今日がお休みで明日もお休みのはずが頼まれてレストランで働く。なぜNOと言えないのか、やはりこんな婆さんでも雇ってくれたことへの感謝の気持ちがそうさせるのか。レジダンスの方が仕事は楽だし時給も良い、昨日はお祝い事のためのケーキのデコレーションをした、楽しい。カンボジアナレストランは正直言って辞めたい。1日も早く代わりを見つけて貰いたい。私は恩知らずなのだろうか。
それはさておき、雑誌CLASSICAから触発されたことを思いつくままに。雑誌をめくりながら一枚の絵が目にとまった。それは私がゴヤの絵で一番好きな作品。人形とも、藁人形とも、あるいは操り人形とも訳されているが何故かとても心惹かれる絵。悲劇的な死を遂げたスペインの作曲家ENRIQUE GRANADOSの名前を初めて知ったが、彼はゴヤの絵に深く感動し、とりわけアルバ侯爵夫人とゴヤの関係に魅入られ、この絵を含むオペラその他ピアノ曲など作曲した。
折に触れて紐解く愛読書というものがありその一人が堀田善衛。早速、堀田善衛のゴヤ4部作の第二巻「アルバ公爵夫人登場」という章を読む。今回何を感じたかというと、堀田善衛が何ゆえに定家明月私抄にしろ方丈記私記にしろゴヤにしろ、貴族エスタブリッシュメントの世界に住む人々を執拗に研究し描き出のすかということだった。もし私の感じてることが堀田善衛の意図したものと違うのかもしれないが今回初めて、もしかして堀田氏は貴族層の実態を暴きながら彼らとて我々庶民と同じくおどろおどろしい人間、ある意味で生まれながらにして富も財もステイタスもあればこそ庶民よりももっと自由奔放で人間の顕な姿が燻し出されると呆れもすれば感動もし、さればこそ貴族エスタブリッシュメントなど恐るに能わずと言いたかったのではないかと思いました。さらに一体貴族層というものが我々庶民をどう見ているのかを読んでいる、下等民でしかないのね。下等民を出世させるもさせぬも、生かすも殺すも意のまま。君たち庶民よ、貴族からこんな風に思われてどう思うかと問いかけられてるみたい。
それにしてもアルバ公爵夫人のなんと魅力的なこと。庶民さえも彼女が通るとひと目見たさに群がったという。
堀田善衛がENRIQUE GRANADOSを聴いたかどうかはわからない。私はゴヤ4部作を完結するにトラック一台もの資料を読み込みスペイン語を学びスペインに暮らし本物のゴヤの作品を追いかけた掘田善衛のゴヤを死ぬまで読み返すだろう。またゴヤに捧げた曲が同じ民族の血から生まれたものなればせめてGRANADOSのCD1枚でも買ってみよう。CLASSICA推薦版を載せておきます。
CLASSICA,雑誌というよりはパンフレットと言いたいほどペラペラでページ数が以前の半分以下66ページになっていた。雑誌の世界でも栄枯盛衰あり、いつか廃刊になるのだろうか。購読してなければENRIQUE GRANADOSを知ることもなくゴヤを紐解くこともなかったかもしれない。
それはさておき、雑誌CLASSICAから触発されたことを思いつくままに。雑誌をめくりながら一枚の絵が目にとまった。それは私がゴヤの絵で一番好きな作品。人形とも、藁人形とも、あるいは操り人形とも訳されているが何故かとても心惹かれる絵。悲劇的な死を遂げたスペインの作曲家ENRIQUE GRANADOSの名前を初めて知ったが、彼はゴヤの絵に深く感動し、とりわけアルバ侯爵夫人とゴヤの関係に魅入られ、この絵を含むオペラその他ピアノ曲など作曲した。
折に触れて紐解く愛読書というものがありその一人が堀田善衛。早速、堀田善衛のゴヤ4部作の第二巻「アルバ公爵夫人登場」という章を読む。今回何を感じたかというと、堀田善衛が何ゆえに定家明月私抄にしろ方丈記私記にしろゴヤにしろ、貴族エスタブリッシュメントの世界に住む人々を執拗に研究し描き出のすかということだった。もし私の感じてることが堀田善衛の意図したものと違うのかもしれないが今回初めて、もしかして堀田氏は貴族層の実態を暴きながら彼らとて我々庶民と同じくおどろおどろしい人間、ある意味で生まれながらにして富も財もステイタスもあればこそ庶民よりももっと自由奔放で人間の顕な姿が燻し出されると呆れもすれば感動もし、さればこそ貴族エスタブリッシュメントなど恐るに能わずと言いたかったのではないかと思いました。さらに一体貴族層というものが我々庶民をどう見ているのかを読んでいる、下等民でしかないのね。下等民を出世させるもさせぬも、生かすも殺すも意のまま。君たち庶民よ、貴族からこんな風に思われてどう思うかと問いかけられてるみたい。
それにしてもアルバ公爵夫人のなんと魅力的なこと。庶民さえも彼女が通るとひと目見たさに群がったという。
堀田善衛がENRIQUE GRANADOSを聴いたかどうかはわからない。私はゴヤ4部作を完結するにトラック一台もの資料を読み込みスペイン語を学びスペインに暮らし本物のゴヤの作品を追いかけた掘田善衛のゴヤを死ぬまで読み返すだろう。またゴヤに捧げた曲が同じ民族の血から生まれたものなればせめてGRANADOSのCD1枚でも買ってみよう。CLASSICA推薦版を載せておきます。
CLASSICA,雑誌というよりはパンフレットと言いたいほどペラペラでページ数が以前の半分以下66ページになっていた。雑誌の世界でも栄枯盛衰あり、いつか廃刊になるのだろうか。購読してなければENRIQUE GRANADOSを知ることもなくゴヤを紐解くこともなかったかもしれない。