何なやかんやと、それほどまで言い騒ぎをするほどの事もない例年と変わりない平凡な今年でした。今日が大晦日です。以前は「おおつもごり」と云えば何となく心せわしい年の瀬でしたが、83歳ともなると、そんなに「大晦日だ。大晦日だ。!!」と、てんやわんやの大騒動をすることもなく、今年も平凡に暮れようとしています。それでもと思い、来年も、又、人並に生きていければと、毎年やってきた正月飾りをして、ささやかな我が家の正月迎えの準備をしてみました。お笑いください。
“権而”
これを<タバカリテ>と読ませています。
この「権」ですが、私の常識としては三権分立など民主主義の理念とからませた「権力」「権利」「権威」「権勢」など 何か勢いのある力強い威力みたいなものとばかり思っていましたが、この<タバカル>と云う読み方に接し、目からうろこと云いましょうか、こんな意味があったのかと、早速、辞書です。すると、「いつわる」「謀略を施す」「平均がとれる」「まにあわせ、方便」等と云う意味が「権力」などと一緒にあるとでていました。
今朝の朝日新聞の社説に
「安倍政権2019年 有権者がみくびられている」
と書かれていましたが、まさに、今、国民は安倍政権に完全に、
“権沙糲而”
<タバカサレテ>いるのではないでしょうかね。安倍さんたち政府の高官たちはこの社説を如何に読んでいるのでしょうか。まさか、
「そんな新聞なんて見たことも読んだこともありませんよ。」
とでも言いたいのでしょうか。
もう少しまっとうなお人だと始めは思っていたのだが・・・・80老人の戯言でしょうか?ね??
これを<タバカリテ>と読ませています。
この「権」ですが、私の常識としては三権分立など民主主義の理念とからませた「権力」「権利」「権威」「権勢」など 何か勢いのある力強い威力みたいなものとばかり思っていましたが、この<タバカル>と云う読み方に接し、目からうろこと云いましょうか、こんな意味があったのかと、早速、辞書です。すると、「いつわる」「謀略を施す」「平均がとれる」「まにあわせ、方便」等と云う意味が「権力」などと一緒にあるとでていました。
今朝の朝日新聞の社説に
「安倍政権2019年 有権者がみくびられている」
と書かれていましたが、まさに、今、国民は安倍政権に完全に、
“権沙糲而”
<タバカサレテ>いるのではないでしょうかね。安倍さんたち政府の高官たちはこの社説を如何に読んでいるのでしょうか。まさか、
「そんな新聞なんて見たことも読んだこともありませんよ。」
とでも言いたいのでしょうか。
もう少しまっとうなお人だと始めは思っていたのだが・・・・80老人の戯言でしょうか?ね??
兄が大怒猪に押し殺されたのを見たでしょう弟の忍熊王はその勢いに“不畏<ヒルミモセズ>”神功皇后の軍と相交えるべく待ち構えておりました。その場所は、古事記では、どのあたりかは推定はできないのですが、書紀によると、忍熊王がこの戦に敗れて死んだのは
“沈瀬田済而死此<セタノワタリニ シズミテ シニキ>”
とありますから、宇治川の上流付近だと考えられております。瀬田の唐橋の辺りでは????
この古事記による、その戦いぶりは案外に簡単に終わったように書かれております。
「筑紫の国から倭まで喪の船で帰ってきたのですから、その船には兵隊がいようはずがないと忍熊王は単純に考え、王は軽装の兵士と共に乗り込みます。しかし、その船の中には多くの兵士が潜んでいたのです。建内宿禰の計画です。そんなに簡単には事が進む事があろうはずがありません。忍熊王の軍は這々の体で山城の国まで退却します。その賊軍を追い掛けてきたのが
“建振熊命<タケフルクマノミコト>
です。この人も又
“権而”
と書いてあります。どう読むと思いでしょうか????
“沈瀬田済而死此<セタノワタリニ シズミテ シニキ>”
とありますから、宇治川の上流付近だと考えられております。瀬田の唐橋の辺りでは????
