梅を干し赤紫蘇を干し青菜干し
日本から残暑の厳しさと大停電のニュース。こちらはもう秋、朝夕は10度以下でカーデイガンやジャケットを羽織ってる。去年の冬は厳しく11月初めに雪が降り、降り続け、ほぼ7カ月が冬だった。毎年どんな気候になるのか予想がつかない。店頭にチューリップやヒヤシンスなどの春咲き球根が出始めた。地面が凍る前に植え付けよう。チューリップの街オタワの光景が忘れられず、ここにあそこにチューリップを植えようと場所を作る。こちらは梅雨がなく空気が乾燥しているので、梅を干しながらふと、そうだ何でも干してみようと思い立った。二回目の梅を干し、赤紫蘇を干し、ついでに青菜も干してる。一日目。保存食と言うとこちらは瓶詰のことだが日本の知恵を拝借しよう。今年大根を植えなかったが来年は植えて切り干し大根つくろう。
菜園を始めてから福岡正信さん言うところの一家4人が自給自足できるに一日4時間の農作業で十分という事を確信する。お隣のニューブランズイック州で夫婦共働き子供二人の家族が日曜菜園から始めて、ついには鶏や牛を飼いバターまで作るにいたりほぼ100パーセント自給生活に入ったルポルタージュがあった。またフランスの貧困街の市長が集合住宅の空いている駐車場の半分を菜園にし、とにかく市民の食生活を守るといったルポルタージュもあり、食の危機感を本能的に感知してるのかと思う。
新しい集合住宅モデルで暮らすデンマークやケベックのルポルタージュがあり、一言でいうと未来のコミュニテイーの姿。つまり個人生活の自由の確保と共同体との併存をいかにするか。その集合住宅は多様な世代が住んでおり、各世帯にキッチンあれども一階は大きな共同食堂がある(月一回の食事会から今は週一回になっている、もちろん自由参加で準備は子供から大人まで参加者全員がする)。様々なアトリエがあり、老人が子供に大工仕事や機械整備など教えたり、お婆ちゃんは編み物や裁縫を教えたりしてる。もちろん大きな菜園もあり老若男女で世話をする。住人の一人がこんなことを言った、一家に一台芝刈り機なんていらないよ。共有できるものは共有し、トランポリンやプールなど、一家に一つでなく集合住宅に一つでよい、安くあがるし場所も取らない。ご主人を失くされ一人になった老婦人がお屋敷から引っ越してきて、なにより安心感があるとあると話していた。集合住宅で孤独に暮らすのではなく、もちろんひきこもっててもOKだけれど、人恋しくなったら一階に行って一緒に食事すればよいし、何よりも子供や赤ちゃんの姿があるってイイなと思う。
たぶん、権力者にとって国民ひとりひとりが孤独でバラバラなのって有難いと思う。人が集会を開いたり、考えを交換したり、交流が活発になり自治体が独立していっては困るのかな。フランスで自治体の独立を目指す市長に圧力がかかってると言っていた。
福島で、放射能が種に影響なしということで日葵に目を付け、ひまわりを村の産業とすべく向日葵を植え、油を取り、殻を燃やし燃料にし、村の電気をまかない、住民の交流の場を設け、異種業者が意見を交換し、外部からも様々な専門家を招き相談にのっていただき、ゆくゆくは自給自足を目指す自治体のルポルタージュがあった。
あたらしい形の村が再生されつつあるのを感じる。
日本から残暑の厳しさと大停電のニュース。こちらはもう秋、朝夕は10度以下でカーデイガンやジャケットを羽織ってる。去年の冬は厳しく11月初めに雪が降り、降り続け、ほぼ7カ月が冬だった。毎年どんな気候になるのか予想がつかない。店頭にチューリップやヒヤシンスなどの春咲き球根が出始めた。地面が凍る前に植え付けよう。チューリップの街オタワの光景が忘れられず、ここにあそこにチューリップを植えようと場所を作る。こちらは梅雨がなく空気が乾燥しているので、梅を干しながらふと、そうだ何でも干してみようと思い立った。二回目の梅を干し、赤紫蘇を干し、ついでに青菜も干してる。一日目。保存食と言うとこちらは瓶詰のことだが日本の知恵を拝借しよう。今年大根を植えなかったが来年は植えて切り干し大根つくろう。
菜園を始めてから福岡正信さん言うところの一家4人が自給自足できるに一日4時間の農作業で十分という事を確信する。お隣のニューブランズイック州で夫婦共働き子供二人の家族が日曜菜園から始めて、ついには鶏や牛を飼いバターまで作るにいたりほぼ100パーセント自給生活に入ったルポルタージュがあった。またフランスの貧困街の市長が集合住宅の空いている駐車場の半分を菜園にし、とにかく市民の食生活を守るといったルポルタージュもあり、食の危機感を本能的に感知してるのかと思う。
新しい集合住宅モデルで暮らすデンマークやケベックのルポルタージュがあり、一言でいうと未来のコミュニテイーの姿。つまり個人生活の自由の確保と共同体との併存をいかにするか。その集合住宅は多様な世代が住んでおり、各世帯にキッチンあれども一階は大きな共同食堂がある(月一回の食事会から今は週一回になっている、もちろん自由参加で準備は子供から大人まで参加者全員がする)。様々なアトリエがあり、老人が子供に大工仕事や機械整備など教えたり、お婆ちゃんは編み物や裁縫を教えたりしてる。もちろん大きな菜園もあり老若男女で世話をする。住人の一人がこんなことを言った、一家に一台芝刈り機なんていらないよ。共有できるものは共有し、トランポリンやプールなど、一家に一つでなく集合住宅に一つでよい、安くあがるし場所も取らない。ご主人を失くされ一人になった老婦人がお屋敷から引っ越してきて、なにより安心感があるとあると話していた。集合住宅で孤独に暮らすのではなく、もちろんひきこもっててもOKだけれど、人恋しくなったら一階に行って一緒に食事すればよいし、何よりも子供や赤ちゃんの姿があるってイイなと思う。
たぶん、権力者にとって国民ひとりひとりが孤独でバラバラなのって有難いと思う。人が集会を開いたり、考えを交換したり、交流が活発になり自治体が独立していっては困るのかな。フランスで自治体の独立を目指す市長に圧力がかかってると言っていた。
福島で、放射能が種に影響なしということで日葵に目を付け、ひまわりを村の産業とすべく向日葵を植え、油を取り、殻を燃やし燃料にし、村の電気をまかない、住民の交流の場を設け、異種業者が意見を交換し、外部からも様々な専門家を招き相談にのっていただき、ゆくゆくは自給自足を目指す自治体のルポルタージュがあった。
あたらしい形の村が再生されつつあるのを感じる。