、その名前が見当たりませんがどうなっているのでしょうか???私が知らないだけなのでしょうかね。