ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

去りし人

2018-05-14 21:43:52 | 暮す
 去りし人 風の便りさえ聞く人もなく

展覧会に向けての最後の集まりがあった。去年、プレジダントが任期を待たずに辞任、新しいプレジダントも3か月で辞任。国と市から助成金を受け、国会議員,州議員からも毎年寄付をいただく会なのだが、私が記憶するだけでも6人のプレジダント交代があった。分裂あり、脱退あり、メンバーカードを破る人あり。このちっぽけな田舎町のグループにおきてることは今のケベック社会そのものを反映している。批評眼ばかりが異常に元気もりもり。気にいらない点をあげつらうのが大好き。内心思う「だったらお前やれよな」。沈没しかけた会を3年かけて盛り立て引き上げたプレジダントは失意のうちに深く傷つき去っていた。会議でも休憩時間でも彼女の名前すら出ないし噂にものぼらない。もう消えた人になった。人というのは薄情なもんだと思う。その薄情さに慣れた自分がいる。映画「まあだだよ」みたいな世界は夢物語。そういう私も、ずいぶん薄情者になったと思う。

新しい臨時プレジダントはひょうひょうと会議をすすめた。プロのアーチスト3名と1人のアマチュアアーチストを新しく迎えた。アマチュアさんはリタイアした税理士さんで水彩画家。今年は作品参加はしないが、これから会の財政管理を引き受けてくださるとのことで大拍手。もちろんボランテイア。ニューヨークでギリシアで展示会に呼ばれたと言っても名あれど金はなしの新入りプロのアーチストの参加はきっと会に刺激を与えてくれると思う。会にいるプロのアーチストたちは、お金持ちや教職についてる人以外はほんと厳しい生活をしている。でも内心思う「自分で選んだ道でしょう、他の仕事を探そうと思えばなんだってあるよ」。世間の人は絵を買わないというけど、世の中には楽しいことたくさんあるから、お金を出してまで絵を買おうというのはよっぽどの数寄者。

わたし、それでもアーチストって尊敬する。ちょっとデッサンの一つでもしてみるとわかるのだが、創作するというのは、スーパーで働くよりも、事務員として働くよりもエネルギーがいる。でも創作の中には苦労もあれば思わぬ発見という喜びもある。自分だけが喜んでるんだけど。毎日、時間をみつけて4点取り掛かってるが、畑や春の大掃除やいろいろ他にすることがあり夫の4日の出張がまちどうしい。その時に思う存分描こうと思う。

今日はあったかくて、ご近所は水仙やチューリップが咲いてる。若者はすでに半袖で歩いてる。春と夏が一緒にやってくる。

陽を浴びて

2018-05-07 16:17:00 | 菜園
 柔らかき陽を背に浴び母思う

チューリップが咲いた。初めて菜園に出て一仕事。しゃがんだ背中に5月の陽があたりほんのり暖かく老いた母を思う。今年の春は遅かった。さあこれから楽しい畑仕事が始まる。

羽生弦結にはまって、毎日、毎日いまだにYOU TUBEみてる。フィギュアスケートなんてこれっぽっちも関心なかったのになんでこんなに惹かれるんだろうと不思議。それでいろんなことが頭に浮かぶ。彼の魅力はハイレヴェルな大衆芸術娯楽性にあるんじゃないかしら。羽生にはまった80才過ぎのお婆ちゃん二人がぷーさんのぬいぐるみ姿で横断幕を掲げテレビにかじりつき一喜一憂してた。認知症もふっとびそうな応援ぶり。中年女性のアイドルのようだが、おとんもおかんもノックアウトされてる。仕事前に彼の演技をみてからでかけるというサラリーマンもいる。羽生を観れて生きてて良かったという人までいる。

羽生弦結の演技種目は多岐にわたり、ロックありクラシックあり日本の曲あり、選曲により、ときにホストクラブの売れっ子ホストのようでもあり、ときに気障で、ときにエロイ。一方、平家の文武両道の公達のようでもあり、お殿様のようでもあり聖人君子のようでもある。かと思えば討ち入りの志士のようでもあり特攻隊のようでもある。冷徹な策士のようでもあり、研究者でもある。顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる場面は子供のようでもある。やわらかく嫋やかな女人でもあり毅然とした剛毅な男前でもある。羽生は多面体だ。その演技はノーミスのときでさえ、俺はこれからだみたいな未知の可能性を匂わせる。羽生は、あらゆる年齢、性別、、国境、階層をふきとばす嵐のようでもある。ずっと見続けて、高度なテクニックを要するアスリートでありながら芸術性があり大衆娯楽性がある。フィギュアスケートを多くの人に門戸を開き「高度大衆芸術娯楽」としての観客増大に計り知れぬ貢献をしていると思う。

今年の10月にケベックで世界チャンピョン選手権があり、もし羽生弦結が参加するのであれば私観たいです。切符高いのでそのために少し働こうかな。仕事はお掃除のおばさんでもなんでもいいや。

以下、咲いた咲いたの赤いチューリップ。




春雨

2018-05-01 08:07:40 | 暮す
 
 春雨の養毛剤に芝生萌え

肌寒い雨降りが続いてる。雨は雪を溶かし枯れた芝生がみるみる生気を取り戻し青々としてきた。あたかも雨が養毛剤のごとく降り注いでみえた。

パソコンがなんどもシャットダウンする。前回お掃除に出した時、買ってから八年は経っており交換部品は製造中止、がんばって後2年位と言われてたから限界かも。

先日、一緒に働いたことがある知人にばったりお会いして、娘さんが6月から日本へ交換留学生として出発するとのこと。「若いからあっというまに日本語覚えるわよ、こんにちはぐらいしか日本語話せない娘さんが一年でペラペラになって帰ってきたのよ、大丈夫。」と言っても、せめて挨拶ぐらいでも教えてもらいたいということで出発までの1カ月間教えることになりました。それでいま、15歳の二人の女の子が木、金の午後4時に我が家に来てます。

お話しすると、私と彼女たちのお婆ちゃんの年齢と変わらず、ピンポーンとチャイムが鳴ると、祖母が孫を迎えるの図。子供がいないから孫もいないので、こうしていちご世代と出会えてしあわせ。かわいいけど実のところ「老いては孫に従え」関係。自分の意見を述べ、私のフランス語を矯正し、私はそう思わないなどと反論もし、はっとさせられます。

時代はすごいスピードで動いてる。男子フィギュアのかつての王者高橋選手が羽生選手について「自分は時代遅れだ、若い世代は自分が悪戦苦闘している四回転をいとも軽々と飛ぶ」と寂しく語っていた。二人の女の子、ダイアナはスペイン系の母親、ケベック人の父親の元英仏スペイン3か国語がぺらぺら、アナは英語系の母親とバイリンガルの父親のもと当然に英仏バイリンガル。病院に行くとお医者様が、英語にしますかフランス語にしますかと問う。モントリオールにある日本人向け人材派遣会社をのぞいたら2,3か国語あやつる日本人はざら+特殊技能あり+若い。いまだに辞書ひきひきで読んでる私なぞおよびじゃない。姪や甥は皆バイリンガルだ。高校中退した姪でさえ英語コンプレックスがあり、去年カルガリーに働きながら英語を学ぶために半年行ってきた。いつのまにかバイリンガル普通の時代になりつつある。

でも落ち込むに当たらない。こうして世間から用無しになってからが、のびのびというか、きままに自分が好きなことを楽しめる。おつむが好きなように浮遊してる。若い子たちは今聴いている音楽や読んでる本や世間の観察を話してくれる。

老いては孫に従え、だ。