この古事記による、その戦いぶりは案外に簡単に終わったように書かれております。
「筑紫の国から倭まで喪の船で帰ってきたのですから、その船には兵隊がいようはずがないと忍熊王は単純に考え、王は軽装の兵士と共に乗り込みます。しかし、その船の中には多くの兵士が潜んでいたのです。建内宿禰の計画です。そんなに簡単には事が進む事があろうはずがありません。忍熊王の軍は這々の体で山城の国まで退却します。その賊軍を追い掛けてきたのが
“建振熊命<タケフルクマノミコト>
です。この人も又
“権而”
と書いてあります。どう読むと思いでしょうか????
一刀の元にその「大恐猪<オオキナルイカリイヰ>」を切り殺したジンムは家来の者に、
「見るのも汚らわしい。そこら辺りに埋めなさい」
と云います。その家来はジンムの仮宿近くの山地(吉備中山)に大きな穴を掘ってその「猪」を埋めます。
その日は何ともなかったのですが、所がです。その次の朝になりました。天皇の仮宿周辺とは言わず、そこら辺り四方の村々にまで嗅ぐに絶えないような悪臭が立ちこめます。
「なんじゃこりゃ。どうしたんじゃろうかなー」
人々も大騒ぎします。その匂いを嗅いだジンムまでもが
「こりゃかなわん!!!どうにかしなさい。」
と一人の家来に命令します。その命令がくだった家来の者は、早速に、昨日埋めた猪の死体を掘り起こして、吉備の中山の向かいにある山(名越山)の麓に、その猪の死体を埋め直します。
すると、どうでしょう!!あれほど辺り一帯に臭く匂い立っていた悪臭も元の清らかに風に変わりました。メデタシ、メデタシです。
それ以後、家来が新たに埋め直した場所は吉備津地区の墓地になって現在にまでいったておるのです。それが「向山墓地」です。(神社のある宮内地区の家々のお墓も、総て、この向山墓地にあります。)
なお、この大怒猪の死体から発する悪臭を断ち切った家来に対してジンムは
「お前は悪臭を放つ猪の死体を掘り起こして、向山に埋め直し、この地域の人々に平安をもたらした勇者だ、これ以後、この地に居て人々の平安を守りなさい。・・・そうじゃ、お前に名前をつっけてつかわそう。臭い猪の死体を掘って埋め直した勇者だ。特別に以後
“堀家<ホリケ>”
と名乗るがよい。」
と。それ以後この人は吉備津神社の宮司となって宮守りの役目を果たしたと云い伝わっております。(吉備津神社の社伝より)
「亥」歳の最後です。香阪王の猪も、また、この吉備津の猪も「日本の神話」の中に入っているのです。あと数日で『亥』歳も終わります。こんなお話も言い伝えられていたのだということを覚えておいてほしいものだと思いながら書いております。
「見るのも汚らわしい。そこら辺りに埋めなさい」
と云います。その家来はジンムの仮宿近くの山地(吉備中山)に大きな穴を掘ってその「猪」を埋めます。
その日は何ともなかったのですが、所がです。その次の朝になりました。天皇の仮宿周辺とは言わず、そこら辺り四方の村々にまで嗅ぐに絶えないような悪臭が立ちこめます。
「なんじゃこりゃ。どうしたんじゃろうかなー」
人々も大騒ぎします。その匂いを嗅いだジンムまでもが
「こりゃかなわん!!!どうにかしなさい。」
と一人の家来に命令します。その命令がくだった家来の者は、早速に、昨日埋めた猪の死体を掘り起こして、吉備の中山の向かいにある山(名越山)の麓に、その猪の死体を埋め直します。
すると、どうでしょう!!あれほど辺り一帯に臭く匂い立っていた悪臭も元の清らかに風に変わりました。メデタシ、メデタシです。
それ以後、家来が新たに埋め直した場所は吉備津地区の墓地になって現在にまでいったておるのです。それが「向山墓地」です。(神社のある宮内地区の家々のお墓も、総て、この向山墓地にあります。)
なお、この大怒猪の死体から発する悪臭を断ち切った家来に対してジンムは
「お前は悪臭を放つ猪の死体を掘り起こして、向山に埋め直し、この地域の人々に平安をもたらした勇者だ、これ以後、この地に居て人々の平安を守りなさい。・・・そうじゃ、お前に名前をつっけてつかわそう。臭い猪の死体を掘って埋め直した勇者だ。特別に以後
“堀家<ホリケ>”
と名乗るがよい。」
と。それ以後この人は吉備津神社の宮司となって宮守りの役目を果たしたと云い伝わっております。(吉備津神社の社伝より)
「亥」歳の最後です。香阪王の猪も、また、この吉備津の猪も「日本の神話」の中に入っているのです。あと数日で『亥』歳も終わります。こんなお話も言い伝えられていたのだということを覚えておいてほしいものだと思いながら書いております。
あのスサノヲが姉であるアマテラスの所で出向いて自分の心は“清明”であることを誓いますが、それが“宇気比”です。何かの誓いをする時の「占い」です。
香坂王は神功皇后の暗殺計画が成功するかしないか、獣狩りをしてその占いをします。
“宇気比獦<ウケヒガリ>”
です。
書紀には“而祈狩之日 祈狩、此云于気比餓利”と
その獣狩りの様子を
“櫪木<クヌギ>”
に登って見学していたのだそうです。すると、その木の下に「大怒猪」が出てきて、その木を掘り起こし、香阪王を食い殺してしまったのです。
これと同じような大きな怒れる猪が出て来たと云う話は「私の町吉備津」にも残っています。それをこそっと(「吉備国風土記」に書かれていたとかの言い伝えが??????)
「神武天皇が筑紫の国から東征途中に吉備にお立ち寄りになられ、その兵力などを増強されますが(記紀に)、その吉備での最初に仮宿と決められたのが「吉備の中山(吉備の神南備山)」の麓、現在の吉備津神社のある場所付近だそうです???
その仮宿に始めてお泊りになった翌朝の事です。まだ夜明けきらない早朝です。ジンムがはっと目を開けると、そこにものすごい「大怒猪」が、今しも、ジンムに襲いかかろうとしております。とっさに、ジンムは傍にあった刀を引き抜くと、一刀のもとにその大怒猪を切り殺してしまったのだそうです。
「めでたし、めでたし」
では終わりません。』
これもまた続きは明日に・・・
香坂王は神功皇后の暗殺計画が成功するかしないか、獣狩りをしてその占いをします。
“宇気比獦<ウケヒガリ>”
です。
書紀には“而祈狩之日 祈狩、此云于気比餓利”と
その獣狩りの様子を
“櫪木<クヌギ>”
に登って見学していたのだそうです。すると、その木の下に「大怒猪」が出てきて、その木を掘り起こし、香阪王を食い殺してしまったのです。
これと同じような大きな怒れる猪が出て来たと云う話は「私の町吉備津」にも残っています。それをこそっと(「吉備国風土記」に書かれていたとかの言い伝えが??????)
「神武天皇が筑紫の国から東征途中に吉備にお立ち寄りになられ、その兵力などを増強されますが(記紀に)、その吉備での最初に仮宿と決められたのが「吉備の中山(吉備の神南備山)」の麓、現在の吉備津神社のある場所付近だそうです???
その仮宿に始めてお泊りになった翌朝の事です。まだ夜明けきらない早朝です。ジンムがはっと目を開けると、そこにものすごい「大怒猪」が、今しも、ジンムに襲いかかろうとしております。とっさに、ジンムは傍にあった刀を引き抜くと、一刀のもとにその大怒猪を切り殺してしまったのだそうです。
「めでたし、めでたし」
では終わりません。』
これもまた続きは明日に・・・